第59話「礎」




 孤児院の中庭で、木剣を素振りする少年がいた。

 年の頃は13かそこら。


 時折雲間から除く陽光が、その少年の柔らかな金髪を照らしていく。


 彼が素振りを初めて既に数時間。


 時折、自分の動きを確認するように動作が緩慢になるものの、基本的に単調なリズムで木剣が振られ続ける。


 誰に師事しているわけでもないだろうに、その動きは堂に入っており、バランスよくつき始めた筋肉が完全に制御されていることがうかがえた。


 しばらく風切り音だけが周囲に響いていたが――。


 そこへ、彼とそう年の変わらなそうな人物が近づいてきて言った。


「見つけたぞ」


「……」


 その接近に予め気づいてはいたのか。


 素振りをゆっくりと止めた少年は、近寄ってきた人物に向き直る。そして、その見るからに身分の高そうな装いを認めると、素早く額づいて礼をとった。


 その相手の行動に慣れた視線を向けつつ、新たな人物は年に似合わぬ堅苦しい口調で言う。


「一応、お前の名を確認しておこうか。名は何という?」


「…………アルフレッドと申します」


 その静かな答えに、金髪に碧眼、威風堂々を絵に描いたような少年はクイと口端を上げる。


「そうか。俺の名はルドヴィグ。――厳密には、俺たちは既に初対面ではないのだが。まあ、ひとまずここでは“初めまして”と言っておこうか」


 そんな物言いに、アルフレッドと名乗った少年は多少動揺を見せつつ言った。


「…………のような孤児に、恐れ多いことです」


 その畏まった返答に、ルドヴィグ少年はむしろ嫌そうに顔を顰める。


「フン。……ちなみに俺は、あまり形式ばったやり取りが好きではない。この場では自由な発言を許可する。頭も上げろ。

 そうだな……。まずは、お前から何か言いたいことはあるか」


「……」


「なんだ、何もないのか」


 上体を起こしながらも返答に迷うアルフレッドに、ルドヴィグは更に機嫌を悪くしたようだ。

 アルフレッドは、無難な程度に従っておこうと口を開く。


「……では、畏れながら。……本日、殿下がこの場にお越しになった御用はなんでしょうか」


 その発音も正確な問いに、ルドヴィグは機嫌を直して返答する。


「なに、の様子を見に来た。案外あっさりとこの場に来られて、正直、拍子抜けしているところだ」


「……」


 アルフレッドは咄嗟に言葉を返しかねて押し黙った。ルドヴィグの含意が読めなかったからだ。


 その相手の反応に、ルドヴィグは軽く驚き、声音を落とす。


「……そうか、お前は知らんのか。……まあ、いい。嫌でも後々知る」


 そう言って、ルドヴィグはその場を仕切り直しつつ、意味ありげに微笑んで話題を変える。


「……ところで、お前の保有魔力は想像以上だな。下手をすれば兄上より上かもしれん」


「!」


 目を見開くアルフレッドに、ルドヴィグは楽し気に言った。


「はッ、それで隠せている気でいたのか? あいにく、俺の眼は特別でな。

 それに、通常時でそれほどの魔力を纏っているのはさすがに目立つ。俺でなくとも察する者はいると思うぞ」


 そうして思案気に「――まあ、そこら辺の扱いは今後の課題だな」と呟きつつ、ルドヴィグは言った。


「それに、多少モノを知っていれば、魔力に関してはその容姿を見て真っ先に発想することだ。何しろ、過去の記録を見れば、亜人が魔力総量に優れているのは明白だ。

 お前の意思に関係なく、遅かれ早かれお前という存在は世間に知られていたことだろう」


「……」


「国としては、それだけの人物を野に放っておくわけにもいかん。俺がお前を見つけた以上、近いうちここに人を寄越す。そいつらの指示には素直に従っておくことだ」


 そう言って口を閉じたルドヴィグに、アルフレッドは慎重に問う。


「……殿下。わたくしから1つお尋ねしてもよろしいでしょうか」


「良い。なんだ」


 即返った頷きに、少年は言った。


「貴方様が本日こちらにいらしたのは、……わたくしという駒を一早く手中にするため、でいいのでしょうか」


 その問いに、ルドヴィグは面白そうに口端を上げる。


「やはり頭の出来は悪くないな。そう、その通りだ。……それで? お前はこれを知ってどうする?」


 これにアルフレッドは一瞬苦々し気に表情を歪めたのち、それを隠すように頭を一層下げて言った。


「…………今後、わたくしに一体どれほどの力が与えられるかはわかりませんが――。これからのち、可能な限り殿下のために尽くすと、僭越ながらこの場で誓うことを許していただけないでしょうか」


