第24話「その感情に名をつけられるはずもなし」
――再び数刻前に時を戻す。
ヘンネ村、その一画に、スラリと背の高い2つの影があった。
一方は、髪や眼も含め上から下まで黒づくめの男。残る一方は、鮮やかな金髪に翡翠の眼の美しい青年。
彼らは簡素な小屋を背にして立ち、夕闇迫る村に目を向けていた。
周辺には数十戸の家屋が建ち並び、時間的にはそろそろ夕食の準備も始まるかといった頃。現に幾筋か、煮炊きの煙も上っている。
そんな風情ある光景を、彼らは見るともなしに眺めていた。
「やあっぱ、イサナに事情聴くしかねえよなあ……」
何やら思い悩む男に、呆れた調子で青年は返す。
「僕からすれば、なぜそれを躊躇うのか理解に苦しむところですが」
これに、男は小屋の扉に寄りかかりつつ、苦い顔で言った。
「……まあな。だけど俺の感覚的に、
これに青年は淡々と忠告する。
「……それがあなたの特性だと理解してはいますが。今のうちに控えといた方が身のためですよ。……損ばかりするのは明白でしょう」
男は軽く笑って言った。
「ありがとよ、アル。……俺も、この世界に“人権”を保障する根拠がまだないのは、重々承知してるんだがなぁ」
「わかってる」とは口では言いながら、改める気の疑わしい返答に、青年は呆れの息を吐いた。
――のだが。
「……ところで、ジンケンとは何ですか」
「クハッ、ククッ」
青年は声のトーンも表情も一切変えず、
どう考えてもシリアスな場面でありながら、好奇心を抑えきれなかったのだろう青年に、さすがの男も咄嗟に噴き出し破顔した。
「――ッハア。不用意な言葉使って申し訳ねえな。
えぇっと……人権ってのは、ざっくり言うと“人間が人間として生きるためのあらゆる権利”のことだ」
未だ笑みの余韻を残しながら、男は立ったまま足を組み替える。
「俺が生きてた
この返答に、青年はしばし熟考した末、更に問う。
「……その文脈だと“人権”が人にあるとする根拠はなんですか。
民を己の所有物と見做す
まさか“神”が万人に与えたとでも?」
「あぁあ……。元はと言えばそう、だったかな……?
……確か
男は「そこ訊くのかよ」と多少動揺する。
流石の彼も、この辺りは曖昧な知識しかないのだ。
「だけど、俺が生きてた時代じゃ、人権っていう概念はもう暗黙の了解みたいなもんで、“法”によって保障されたものだった。
例えば、『
法の一説を
勿論、不十分すぎる説明だが、まさか
「あっつーまに本が1冊書けちまう」と、男は早々に話を誤魔化した。
「――それで、話を戻しますが」
多少、気まずげな様子で青年は言う。
「例えば、あなたが以前僕の怪我を治した魔法は使えませんか。あれをやれば、少なくとも回復は早まる。
あなたが気にかけているのは、彼の体力的な面もでしょう」
「……まあ。そうなんだがな」
確かに、指摘の通りではあった。
たとえ隣国の間者であろうとも、男からすればイサナは“庇護すべき子供”だ。
そんな子供が魔物に襲われ怪我を負い、更に今は見知らぬ人間たちに囲まれ、1人軟禁されているのだ。
精神的ストレスは相当だろう。
せめて怪我を完全に治療し、体力的な面だけでも負担を軽減できれば多少はマシと言えた。
しかし。
「――
これに、青年は訝し気な眼を男へ向ける。
「……あなたのあれは治癒魔法ですよね。何か制約でもあるんですか」
「やっぱ、この世界にもあるんだな、治癒魔法」
男は肩を竦めて苦笑した。
「単に俺が怖気づいてるだけだ。……生命ってのは本当に絶妙なバランスの元で成り立ってんだ。それを、魔力使って細胞の増殖を速めて治癒したり、あれこれ弄繰り回したりってのは、とてもじゃないが簡単にできない。少なくとも俺にはな。
お前にならまだしも、イサナに対しては傷に蓋してやるのが精一杯なんだよ」
そんな踏ん切りのつかない男の言に、「そうですか」と青年は責めるでもなく淡々と納得を見せた。
「とはいえ、彼に経緯を確認するのは不可避ですよ」
「だよなあ……」
男は力なく息を
「わかった。……駄々こねてすまんな」
青年に視線をやった。
「あとの判断はお前に任せるよ。特に俺は情が湧きやすいし、体調面以外は極力
「ええ。ぜひそうしてください」
そうして青年は、間髪入れず村の方を指差す。
「では、さっそく。クロ、彼の食事の用意をどこか適当なところに頼みに行ってきてください。
そう言い放った青年が、何を意図して言ったのか、それはもうあからさまだった。
すなわち、堂々と言質を盾にとり、強制的にイサナと男の間に物理的な距離を開けようというのだ。
