第58話「過去」
青年の悲痛な声が空間を伝っていく。
それを意にも介さず、妖しのモノは興味の赴くまま、青年の“中”へと潜っていく。
『やっぱり、君とボクって似てるみたい』
「やめろ!」
『君もこの世界ではずっと独りだった。……ああでも、最近は違う?』
「でていけっ」
『そう言わずに!』
「っ!!」
必死に精神で拒否するも、その抵抗はほとんど意味を為していない。
なにしろ、妖しのモノは手慣れていた。
自らの存在を完全に魔力へと変換し、人の神経系へ瞬く間に接続。その中枢――脳にある“記憶”を引き出していく。
『――君から見た外の世界、ボクに教えてよ』
「っ」
それを最後に、青年は言葉を失った。
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石造りの冷えた廊下を、2人の女性が歩んでいた。
「副院長、正気ですか! 忌子を、しかも亜人を預かるなど!」
そんな批難の声を後方の女が上げたのに対し、副院長と呼びかけられた方は、振り返りもせず頷いた。
「ええ」
淡々とした返答に、後方の女はなおも強く食い下がる。
「然るお方からの申し出とはいえ、そんな恐ろしいっ」
その言葉に、副院長と呼びかけられた者は足を止め、振り返って言った。
「……では、逆に尋ねますが、この子を預かれる場所が他にあるとでも? 先方にどう言って断るつもりです」
「っ……」
女が咄嗟に黙った一方、副院長はその両腕に抱えたモノに視線を向けた。
――そこにいたのは、3歳ほどの少年だ。
ふわふわとした金の髪に、宝石のような翠の瞳。あどけない造作の中にも、将来はさぞや、と思わせる美しさが既にそこはかとなくある。
また、着ている服の布地は傍目にもわかる上等な絹だ。
ただ、その表情は不自然なほど凍てついており、ピクリとも動かない。
あまりに無反応なその様子は、まさに精巧な人形のよう。
時折ゆっくりと瞬くことから、辛うじて生きていると判断できる。そんなレベル。
――明らかに異常だった。
まだ幼い少年がなぜそんな状態になってしまったのか。
実は、それを察してあまりある特徴がその子供にはあった。
彼の耳は異様に長く尖っていたのだ。
この世界では、いわゆる“亜人”と蔑称されるその外見。
歳の割に寒気がするほど大人しいその彼の様子から、一体今までどんな態度で周囲の人間たちが彼に接していたのか。薄々察せられそうなものだった。
そんな幼児へ、一瞬痛ましげな視線を向けた副院長は、再度背後の女性へ静かに言った。
「……実際、断るなどできはしないでしょう。ならば粛々と受け入れなさい。
第一、この子の何を恐れるのです。ただの無力な子供でしょう」
白髪交じりの黒髪を几帳面に結い上げた副院長の声には、子供に向けるその視線とは裏腹に、冷淡な響きさえあった。
よくよくモノを観察する者でなければ、副院長と呼ばれるこの人物の印象は「冷たく厳しい人間」となるのは明らか。
実際、見るからに生真面目な修道女、といった風情の女は多少の緊張と怖れを滲ませつつ、副院長へと果敢に反論し続けていた。
「副院長、そうは言いますが
その言葉に、問われた女は眉をひそめて返した。
「……つまり、その忌み子を育てる者もまた、神々に疎まれかねない。だからこの子に関わりたくはない、と。
貴女が言いたいことは、そういうことですね?」
黙って頷いた修道女に対し、副院長は深々とため息を吐いた。
「ハア。……嘆かわしいことですね。貴女ぐらいであれば、もう少し
「副院長? いったい――」
修道女からすれば全く腑に落ちない言葉だったのだろう、いぶかしげに上がる声に、副院長は被せて言った。
「いいですか? 我らを見守っている神々、特に地母神ガリア様――、貴女もその恩恵をその身に受けている1人でしょう。もちろん、その慈悲深さは承知していますね」
「……はい。恐れ多くも日々の糧をいただいております」
修道女は戸惑いながらも頷く。
「また、このガリスティア孤児院も、その名の通りガリア様の名のもとに、すべての子供たちに神々の恵みを与えんと創設された場所であることも、貴女は、当然承知していますね」
「……もちろんでございます」
「ならば、自ずと答えは出るでしょう」
副院長は静かに言葉を継いだ。
「――確かに、この子は神の怒りを受けたのやもしれない。ですが、我らの母たるガリア様ならば、そのような者もご慈愛くださるのは自明の理。そうとは思いませんか」
その論説に、修道女は下手に否定することもできず、腑に落ちない感情を必死に抑えながらも肯定する。
「……はい。……確かに、地母神様ならば」
しかし、傍目から見ても修道女は納得していないのは明らか。
実際のところ副院長は、このように説いてしまえば表立って不平は上げられないだろうと、見越したうえで言っていた。端から説得する気もない。
内心葛藤している修道女の心情を正確に把握しながら、副院長は不毛な会話に終止符を打った。
「では、この話はこれで。この子――アルフレッドの養育は、この私が直接行います。部屋をすぐに用意させなさい」
「はい……」
そうして場面が切り替わり――。
今度は、日当たりのよい室内で女性と幼い少年が話していた。
「――そういえば。貴方は知っていますか? 第3王子殿下が半月後、6歳の誕生日を迎えられるそうですよ」
「……すみません。知りませんでした」
感情の起伏のない返答に、女性は苦笑を浮かべて言う。
「まあ、そうでしょうね」
なんとも静かなやりとりだった。