 そんな一見飛躍した申し出に、ルドヴィグは戸惑うことなく噴き出して言った。


「……ハハッ! そうだ。その選択が一番だろうよ」


 そして次いで言う。


「何しろ、世に知られたお前には、これから様々な輩が寄ってたかって群がってくる。だが、そいつらよりも、この俺を選んでおくのが無難だろう。

 なぜなら、こんなところまで直接出向いてくるほど、お前を欲しているのがこの俺だからな。

 どんな奴よりも、お前の助けになってやろうとも」


 まるで甘言でも囁くように言った後、ルドヴィグは一転、破顔して呟く。


「――しかし、その“不本意”を絵に描いたような顔っ、ククッ。ここ最近で一番の傑作だな」


「……」


 ルドヴィグ本人に悪気はないのだろう。その様からは、心底、面白かったから笑っているのが感じられる。


 だが、アルフレッドからすれば決して気分のいいモノでないことは確実だ。


 彼は内心で努めて平静を繕いつつ、その場の空気が切り替わるまでひたすら待った。そうして、再度問いかける。


「…………なぜ、なのでしょうか」


「なにがだ?」


 今更前置きする必要もないなと、アルフレッドは直截に言う。


「わたくしに、果たしてそこまでするほどの価値があるのだろうか、と」


 この問いに、ルドヴィグはこれまでと同じく自信に溢れた物言いで――しかしそこに、僅かな切実さも滲ませて――、ゆっくりと頷いた。


「ああ。大いにあるぞ。……第3王子という俺の立場からすれば、な。お前を確保しておくことで、俺にも相応の価値がでる」


「……」


 思いのほか真に迫った返答に、アルフレッドはまたもや言葉を失った。

 それに構わず、ルドヴィグは言う。


「――俺もゆくゆくは臣籍に降りる予定だが。さりとて、それまで安穏ともしていられないのだ、俺のような立場ではな」


「理想は成人までの平穏。それを確保するために、お前という存在が俺にとって有力になると判断した」


「……」


「つまり、俺とお前は一蓮托生。俺が落ちればお前の地位も揺らぎ、お前が失敗しても俺には多少の影響が出る。…………どうだ? 怖気づくか? だが、お前のとれる中で、最もマシな選択であることは確かだぞ」


 こんなことを言われたアルフレッドは、更に目を見開いて驚いていた。

 ルドヴィグ少年の言葉に嘘がないなら、ただの孤児ごときに、仮にも王族が進退を賭けるというのだ。


 とはいえ、その言葉が一体どこまで本当なのかはもちろん不明だ。現時点では大部分が甘言だろうとアルフレッドは判断する。

 しかしそれでも、彼に他の余地はない。


 何しろこの国では、高い魔力を発現した人間は元がどんな身分の者であれ、貴族として遇されるのだ。

 庶民の間では一攫千金、憧れを一心に集める夢物語のような話だが。――しかし、実際のところ貴族階級に縁故のない庶民が急に取り立てられ貴族としての権限と義務を負わされても、まともに動けるはずもない。


 特に、身分の最底辺ともいえる孤児がその立場に置かれたならば、最悪使い勝手のいい駒として使い潰されるのが落ちだろう。


 それが嘘偽りない現実だ。


 それくらいならば、アルフレッドが魔力の扱いをモノにし、貴族の世界での振舞い方を身につけるまで、ルドヴィグの――王国第3王子の傘下に入っておくのはこの上ないことだろう。

