第124話「警戒」
視点:1人称
「それで、どこまで知られている」
暗い中を移動し、カタリナさんのとこから戻ってきた直後、ハクが言った。
場所は例の檻の中。
目隠しに外から布で覆い、中には燭台が1つ、灯りに揺れる。
ジルベスタ一座に紛れ込んで早1週間。その間、俺たちが日夜過ごしているのはここだった。
人間の仮宿としてはなんとも非常識な部類だが、まぁ場合によっては野宿も当たり前の状況なので、壁代わりの布が周囲にあるだけ条件は良かったりする。
とはいえ、実質寝泊まりしてるのはレイナだけだ。
何しろアルと俺は、日中は見世物として格子の中で指示通りに振る舞い、夜間は抜け出し近くの街へ潜り込むのが最近のサイクルだ。
酒場や賭博場、花街なんかの、いわゆる夜の界隈を適当に流しつつ、そこにいる人たちに混じって情報収集。
一方のレイナは日中に街へ行く。男装したロズの姿で、各階級の住宅地やスラム街、市場などに出向いて、治安状況や物価等々を見てもらっている。
そんなことをやっていたところに、今夜、連絡役であるハクがようやく合流してきたというわけだ。
おそらくは、もうハクの方でも何かしら探っていたんだろう。何しろ山脈を超えるだけなら数時間で済むのがハクだ。シリンさんたちがかつて住んでた邸とか、一通り見てきたのかもしれん。
その報告はひとまず後で聞くとして。
俺は「(カタリナ座長に)どこまで知られているのか」との問いに、組んだ前脚へ顎を乗せつつ言った。
『さぁ、わからん。ブラフ――知ってるふりして揺さぶられている気配もあるし、とにかくやりにくい相手ってことだけは確かだ』
俺がお手上げの気持ちで首を振れば、その動きで姿勢を崩されたらしいアルが、少し身体を起こしたのち俺を抑え込むように再度体重をかけてくる。たぶん感覚的には腕が首あたりに乗ってんのかな。見えないからよくわからんが。
その状態でアルが言う。
「少なくとも、僕達、特に僕がどこの誰であるかは知られていないと思いますが……。それでも、確信はできませんね。……貴方も会って感じたでしょうが、クロの言う通り、あの座長は底が知れないので」
直截には口にしないが、その声音から、アルがカタリナさんのことをわりと嫌ってるのが伝わってくる。こいつにしてはこんなはっきり感情を色分けするのは珍しいな。下手するとアオに向けるソレに近いかも……。
え、どんだけだよ。
ついでに、ちらりと隅にいるレイナの表情も確認すれば、彼女も彼女で座長が嫌いらしく、眉間にシワを寄せている。
「……」
一方、意外にも何やら考えているらしいハクは、微妙な顔で沈黙。
その内心はよくわからんが、何しろ、あいつが姿を見せ次第、ほとんど説明なくカタリナさんのところへ連れてったから、まずは情報が欲しい心境ってところだろうか。
じゃあまずは、カタリナさんに取引を持ち掛けられた
……そう。
初日から、カタリナさんにはバレてたんだよなぁ。
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何かと気を張る興行初日を終えたその日の夕暮れ。
身軽な様子で俺たちのところへやってきたカタリナさんが、男装したレイナ――ロズと、ほぼ一方的な立ち話に興じていた。
話せない設定のアルと、魔物である俺は、もちろんカタリナさんの標的になることはなく。昼の間にすっかり慣れてしまった檻の中、中途半端にかけられた目隠し用の布の影から、俺たちは会話を聞いていた。
カタリナさんからは、本当に従魔用の食料――つまり俺用の――は要らないのかとか、糞尿の掃除は重々気を配ってくれ、とか。ロズはそれへ「ああ」やら「もちろん」やら、端的に返すだけ。
