第123話「思惑」


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『アレクシス……』


 大陸を分ける壮麗な峰々。

 イルドア山脈もしくはエンデル山脈と呼称される頂き、その遥か上空を舞う魔物が、誰にも届かぬ声で呟いた。








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「主よ、息抜きがてら、報告がある」


 春もうららかな侯爵邸。

 執務室にて、入室してきた執事風の男が書類に埋もれる女性に言った。


「このクソ忙しい時になによ」


 疲労も露わに女性――エルズウェイン侯爵、もとい、アイリーン・モントレシアは顔を上げる。対する男は、鋭い睨みも柳に風と微笑した。


「17番が国内に入った。今の飼い主同伴でな」


「……戻ってきたわけじゃない、と」


 端的な報告に、アイリーンも多少聞く気になったらしい。その手にもった羽ペンを、インク壺に刺しながら言った。男――キリアンは頷く。


「ああ」


 そして嗤った。


「……狗を使いまわすとは、なんとも不用心この上ない、が、17番に限れば捕捉しにくいうえ、呪縛もほぼ脱している。それに、予想が正しければ歯向かわせようにも大した痛痒にならんからなぁ」


 毎日入れ替えられる窓際の花瓶の花へ視線を移しながらの言葉。背後で両手を組み、背筋を伸ばして立つその姿は服装も相まって完璧な執事だ。


 ただ、先程からの言葉遣いは間違っても使用人のものではない。が、主人であるはずのアイリーンは気にもせず、卓上で腕を組んで言った。


「確か、オルシニアの化け物公爵だっけ?」


 小首を傾げた拍子に、彼女のハニーブロンドがひと房落ちる。

 その動きをキリアンは流し見ながら言った。


「直接見たわけじゃないが、おそらく俺と似たような存在だろう。……ただし、年季が違うがな」


 黒衣の執事は己の妖しげな瞳を細めて笑う。


「――まだ若造、十分ヒトの範疇だ。バケモノなどと、片腹痛い」


 一体、何を張り合っているのかと、アイリーンは呆れたような表情だ。


「自分はヒトデナシとでも言いたいの?」


 茶色の瞳が眇められれば、向き直ったキリアンが言った。


「事実、そうだろう? 忌々しいクソ神の実験サンプル、それが俺だ。……まぁ、遅かれ早かれ、あっちも同じ道をたどるんだろうが」


「……」


 いっそ晴れやかとさえ形容できそうなイかれた微笑。

 アイリーンは何か言いたげに口元を動かしたが、結局のところは沈黙する。


「それで?」


「……?」


 キリアンは言った。


「十中八九、オルシニアの斥候なわけだが、対処するか」


「ハァ……。わかってて言ってるでしょ、どうもしないわよ。このバカ忙しい時に」


 深く息を吐いたアイリーンに、キリアンは楽し気だ。


「だろうな」


「将来に備えて繋ぎをつけとくのもアリっちゃありだけど……。間もなく私の方がになるのに、そんなことしてもって感じだし」


 手元の書類に視線を落としながらの言葉。


「この家のことを甥っ子に引き継がないといけないし、、貴方にもそう簡単には会えなくなるし」


「……」


 この瞬間、キリアンが一体どんな表情をしていたか。

 彼女はきっと見ておくべきだったろう。


 ……とはいえ、それはまた、別の話。



「まあ、とにかく、頭も手も足りないから放置よ、放置」


「承知した、我が主」


 ここで顔を上げたアイリーンが見たのは、恭しく頭を下げて微笑む、見慣れた黒衣の男のみ。





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 イスタニアで名を馳せる芸人一座、ジルベスタの興行は、およそ2週間ごとに各地を巡る。ある程度大きな街の城門間近に複数の天幕を張って拠点とし、団員たちは寝食をそこで賄い、興行を打つ。


