第44話「傍らにあるモノ」

====================================================================

=========================




――時は戻り、噴火が始まって3日目のこと。



 この日の正午、により塞き止められていた溶岩の一部が、遂に決壊した。


「!」

『っ』


 その異変は当然、魔力の供給源たる青年――アルフレッドと宵闇、そして月白にも伝わっていた。


『アル! 諦めろ!』


「ですが!」


 咄嗟にそちら遠い後方を見た青年を、黒い虎が止め、白い巨鳥も淡々と言う。


『取捨選択だ』


「――っ」


 その言葉に、青年は振り切るように視線を戻し、前方の火口を鋭く見遣る。


 

 彼らは今まさに、自然災害を相手にした絶望的な消耗戦の真っただ中だった。



 周囲で熱を帯びていない地面は既になく、視界は黒い噴煙のためにほとんど効かない。

 足元には赤くくすぶる噴石がところ狭しと転がり、まともに歩くことは勿論、火山性ガスも発生しているため呼吸すら容易ではない。


 そんな環境にあって、青年は虎の背に負われながら移動し、灰やガスに対しては気流を操作して軽減している他、もちろん口元は布で覆い、また黒い虎――宵闇ショウアンが一部同化しつつ、ガスの毒性や火山灰から彼の身体を守っていた。


 それでもアルフレッドの体力が削られないはずはなく、灰で真っ黒に汚れた身体や衣服を整える暇もない。


 いつ終わると知れない天災との持久戦に、青年は、上がる息を努めて抑えていた。


 そこへ――。


『来るぞ』


『ああ!』


 巨鳥――月白ゲッパクが一声上げ、力強く地を飛び立った。虎もまた、アルフレッドと共に移動を開始する。


 巨鳥は上空で旋回し、一方の虎と青年が向かったのは、最も火口に近い第一の結界だ。


 そして間もなく――。




――ズアァァアアッ。




 歯の根の浮くような地鳴りがまず鳴った。

 次いで火口から覗く、不気味な赤い輝き。


 それはまるで血のように、しかし、宝石のようにもきらめいて、噴煙をともない拡がっていく。


 その間にも地底からは地鳴りが迫り続け、遂に緊張が高まりきったその瞬間――。




――ッドオォォッオンッ。




 大砲の発砲音のような轟音とともに、赤い軌跡を描き、吹き上がったマグマが四方八方へと飛び散った。


 高温のため、地に落ちながらもその赤みは損なわれず、火口の周囲へバラバラと降り積もってくる。


 それらを見事に宵闇と青年が避けきる一方、上空へと大量に吹き上がった噴煙は、月白の巻き起こした突風により、バスディオ山の南側裏手――人の住まぬ荒野へと吹き降ろされていた。


 普段の月白なら起こせない威力の風だ。


 なにせ、大型の鳥類程度しかない彼が、高度数 kmまで瞬く間に到達する噴煙、その運動法則を無理に捻じ曲げ、制御しようというのだ。


 黒々と立ち上る噴煙の前では、月白の白い姿はひらひらと舞う花びらも同然。

 さしもの彼でも、尋常でない魔力を一瞬で消費する荒業だ。


 しかし。


――ゴオォォッ!!!


 月白が一度ひとたび翼を打てば、ありえない規模で周囲の空気が収束し、それが噴煙にぶち当たる。


 上昇のエネルギーが打ち消されれば、噴石は落下し、微小な灰は水平に押し出される。

 黒い柱がボキりと折れ、ほどけるように拡散する。

 

 それを間断なく複数回。


 こんなことはだ。

 あっという間に魔力が枯渇し、存在を保つのも難しくなる。


 だが、彼はそれを実行する。

 魔力の限界が近づこうがお構いなし。


――何しろ、消耗を回復するはある。


 それを頼みに、彼はひたすら本能的な恐怖を鋼の意思で抑え込み、淡々とおのが役目を力強い羽ばたきで果たし続ける。



 そうして散らされながらも、黒々とした噴煙の中では火山灰が擦れ合い、強烈な静電気が発生する。ゴロゴロと不吉な唸りが響き、亀裂のような光が間断なく瞬いた。



 ひるがえり、それを火口間際の地表で見上げる宵闇とそれに跨ったアルフレッド。


『くっそ。!』


「なに呑気な事をッ」


『ごもっともッ』


 いよいよ溶岩があふれ出し紅く脈動しながら斜面を下る、その先に駆け込んでいく彼らは、これ以上ない悪環境の中、確実に蓄積している疲労感を意識の隅におしやるために、無意味な会話を軽快に挟む。