 少年は先の一瞬でそこまで思案し、自らの将来を選び取ったのだ。


 とはいえ、これは本当に些細な足掻き。

 彼の未来が五里霧中なのは相変わらずだ。



「――他に聞きたいことはあるか」


 そんなルドヴィグの確認に、アルフレッドは首を振る。


「…………いえ。委細、承知いたしました」


 そうして改めて少年は頭を下げる。

 一方、その少年と同い年の王子殿下は、その表情に皮肉な笑みを浮かべて言った。


「それでは、互いに茨の道行きと行こう」



 こうして、彼らの関係は始まったのだ。










――――









 その日の日暮れ頃。

 とある質素な寝室に、少年がいた。


 そうして抑えた声音で言う。


「副院長……」


 そのささやかな呼びかけに、寝台に沈むように寝ていた女性は、ピクリと瞼を震わせ目を開ける。


 そして視線をさまよわせ、傍らに立つ少年を認めると、微笑みながら言った。


「…………どう、したのです、アルフレッド」


 しかし、その声音は力なくかすれ、その瞳にも輝きはない。かつてはきっちり結い上げていた髪も今は落とされ、今では白髪の方が多い髪にも艶はない。

 見るからに瘦せ衰え、床に臥せるその姿には、数年前の矍鑠かくしゃくとした様は見る影もなかった。


 実際のところ、彼女は既に「副院長」でもない。

 だが、長年使い続けた呼称だけに、少年は中々直すこともできないのだ。


 それに、今更彼らの間で相応しい呼称も他にない。

 最近では、特に訂正することもなくなっていた。


 

 少年は静かに答える。


「今日、第3王子殿下と庭先でお会いしました」


 それへ、女性は柔らかく笑んで言う。


「そうですか。どうでしたか、あの方は」


「……」


 女性の問いに少年が返したのは沈黙と――。


「フフ。その様子だと、ほぼ私の予想通りだったようですね」


 少年の微妙な表情から全てを察したのか、女性は囁くように笑う。

 それへ更に複雑な表情を返しながら、少年は言った。


「……あの方は、副院長がお呼びしたのですか」


 女性は軽く首を振る。


「いいえ。あの方自らが打診してこられたのです。……貴方の存在をどこかでお耳にいれたようですね」


 そうして、視線を少年から天井へと移して言った。


「……いつかは、このような日が来ると思っていました」


「……」


 数秒の横たわった沈黙ののち。

 女性はもう一度、少年へ視線をやって言った。


「――アルフレッド、心しなさい。……貴方が、これから立ち入る道は、ねたみ、そねみ、悪意が渦巻く尊き世界。一瞬でも気を許せば、取って食われると覚悟なさい」


「はい……」


 その素直な頷きに、女性は目元を歪めて言葉を継ぐ。


「――本当に、お前の行く末を、今後も見守ってやれないことだけが心残り」

「っ」


 思わずこぼした、とでもいうようなその呟きに、女性は次の瞬間ハッとして口を閉じたが、しかし少年の心を揺さぶるにはそれで充分すぎた。


 彼はたまらず、寝台に身を乗り出して言ってしまう。


「かあさっ……いえ、ふくいんちょうっ」


 その彼からも思わず出てしまった言葉に、女性は目を見開いたのち、笑い皺に涙さえ滲ませ微笑んだ。


「フフ……。存外、うれしいものですね、お前からそう呼ばれるのは」


 対する少年は、万感の想いから言葉を詰まらせ俯いている。

 そこにあるのは、羞恥や歓喜、寂寥と諦観。――そして、捨てきれない希望。


 いくら大人びた言動をしていても、そこにいるのはただの子供だ。


 返す言葉に迷う少年へ、しかし表情を改めた女性は静かに言った。


「アルフレッド。……実は貴方の出生について、言っておかなければならないことがあります。聞きたいですか」


「……」


 音もなく横に振られた小さな頭に、最初から答えを予期していたように女性は応じる。


「……そうですか。なら、すでに文書は残してあります。私の机の一番上の引き出しです。わかりますね。

 後々気になったら、自分で読みなさい」


「はい」


 これには素直に返った頷きに、女性もまた複雑な表情を浮かべる。


 しかしこちらは、これまでの人生を、少年を通して振り返っているかのようだった。


 そうして再度、沈黙があった後。


 女性が、力尽きるように息を吐いて言った。


「ふう……。少し疲れました。私はやすみます」


「……」


 そうして、一度目をつぶったものの。

 女性は、ふと思い出したようにもう一度目を開き、少年に微笑みを向けつつ言った。


「いいですか。……貴方は、これから人の役に立ちなさい。人を、助けなさい。いいね。私からの、唯一の頼みだ」


「っ……。 わかり、ました」


 少年の返答に女性はすっかり安堵した様だった。今度こそ、その黒い瞳を瞼の下に収め、彼女は静かに息を吐く。


「かあさん……」


 小さくこぼれたその呼びかけを、果たして彼女が聞けたかどうか。




 それを知る手段は既にない。







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 そうして、パキンッと何かが壊れる“音”がした。


「あぁあぁぁぁ……!!」


『うわっちょっと待ってよ、落ち着いて! これじゃ――』


 その瞬間、青年の慟哭と焦燥の“声”が森に響いた。






第59話「礎」

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