 一座がメインとするのは演劇だ。


 球回しや従魔による曲芸、手品や珍しい外見を売りにする者も一座にはいるが、やはり多くの客を惹きこんでいるのは趣向を凝らした劇だろう。


 ひときわ大きな紫紺の天幕内に舞台を作り、料金を取って観客を入れる。演目は最近流行りの「戦に引き裂かれた恋人たち」系統のなんやらだ。


 ちなみに、役者の外見および演技力はもちろんだが、ジルベスタ一座はそれ以外の小道具、大道具といった舞台装置も含めて話題になるのが毎年の事。


 何しろ、衣装を担うお針子たちの中には、かつて王族の衣服も手掛けたような者もいるらしく、単に金を掛けた派手さではなく、技術でもって人目を惹く腕がある。


 楽隊も頭数は多くないが、いずれも一音で人を魅了するような巧者が揃い、貴族が催す夜会に単独で貸し出されることもある。


 舞台の設営から演出まで関わる、いわゆる裏方の人員たちは、毎年あっと驚く印象的な仕掛けを考えついては実現させ、街々で話題をさらっていくのが恒例だ。


 大きいとはいえ、一介の旅一座、本拠も定まらない根無し草の一団に、どうしてこれだけの人材が集結しているのかと首を傾げるような充実ぶり。


 理由を明かせば、みなそれぞれに表では生きられなかったり、順当に評価されずに流れ着いたりと様々だが、そんな者たちが一座に居つくのは、座長であるカタリナの人間性も大きいだろう。


 豊かな赤毛に金の混じった焦げ茶の瞳、白い肌。振るいつきたくなるようなメリハリの利いた身体は、かつて踊り子で稼いだという話を裏付けるように薄い筋肉を纏って美しい。身長は男に並ぶような長身で、北方系の血が混じった容貌は、俗に言うエキゾチックな美貌を誇る。


 多少、女性としての盛りを過ぎた感はあるが、それでもなお、贔屓の貴族を何人も持っていると噂の美熟女。


 それが、ジルベスタ一座の座長、カタリナだ。


 皆から母や姉のように慕われ、それを裏切らない懐の深さと気風の良さ、更には、稼ぎ時を見逃さない商売人としての勘どころ。そういった才を兼ね備え、大所帯の一座を力強く率いている。


 何かと男性優位なイスタニアの社交界でもその手練手管で渡りあい、服飾、音楽、人気の役者、そういった文化面での先駆けとして、ジルベスタ一座を確かな足場まで引き上げた女傑。


 そんな彼女は、一座が拠点とする天幕群の何気ない1つに居を構え、貴族の夜会に呼ばれでもしない限りは――意外なことだが――、つつましやかに夜を過ごす。


 昼間は庶民相手の見世物でにぎわう一帯も、夜は一部を除いて静かなもの。中にはで夜に稼ぐ者もいるにはいるが、それは個人の範疇だ。あるいは、翌日の舞台に備えて練習する者、仲間たちと笑いさざめき飲み食いする者。


 昼とはうって変わってひそやかな騒めきに包まれる拠点の中、2がカタリナの過ごす天幕へとやってきた。


 つい先日一座の居候となった姿宵闇と、つい先ほど彼らに合流した月白だ。


「ちょっといいかい、カタリナさん。俺含めて2人なんだが」


「なんだい、坊や。構わないよ」


 造りはしっかりとした天幕の布越し。声を掛けた宵闇に応じて、座長の魅力的な声が返される。


「坊やねぇ……。一応、そんな歳じゃあねぇんだけども……」


 そんなボヤキと共に宵闇が躊躇いもなく中に入っていけば、多少の迷いを見せつつ月白も続く。


 対する天幕の主は、夜着姿を惜しげもなく晒し、嫣然と微笑みながら卓についていた。


 腰かけているのは優美な造りの椅子。おそらくは一座の収益などをまとめていたのだろう書類の小山に、簡易な計算盤が机に並び、その手にはつい今まで走っていたのだろう羽ペンがある。


 いくつかの燭台が頼りなげに照らす空間の中、片足を組んで客人を迎えた座長は実に綺麗に笑って言った。


「アタシにかかりゃあ、男はみ~んな初心でカワイイ坊やだよ。どうだい、今夜相手してやろうか。お安くしとくよ?」


 計算しつくされた何気ない言動。視線ひとつ、身動ぎひとつで相手の気を惹く手慣れた振る舞い。息をするように異性を魅了する色香を放ったカタリナ座長。


 かつて踊り子として名を売ったという彼女は、実のところでも強かに稼いだ女傑だ。だがそんな彼女だからこそ、駆け引きも何もないあけすけに過ぎるお誘いに、宵闇は単なる言葉遊びと判じて動揺もない。苦笑して言った。