 そうして目的の位置に達し、彼らは地面に伸びる“結界”へと力を注いだ。

 もはやこの数日で数えきれないほど繰り返した動作。


 結界の運用はアルフレッドが、その補助として宵闇が魔力制御を一手に担う。

 双方を繋ぐ “リンク” があるからこその離れ業。


 そうして緻密な連携のもと、起動される術式は、事前に彼らが構築していた結界だ。火口を半周し、山麓を守るように三重に敷かれてたそれは、もちろん溶岩を塞き止めるためのモノ。


 その1つ目が、役目を果たそうと再度輝きを増した。

 しかし――。


『ガ!』


「っ」


 火口から噴き出る溶岩は辛うじて結界に阻まれるも、次から次へと迫ってくるその圧倒的な質量に、宵闇とアルフレッドは短く呻く。


――連日酷使した身体から、再び物凄い速度で魔力が流れ出る。


 何しろ彼らがその魔力で支えるのは、その長さ十数kmにも及ぶ長大な結界だ。


 一方、赤く光る溶岩は地上でものったりと移動を続け、凝固する次からそれを乗り越え、やがては結界をも超えていく。


『ディー!』


 たまらず虎は叫んだ。

 それに応えるかのように、火口から一際赤い軌跡が吹き上がる。


――いや。


 現れたのは更なる溶岩ではなく、赤く輝く龍身だ。捻じれた2本角、たなびくひげ。そして黒と金の混じる龍眼が地上を睥睨する。


 しかし、それは一瞬。


 その龍はすぐさま空中で向きを変え、一直線に虎と青年のもとへと迫ってゆく。


『受け取れっ』


 そう言って、赤い龍――ディーは、溢れるような魔力を伴いながら、虎と青年のすぐ脇を通過していった。


 その間に、ディーから虎へとその大量の魔力が受け渡される。


『サンキュー!』


 宵闇の律儀な返答にも構わずに、ディーは間髪入れず、今度は地を這う溶岩の間近に迫った。


『――さすがに、ちぃと辛い、が!』


 そんなディーのうめきと共に起こったのは――


 それまで赤く脈動していた溶岩が、まるで生気を吸い取られたかのように、一瞬で冷え固まって動きを止めたのだ。


 対照的に、赤い龍身は一層輝きを増し、たてがみが燃え上がるようにひるがえる。



――溶岩の灼熱を、ディーが魔力に換え、吸収したのだ。



 これが可能なのはディーくらい、といった芸当だった。


 “火”の適性をもついかなる存在でも、熱エネルギーを直接魔力に変換するなど、発想からしてまずしないモノ。


 魔力と世界の理を識るディーだからこその技だった。


 そのため、彼女の魔力は枯渇しない。



 だが――。




――この時点で最も消耗しているのは、間違いなくディーだった。




 何しろ彼女の役割は3つ。


 1つは、溶岩の熱エネルギーを魔力に変換し、その動きを抑えること。

 2つめは、その回収した魔力を宵闇やアルフレッド、月白に受け渡し、結界維持の助けとすること。


 そして3つめが、火口より地中に潜り、マグマの動きを制御すること、だ。


 この3つめの役目が、最も彼女の負担となっていた。

 言ってしまえば、マグマと同化し、それを操っているのだ。


 炎熱への耐性を持ち、ではあったが、その強大なマグマのエネルギーに何度もディーの魔力許容量が限界に迫る。


 その度に地上へ出ては、宵闇に魔力を受け渡す。その繰り返しだ。


 ただし、マグマの制御とはいえ、その活動を抑えているわけではない。

 むしろ、魔力を用いてマグマを活性化させ、地上へと追いこんでいるのだ。


 なぜなら。


 下手にマグマを抑え火口に蓋をしようとも、惑星の地殻変動が続くなら、その蓋はかえって地中のエネルギーを蓄積させる。


 そして、やがては抑えきれなくなり、大規模な噴火につながるのは眼に見えていた。


 で、あれば、と、採った方策がこれだ。



 そのため、バスディオ山の噴火は本来数年にわたって断続的に続くはずだったところ、この3日間、ほとんど間断なく比較的小規模に起こり続けている。


 その間、虎と青年が結界の維持を。月白は上空で主に火山灰や火山弾への対処を。

 皆が皆、力を尽くしながらギリギリのところで耐え凌いでいた。


 特に、アルフレッドはほとんど不眠不休だった。

 時折、ディーが噴火を抑え、青年が休息できる間隙をつくっていたが、それで十分なはずもない。


 麓に待機するイサナが食事を用意しており、それを時たま口にできてはいたが、睡眠は宵闇の背に乗ったまま。