そもそもご存じの通り、生物の枠から外れた俺に空腹も排泄もありはしない、が、もちろんカタリナさんがそれを知る由はなく。衛生や安全を気にすべき座長としては、念を押しときたいところだろう。
ひとまず、俺はしっかりと調教された従魔で、食料はその辺で狩るか調達するし、汚物は適切に処理する、とかなんとか説明もとい誤魔化して今に至るわけだが。
よくもまぁ、カタリナさんもそれで許容したよな。
不審に思われている可能性は無きにしもあらずだが、一座的に余計なコストがかからないなら、OKてな感じだろうか。
カタリナさんの話はまだまだ続く。
彼女的には初日の感触は良かったらしく、なんとも上機嫌に、無愛想なロズ相手でもしゃべるしゃべる。
今後のスケジュールとか、一座内での生活サイクルとか、そういった説明も交えられつつ、基本的には取り留めのない話題だ。そして、割と彼女のようなタイプは苦手だろうロズが、いい加減イラつきを抑えられなくなった頃――。
「ああ、ところで」
後から思えばこれを狙っていたんだろう。
カタリナさんは不意を突くように、ニヤリと口端を上げて言った。
「――あんたら、
一瞬にして雰囲気を変えた、軽い
更には、ロズはもちろんその背後――檻の中にいるアルへ、意味深に視線を流してのソレ。
……わお、大胆。
含意を掴みにくい問いかけだったが、単純にその言動と時間帯とを考慮すれば、
しかも複数形ってことは、ロズとアルを同時にってことになるんだが……。
とはいえ、短い間にも知りえたカタリナさんの性格からすると、ちょっと違和感があるけども。
ていうか、アルよ。
もしかして鳥肌立ってる? そんなに嫌なの?
「……なにが目的だ」
檻の外に立つロズも咄嗟に身を引き、唸るように言った。
その語調には、はっきりとした拒絶が見える。
カタリナさんほどの女性にその手の誘いを掛けられるのは、一般的な男にとっては生唾を呑むような場面だろう。
だがもちろん、ロズはレイナだし、アルも他人との接触全般が苦手な部類だ。
恋愛対象外から性的に誘われるのは、誰であってもゾッとするもの。たぶん、そういうことなんだろう。
一方のカタリナさんは、ロズが引いた分、容赦なく踏み出し顔を寄せる。
「あらあら、そう怖い顔をするんじゃないよ。せっかくの
ニィと口端を上げ、それでも艶やかに笑む彼女は、背後の台車でロズを追い詰め、次いで囁いた。
――女に生まれついたのなら、それを最大に利用しなきゃ損ってもんだよ?
「っ!」
ロズにしか――つまりレイナにしか聞こえない声量だったが、あいにく俺たちにも聞こえているし、そもそも承知のこと。
だが、それをこんなに早く知られていたというのは、しかもこんな明かされ方をするのは、中々の衝撃ではある。
つまり彼女は、ロズがレイナと知りながら「お客にならないか」と誘いをかけたってことだ。
「…………余計な世話だ、娼婦が」
対するレイナは、瞬時に毛を逆立てたネコみたいになって吐き捨てた。
うーん。
最上級に辛辣。
ついでに、性別の偽装をほぼ肯定したようなもんだが、それでもロズとしての声音を変えてないのはさすがだ。
対するカタリナさんは歯牙にもかけず、鼻で笑って言った。
「ありゃ。どうやらアタシはこの子の逆鱗らしい。
どうだい、そっちの旦那。話は速い方が良い。……あんたらの望むものを、こっちは用意できるかもって提案さ。黙ってないで、何か言ったらどうだい?」
明らかにレイナを怒らせるのが目的だったんだろうに、彼女は悪びれもせず、こっちへ微笑みかけてくる。
「……」
カタリナさんの視線は当然、鉄格子越しにアルを見ていたわけだが。その本人は、数秒彼女と見つめ合った後、なんと俺へと視線を寄越してきた。
ついでにレイナも俺を見ている。
おいおい、2人してこの話術上級者の相手を俺にしろってか?