「全力で遠慮させてもらう。俺如きじゃすぐに身ぐるみはがされるのがオチだ。というか、俺も守備範囲内とか、どんだけだよ」


 ほんの入り口近くで足を止め、 立ったままの宵闇。

 宵の口とはいえ、夜に女性の居住スペースに踏み入る礼儀としては、最低限のラインだろう。


 自然な流れで己がニンゲンでないと口にした宵闇に、カタリナもまた既に承知した事実として言った。


「それだけヒトらしく振舞えてんのに何を言ってるんだか。アタシは一向に構わないよ。醜男のご機嫌取りよか、よっぽど楽しめるだろうねぇ」


「これはまた手厳しい」


 ほどほどで会話を切った宵闇に、カタリナは視線を移して言った。


「それで? 用ってのはそいつかい?」


 宵闇の背後を見ての言葉。そこには微動だにしない月白がいる。

 男は頷いた。


「ああ。ハクという。これから時々俺たちのところに来るから、紹介をと思ってな」


 飄々としたそれに、女傑は呆れたように苦笑する。


「アタシが言えた義理じゃないが、もう少し隠そうとしたらどうなんだい? あっという間に開き直っちまってまぁ」


 男は肩を竦めて言った。


「カタリナさん相手なら、隠すより共有しちまった方が、話が早い。隠す労力が無駄だ」


 こちらも既に諦めたような声音。

 彼らが一座に身を寄せて以降、一体どんなやりとりがあったのか。


 一転してカタリナは、それまでの芸人としての顔ではなく、を覗かせてニヤリと笑う。


「……わかってるじゃないか。これでも長いことこの道でやってきたからねぇ。少なくともアタシの縄張り内で好き勝手はさせないよ」


 宵闇も承知の上で言った。


「だろ? ということで、用件はこれだけだ。何かほかに確認事項はあるか?」


 これにカタリナは月白を見遣り、揶揄い調子で言った。


「おい、あんた。仮にも挨拶に来といて一言も無しかい?」


 対する月白は黄みのかった瞳を瞬き、おもむろに言う。


「私は単なる伝令だ。今後、時たま立ち寄る程度。姿を見せる機会もそう無い。呼び名と姿を見せる以上の何かが必要とは思えないが」


 何の感情も乗らない平淡な返答。

 カタリナは苦笑して言った。


「これまた不愛想な奴だね。……ふ~ん。あんたもこいつと同じく、その姿以外にもなれるのかい」


「……」


 わずかに顎を引いた無言の肯定。

 必要最小限しか行動しない彼らしい振る舞いだった。


 さすがの宵闇がとりなすように言葉を足す。


「これでも悪気はないんだ。勘弁してやってくれ」


「構いやしないよ」


 カタリナも海千山千の玄人だ。月白の性質を見て取り、気を悪くすることもない。

 瀟洒な赤い室内着を揺らめかせ、彼女は言った。


「他はアタシからも特には……、ああ、ちょうどいい、これ持っていきな。覚えたら焼くこと。わかってんだろうが」


 その思わせぶりな指示に、小さな紙片を受け取りながら宵闇は中身を見もせず言った。


「……いいのか?」


 十中八九、何らかの――旅芸人の座長としてではなく、情報を扱うとしての提供だ。


 タダより怖いものはないと探るように言った宵闇に対し、カタリナは微笑して言った。


「お駄賃だよ。あんたらのおかげでひとまず客の入りもいいからねぇ。どうだい、芝居のほうにも出ないかい? あんたなら、仕掛け無しの早変わりも簡単だ。脱出芸でもいい」


 話の流れからして、これ以上の報酬を得たいなら従った方がいいのだろう提案。こっちが本命かと、宵闇は苦笑する。


「芝居は相棒の眼が死ぬからやめてくれ。手品も俺の存在がバレかねないから無し。あまり顔を売りたくもねぇし」


 そんな逃げの返答も、カタリナは意に介さず鼻で笑って言った。


「それは今更ってもんだろ。どうせあんたらは隠密に向かない顔だ。むしろ売ってったほうが縁も情報も集まるってもんさ」


「…………すまんが、ひとまず保留にさせてくれ」


 これ以上、言葉を重ねてはあれおあれよと言いくるめられるのが明白だ。

 宵闇は戦力的撤退に移るべく、やんわりと視線を逸らして宣った。






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