対照的に、あけ放たれた部屋の窓からは、少し浮ついた街の空気が伝わってくる。
大方、王子殿下の祝いにかこつけ、盛大に祭りができると民たちは浮足立っているのだろう。何しろ、この国では6歳の区切りは重視される。
庶民階級なら早い者では通いの奉公にだされたり、貴族階級でも本格的な教育が始まったりする年齢なのだ。大人への階段を一歩上がる歳と言える。
そのため、彼らが今いる孤児院は第2城壁の内側だが、最近の王都では第3から第2まで殊更活気に溢れていた。その喧騒が、この部屋にもそこはかとなく流れ込んできていた。
太陽の位置からすれば時間はまだ朝。
ちなみに、このガリスティア孤児院においては子供たちや修道女たちが早朝の勤めを終え、朝食を食べ終わったばかりのような時間。
その、ちょっとした休憩時間の事だった。
わずかな沈黙を挟み、女性はゆっくりと呟くように言う。
「……
「……」
感慨深げな女性からの眼差しに、返答を迷った少年は沈黙を選ぶ。
それを気にせず、部屋の中央部に置かれたソファセットで向かい合いながら、女性は――少しの苦しみを込め、言った。
「……あと数年は、私もこの地位にいられるといいのですが……」
その独り言のような言葉の含意を敏感に察し、少年はたどたどしく頭を下げる。
「ふくいんちょう、いつも、ありがとうございます」
そんな、6歳にしてはモノを知りすぎている振る舞いに、女性はあいまいに苦笑して言った。
「……貴方の場合、聡明であることが吉と出るか凶と出るか、わからないところですね」
「……」
再度沈黙した少年に、女性は数舜迷ったのち、言った。
「――ですが、自らの運命は、やはり、自ら選んで生きていきなさい」
その女性の言葉に、少年は翠の瞳を素直に向ける。
彼女は噛んで含めるように言葉を継いだ。
「いいですか。
愚かなまま、他人にいいように使われるのも1つの道ですが、たとえ苦しかろうと、知識を蓄え自分の頭で判断しなさい。それが真の人間というものです」
「……」
少年は何度か瞬きを繰り返し、女性が言った言葉を懸命に理解しようと努めている。
そんな様子に、女性は再度苦笑して言った。
「さすがのあなたにも、少し早かったようですね」
そう告げて、女性は切り替えるように、ゆっくりと立ち上がって言う。
「さて。――では、勤めを再開しましょう」
「はい」
対する少年は、自分の身体に合わないソファから慎重に降りつつ、慣れたように返事をした。
「次のお前の持ち場は、礼拝室を囲む廊下です。終日までに半周は終わらせなさい」
「はい」
そう言葉を交わしながら、彼らは部屋の外へと連れ立って出て行った。
そうしてまた時が流れ――。
薄汚れた石造りの壁へ、ドンっという鈍い音ともに、10歳程度の少年の身体が打ち付けられる。
「お前、生意気なんだよっ。なんでお前だけ副院長に目をかけられてんだ!」
ドサリと地面に落ちたその少年を労わる者はなく、代わりに鬱憤の満ちた罵詈雑言が投げつけられる。
「そうだ! 耳の形おかしいくせにっ」
「おまえみたいなのを、亜人っていうんだ! 俺たちとおんなじ空気吸ってんじゃねえよ! 亜人!」
「……」
口々に責め立てるのは少し年嵩の少年たち。
一方、彼らから浴びせられる言葉に、未だ地面に伏せている少年は一言も返さず黙り込む。
そんな相手の様子に勢いを得たのか、寄ってたかって弱者を囲い込んだ少年たちは、更なる無形の刃を振り下ろした。
「お前、神様からみすてられたんだろ。大人達が言ってたぞ!」
「だからお前の親にだって捨てられたんだ。つまり、俺たちよりも、お前はもっと下ってことだろ!」
「そうだ、そうだっ」
少年たちは興奮し、無抵抗な相手へ言葉だけでは飽き足らず、遂に蹴りを加えようと足を振り上げる。
さすがのこれには、今までほとんど無反応だった少年も、たまらず反射で頭を庇う。
しかし、その瞬間――。
「何を騒いでいるんです!」
「「「!!!」」」
その場に響いた甲高い修道女の叱責に、少年たちはパッと蜘蛛の子を散らすように走り出した。
「各自の勤めを果たしなさいっ。ほら!」
そんな彼らを追い立てた若い修道女は――。
1人残され未だに蹲っている少年をチラリと見遣って呟いた。
「……きみのわるい」
ただ一言。
そうして倒れこんでいる少年を助け起こしもせず、修道女はその場を去っていく。
「……」
一方、ようやく独りになれた少年は、安堵の息とともに――。
どうしようもない感情を持て余し、その身体を震わせていた。
――――
少年の向かいに立ち、女性――副院長が静かに告げる。
「アルフレッド。自らに、価値をつけなさい。――誰もが貴方を無視できないような、“力”を身につけるのです」
うつむいて微動だにしない少年にも、女性は構わず言葉を継ぐ。
「それは知恵であり、振舞い方であり――そして、魔法や魔術です」
ピクリと肩を震わせた少年に、女性は淡々と言った。
「貴方には、きっと高い魔力が発現するでしょう」
そう言った女性の声音には、隠しきれない諦観が滲む。
「――それによって、貴方に向けられる目はより厳しいものになる」
少年の行く末を憂えつつ、女性は言った。
「ですが、それを賢く用いるのです。……そうして、自らの価値を高め、生き残りなさい」
その女性の言葉には、一切の甘えも許さない――少年の将来を想うからこその――厳しさがあった。
そうして、また場面は切り替わる――。
第58話「過去」
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