まあ、俺たちの身元をなるべく隠すなら、少なくともアルは話さない方がいいけどさ。ついでに、この一座に紛れ込むのを提案したのは俺だしな。レイナも感情が煽られちまって相性悪いようだし。
せめてもの抵抗でアルだけにわかる程度に呆れ顔をしてみても、その翠の視線は逸れることがない。やはり俺がやるしかないらしい。
わぁかったよ。
全く気は乗らないが、最低限は情報が漏れないよう、かつ、必要な情報は得られるよう、なんとか精一杯やってみよう。
どうにも興味は惹かれる提案だしな。
あんまり沈黙を長引かせても不自然だから、俺はわざとらしく溜息を音にし、まずは主導権を少しでも取り返そうと言ってみる。
『はぁ、やっぱ慣れないことはやるもんじゃねえな』
「……」
無言だがピクリと目を見開いたカタリナさんに、念話の出力をミスったわけじゃないと安堵しつつ、俺は言う。
『あ、話してんのは俺だ、俺。あんたが絶対しゃべるはずないと思ってる方……。そう、こっちだ』
口が動いていないアルに、カタリナさんの視線が
それを言葉で誘導しながら、俺は獣姿で視線を合わせたのち――。
「――ちなみに、こんなこともできる」
すばやく姿を崩し檻の外、カタリナさんの背後に人型を作って声を出す。
話術ではとても敵いそうにないから、せめてこういう面で優位性を示しておかないとバランスが取れない。
夕闇の中、黒づくめの男が突然現れるのは、なかなかホラーな状況だろう。
「……これは、また。珍しいのが来たもんだね……」
それでも、カタリナさんの様子に大きな変化はない。驚きも緊張もしているんだろうが、微笑を残して肩越しにこちらを見遣ってくるのは、彼女も流石だ。
ちなみにこの間、レイナはカタリナさんの間合いから逃れている。
俺もあまり人目につくべきじゃないから、再度人型を崩して格子のなか、アルの傍へ。
一方、その相棒は急に消えた背もたれに姿勢を崩されたらしく、俺が元通りに実体を形成次第、俺の首に片腕回して固定してくる。
そうされたって俺には無意味なんだが、まあ、意思は明白なんでこれ以上動くのは自重しとこう。
あるいは、カタリナさんへの絵面を意識したのかもしれん。台車の分、俺たちの方が彼女を見下ろす形だから、俺みたいな肉食獣とその首を抱え込む美形の組み合わせは威圧感あるんじゃなかろうか。
やりすぎて警戒されても面倒だから、せめて声音だけでも調子を抑えようと、少しばかり意識して俺は言う。
『改めましてカタリナ座長、俺は
おそらく、アルの設定もある程度見抜かれてんだろうが、一応重ねて断っておく。そうして俺は、心持ち上体を起こして問いかけた。
『それで? 俺たち全員を対象にした
あ、どっちにしろ威圧しちまった、かな?
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「あんたら、何かしらの情報が欲しい口だろう。アタシからその情報を買わないか、って話さ」
『……』
居場所を格子の中へ移したうえで、会話を再開する。あんまり他人に聞かれたくないのはお互い様だし。
後方は開けたがほとんどを布で覆い、レイナには見張りに立ってもらった。
つまり、この場にいるのは俺とアル、カタリナさんで全員だ。
それにしても、よくまぁ数的劣勢、というか単身で、この檻の中に入ってくるもんだ。彼女の度胸が天井知らず。
俺は慎重に問い返す。
『……そう判断した根拠は?』
彼女は最も出入り口に近い位置に陣取り、燭台ひとつで薄暗いなか、片膝を立てた姿勢で微笑する。
「女の勘さ。何しろあんたら、怪しいところしかないからねぇ。少なくとも普通じゃない。……普通じゃないなら、それは大方、アタシの客さ」
『……随分と大胆だな? 本業の方も遊びじゃないだろうに』
勘と来たか。しかも女の、というと古今東西、万能に使いまわされる常套句だ。なにをどれだけ知られているのかがわからない。
ひとまず「下手すれば一座の興行にも悪影響があったろうに」と言ってやれば、彼女は言った。
「ハ、アタシの見る目を舐めるんじゃないよ。問題ない、むしろ稼げると判断したから、その通りに使っただけさ」
『目的は金儲けってことか。……俺たちがどこの誰に連なる者か、それも察しはついてんのか?』
仕方なしに直截に聞けば、カタリナさんは小首を傾げて意味ありげに笑う。
「いいや、それはわからないね。だが少なくとも、この国のもんじゃない。北か、南か、大穴で東か。……なんにしろ、この国は今、敵が多いからねぇ」
あぁぁ、現在進行形で探られてるぅ。
特に反応しなかったと思うが、こういうの無意識で出るもんだから、大丈夫かわからねぇ。アルは慣れたもんで問題ないだろうが。
とはいえ、こっちにも情報はあった。つまり、そういう輩を想定しているのに、カタリナさんは自国の情報を流しても構わないってことだ。
俺は言った。
『これまた大胆だ。……俺たちにそういうこと言っちまっていいのか?』
鼻で笑って彼女は言う。
「女は時にあけっぴろげな方が好かれんのさ。あんたも違うかい? それに、まずはある程度の信用を得ないといけないからねぇ」
これまた含みのある微笑に、これだけは訊いておきたいと、俺は食い下がる。
『じゃあ、そうまでして俺たちに売り込んでくる理由は? 見合う対価を出せる保証もない俺たちに、だ。……これには勘だなんて答えはくれるなよ?』
こういった話において重要なのは動機だ。
相手が何を行動の中心に置いているのか。それさえ承知できれば、最低限の行動予測が成り立ち、裏切られる確率も見積もれる。
だが、カタリナさんが動く理由は金のため。そう判断するには、いまいちリスクと利益が釣り合っていないようにも見える。
彼女が望むだけの対価を俺たちが用意できる確証はさすがにないだろうし、事実、俺たちにそれだけの手持ちはない。
だが、アルの外見から既にオルシニアの雄爵、アルフレッド・シルバーニと特定されているなら話は少し違う。
アル本人のフットワークの軽さは国内でもあまり大っぴらなものじゃないし、まさか貴族本人が外国まで諜報に来てるとは思いもしないのが常識ってものだろう。まぁ、なにせこいつの外見は特徴的だから、わかる奴はわかるだろうが。
カタリナさんもその側で、アルがオルシニアの貴族位にあると、それを前提に対価を皮算用しているなら、こちらとしても色々と考えておく必要がある。場合によってはルドヴィグにも話をもってかなくちゃならんし。
そんなことを念頭に俺は訊いたのだが、カタリナさんも素直に答えてくれるはずもなく。
「そうだねぇ……。ほんの気まぐれ、なんて言い訳もダメだろうね?」
『……』
首を傾げて微笑み、曖昧に逃げ切ろうとしてくる彼女に、ダメもとで俺も尻尾をパタリと揺らして沈黙してみる。俺の場合、威圧感は元からあるから、こうして眼を合わせるだけでも相当だろう。
それでも彼女は怯みもせずに俺を見る。
繰り返すが、同じ空間で相対すのは3 m近い巨体の黒い獣だ。もちろん俺の事。
一応、アルの背を囲う体勢上、飛びかかるような動きは制限があるとはいえ、数メートル先に枷もない猛獣がいるんだ。普通なら本能的な恐怖で震えが止まらなくなってもおかしくない。
それにも
まさに敬意を表すべき相手だろう。
そんな相手に威を振りかざすようで誠に申し訳ないが、こちらとしてもカタリナさんの拠り所を把握しないことには話に乗れない。その意思を込めて数秒黙っていれば。
根負けした彼女が肩を竦めて苦笑する。
「まったく欲しがりだねえ。滅多に話さないんだが、あんたらはこれからの金蔓でもある。警戒されて契約を反故にされんのもマズいからねぇ」
『……』
そうして彼女が語ったのは。
この世界においては決して珍しくはないのだろう、とある悲劇の話だった。
第124話「警戒」
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