 すっかりその状況にも慣れ始めている。




 そうして灰にまみれ、灼熱と毒ガスに晒されながら、それでも彼らは力を尽くしていた。




 しかし、遂に4日目のこと――。




『ガッ! ァア、ハッ。ア、ア!!!』


 ディーに限界が訪れた。


 赤く輝く龍身が、制御を失いのた打ち回る。

 降り積もった火山灰が巻き上がり、噴石がゴロゴロと崩れ落ちる。


 許容量を超えた魔力に耐えられず、彼女の自我が崩壊しかかったのだ。


『グ、グゥ、ア、アアア!!!』


 だがそれでも、ディーは驚異的な自制心で立て直す。

 勝手に暴れまわる身体を抑え込み、体内の魔力を整えようと全力を注ぐ。


 何しろ、この間も噴火は続いていた。

 最後の熾火と言って良かったが、全てをギリギリで凌いでいただけに、ディーが欠けた穴は大きい。


 すなわちこの時、その均衡が一気に崩れようとしていた。


 皆が「あともう少しなのにッ」とほぞを噛み、どうにもならない現実を受け入れるか否かを迷った瞬間――。


「クロ、ディーのところへ」


 屈みこんだアルフレッドが、宵闇の耳元で言った。

 極度の疲労と周囲の悪環境のために、その声はかすれ覇気はない。

 

 宵闇の決死のサポートにより、こちらの青年も辛うじて魔力の暴走は回避している、といった状況だ。

 第一、正真正銘、人の身のアルフレッドが、こんな非常識な現場に留まり続けていること自体、呆れかえる話。


 今も、獣姿の宵闇の背にほとんど全身を預けながらの指示だった。


『一体何を――』


「早く」


『……』


 有無を言わさぬ催促。

 確かに、ディーに続いて宵闇もアルフレッドも対応から離れるとなれば、時間的猶予は全くない。


 たとえこれから彼がやることが、その身を更に削るような行為だったとしても、現状、打つ手を持たない宵闇に、頑固なアルフレッドを翻意させるだけの言葉はない。





 そして実際、彼は無理を押し通し、賭けに出た。

 

 消耗したディーと、という賭けに。







===============================

=====================================





 そうしてようやく。


 500年ぶりに始まったバスディオの災厄は、4日目の日暮れに終息した。



 この間、建物や作物に被害はあれど、噴火による直接的な死者はゼロ。

 また、懸念された火山灰による寒冷化も限定的。

 

 結果、農民の離散でこの年のカルニスの農業は一時減退したものの、致命傷には至らず。翌年の春にはほぼ例年通りの生産量を取り戻すまでになる。


 併せて、オルシニアの穀物庫、西部イルドアへの影響は皆無と言ってよく、もちろん食糧不足による餓死者などもなし。


 この時代を生きる誰もが全くあずかり知らぬことだったが、これはまさに、奇跡的な状況と言って差し支えなかった。




 そしてきっと、後世の学者は発見し、首を捻ることだろう。


 バスディオ山噴火の歴史、その数々は間違いなく未曽有の被害をもたらすのに十分であったはず。だが、この時の噴火だけは異常に被害が少ないことに。


 あるいは、発掘調査などで真相に近づく可能性もあるのだろうか。


 が描いた術式を、不自然に偏った火山灰や火山岩の地層を、見出して。




 まあ、とにかく。

 彼らの活躍は、決して広く知られるものではない。


 何しろ、多くの人間には知識がない、想像力がない。共感力も足りない。


 この災害がこの程度で済むはずがないという知識、どうやって抑えられたのかという想像力。そして、一体がどんな思いでこの事態に相対したのか。それを想像し、我がこととして置き換える共感力。


 とはいえ、それが無い、あるいは、できないのは当たり前だ。

 理不尽な要求と言ってもいい。


 つまり。


 この事態の帰結として、彼の献身が特に称賛されないのは当然の事。

 ただ、確実に多くの人間を救った、ということだけが事実。

 



 彼にとっては珍しくもない、いつもの事。


 ましてや、彼にとっては特になんということでもないのだ。







第44話「傍らにあるモノ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る