「どうせ自分で言ってても口出すときはだすんでしょう」と、青年はその美麗な顔で物語る。
勿論、男にもその意図は正確に伝わっていたが、言質をやった手前、逆らえるはずもない。
苦笑を返しつつ、男は大人しく指示に従い、その場を離れるしかなかった。それに、空腹を抱えて起きるだろう少年のため、食事を用意しておくことも大事な事だ。
彼は「シリンさんたちの仮住まい、いや村長さんとこか――」そんな呟きを漏らしつつ、遠ざかっていく。
一方、その背を見送って、青年はようやく背後の扉へと向き直った。
この中に、未だ眠り続ける少年がいるのだ。
念のため返答がないと確認したのち、青年は室内に入っていく。
そうして見えた簡素な造りの部屋には、少年の横たわる寝床と数個の椅子しか家具がなかった。
人を軟禁するために、極力余計な物を排除した結果だ。因みに、村人の善意で一時的に譲ってもらった小屋の1つであったりする。
青年は後ろ手に扉を閉め、ゆっくりと、眠る少年の枕元に近づいていった。
やがてそこにあった椅子に腰かけ、彼は少年のことを眺め始める。
容貌は悪くないだろう、と青年――アルフレッドは思った。
もう少しでも整っていれば下手すると
むしろ十分、
髪は金茶で短髪だが、磨けば恐らくそれなりに見れるようになる。
瞳は……、確か緑だったな、と、青年は想起していた。
年の頃は十よりは上、といったくらい。
ただ、この手の人間――しかも子供――の食生活が充実しているはずもなく、いくらか痩せた体格からは正確な年齢は読みづらかった。
ついでに言えば、汚れた少年の衣服を着替えさせる際、男がしきりに気にしていた点でもある。
「……まったく、あの人も難儀しますね。僕やこういう人間は、掃いて捨てるほどいるというのに――」
青年は、静かにそう呟いたあと。
「ハアぁ……」
次いで盛大に吐かれた溜息は、その身の内から青年のあらゆる感情を吐き出すかのようで。続いて浮かべられた表情は、苦虫を数十匹まとめて嚙み潰したかのような苦り顔だった。
==========================================================================
未だ男は戻らない。
そんななか、青年の気配に促されたのか、先にイサナの意識が浮上し始めていた。
数秒身動ぎ、やがてうっすらと、その双眸が開かれる。
「起きましたか」
「……! ……ここ、は――」
青年――アルフレッドの声にビクリと身体を震わせ、少年の意識は完全に覚醒する。
次いで、現状を視認し焦燥を浮かべる彼の様子に、淡々とアルフレッドは告げた。
「ひとまず安全なところなので、安心してください」
「……」
「意識が落ちる前の記憶はありますか」
言葉もなく、少年はただコクリと頷き返す。
「そうですか。では、
「……?」
当然意味を汲み取れず、イサナは疑問符を浮かべ困惑したが、そんなことをアルフレッドが斟酌するはずもない。
彼は少年に上体を起こすよう促したのち、淡々と尋ねた。
「あなたはイスタニアの手の者ですね?」
「!!」
未だ痛みの走る右腕や背中を庇いつつ、漸う体勢を整えていたイサナだが、不意を突く核心的な問いに、意図せず
仮にも間者であるならば、これは致命的すぎるミスだった。
同時に、イサナは自分自身が着替えさせられていることにこの時初めて気づく。
すなわち、意識不明の間に腕の刻印を見られ間者として捕らえられたのだろう、と現状を理解した。
せわしく顔色を変える少年へ、アルフレッドはむしろ狙って問いを投げかける。
「あなたは従魔術を使い、この周辺で獣型に人を襲わせていた」
「っ……」
「加えて、山中に隠れ住む
「……」
アルフレッドはそうして問いを投げながら、少年の様子をつぶさに見ていた。
対するイサナもまた、下手に情報を漏らさないよう、精一杯やったのだが――。
「……どうやら、すべて当たっているようですね」
「っ!」
当然、場数の違うアルフレッドに通じるはずもない。
イサナも当然間者としての訓練を受けており、その技術でもって力を尽くしたわけだが……。
青年からすれば全く障害にもならなかった。
何しろ、アルフレッドは大国オルシニアの貴族に叙せられて十数年、その間、あらゆる方向からの煩わしい思惑や悪意に対し、遅れをとったことも、読み間違ったことも一度もないのだ。
そんな青年を前にし、たった十数歳の少年が少しでも抗えるはずはなかった。
第24話「その感情に名をつけられるはずもなし」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます