第4話「愛称……?」


『ところで、俺の呼び方、いい加減決めてくれよ』


 話題が一段落したことで、ふと虎が言った。


『――俺がつけた俺の名前は呼びづれえんだろ? なら、なんかお前が呼びやすいの付けてくれよ。いつまでも“あなた”とか“あんた”なんて呼びかけられるの、俺、嫌なんだけど』


「…………」








――ちなみに。


 他のことは詳細すぎるほど詳細に覚えているというのに、虎は“前世の名”を覚えていない。

 だから虎は、自分で自分に名を付けたのだ。









 そう、それはもう、になりかねないほどの長い長い熟考を重ねて。








 結果、本人的にを決定するに至ったのだが、いかんせん、日本語ぼこくごだったためにアルフレッド現地人にとっては発音しづらいものになってしまった。


 以来、呼び名をつけてくれと青年には言ってあったのだが、何だかんだ必要性もなかったため、先送りになっていたのだ。


「……別にいいでしょう」


 アルフレッドは数秒の沈黙の末、視線を逸らして拒否を示す。

 名づけをしたことも無い彼には特にアイデアもない。何度か同じことを言われていたが、毎回同じく返してきた。


 ただ、さすがのアルフレッドも先程は少し言葉が過ぎたと思ったらしい。その語気は弱い。


『ええー。いいだろ? クロ日本語でも、ブラック英語でも、ノワールフランス語でも、シュヴァルツドイツ語でもいいからさー。あ、ちなみに俺の希望はシュヴァルツな』


 もう1つ因みに言えば、“シュヴァルツ”は本名候補の中でもかなり終盤まで残っていたやつだ。


 だが、青年はある意味で期待を裏切らない。


「……じゃあ、クロで」


「チッ」


 虎の口から器用にも舌打ちが漏れた。


――これも因みに。


 かつての虎は“クロ”もチラリと検討したが単純すぎてほぼ速攻で候補から外した、という経緯がある。


 虎は言った。


『――お前の事だから選ぶと思ったよ。ネコじゃねえか、それじゃあ。……虎はネコ科だけどよ』


 半眼になり、パタリパタリと尾を揺らす虎に対し、青年は訝し気だ。


「なら、そもそも今の選択肢に入れなきゃよかったじゃないですか。あと、トラ? がネコカ? とはどういう意味ですか」


 疑問符を挟みながらの問いかけに、虎は視線を逸らして独り言ちる。


『あー。…………もしかしてこれは、進化論から説明しなくちゃいけないパターン……?』


 要らないことを口走ったなと多少、後悔しつつ、虎はどこから話したものかと思案した。めんどくさがって説明を省くと先程の様に青年が拗ねてしまう。


 虎がこの調子で前世の知識を口走り、アルフレッドがその詳細を尋ねる、というやり取りは前述の通りよくあった。虎もなんだかんだ言いつつ、自前の知識を披露できて楽しくはあるのだ。


『――この世界、というかアルが知ってる限りでは、俺に似た獣は見たことないんだよな?』


 改めて確認を取りつつ、虎は頭の中で科学的説明を組み立てる。当然、呼び起越す記憶は地球のもの、だったのだが――。


「ええ。獣ではいませんね。を含めたらわかりませんけど」


 この瞬間、ボスッ、と鈍い音が鳴る。


 青年から改めてを突き付けられ、虎が思わず布張りのソファーに頭を打ち付けた音だ。


『……そうだった。この世界、魔物っつうのがいるんだった……。ていうか、今の俺も魔物じゃん……』


 非科学的な存在が科学を語るなんてどんな喜劇か、とつっこみつつ、虎は一応の説明を試みた。


『――ひとまず、俺の知識で言えば、今のこの姿は“トラ”という獣に近い。トラの色違いな。……遺伝子がどうのって話は面倒だし』


「だからそうやって……」


 相変わらず省かれる説明に、再度眉をひそめた青年。

 対する虎は反射的に言った。


『勘弁してくれ。今、俺の頭の中では、『生物の教科書』が『ファンタジー世界』を冒涜しようとしてるんだ……!』


「……」


 呻く虎に対し、若干、引き気味のアルフレッド。

 沈黙を選んだ青年を見遣りながら、虎はどう説明したものかと言葉を選ぶ。


 虎としてはぜひともファンタジー側に立ちたいのだが、なまじちょっとした知識があるだけに、現在彼は科学でファンタジーを考察する――しかも自分という存在にツッコミをいれつつ、という自虐行為に(勝手に)陥っている。


 しかし、虎は意地でも科学とファンタジーの整合性をとりたいのだ。でなければ自身のアイデンティティが崩壊しかねない。


 ただ、アルフレッドにこの微妙なジレンマを伝えることも中々難しい。――ので、大幅に表現を簡略化して言った。


『あー……つまり、水と油を一生懸命混ぜようとしてる的な?』


 首を傾げつつ補足した虎に、青年もまた似たような仕草をしながら言った。


「……それは不可能なことでは?」


 水と油が混ぜても分離してしまうことはアルフレッドも知っていた。何しろ、生活の中でも目にする現象だ。


 しかし――。


『いや? 別に不可能じゃない。例えば洗剤界面活性剤いれりゃあ……って! この話も長くなるからナシな』


 そう。


 洗剤疎水基+親水基を加えれば、疎水基油と洗剤親水基水と洗剤分子似たものどうし間力が引き合う力がどうのこうので乳化という現象が起こる。


――すなわち。科学ファンタジーは、混合可能なのだ!


 虎は1人確信 (笑)を得る。



『で、話を戻すとだな。“トラ”という獣は“ネコ”という獣と、あー、血筋? が一緒なんだ。わりと最近※数千万年単位まで同じ生き物だった。俺の世界では、そういう血筋が近い生き物は一括りにして分類してたんだよ。その括りの1つがネコ科。で、トラはそのネコ科に分類される獣の1つ』


「なら、なおさらそのトラであるあなたは“クロ”でいいじゃないですか」


 青年に容赦は無い。


『ええー! “シュヴァルツ”の方がカッコいいじゃねえか! こんな厳つい奴指して“クロ”はねえよ』


 虎も粘る。


 “クロ”という名は是非とも、真っ黒でツンと澄ました愛らしい猫にこそ与えられるべきだろう、が――。


「じゃあ、クロで」


 にべもなかった。


『……今の流れで、“じゃあ”はどこにかかってんだよ……。まあ、“あなた”以外ならなんでもいいけどよ』


 こうなったらアルフレッドは梃子テコでも意見を変えないのだ。最終的にはいつも虎が折れてやる。



 ただ、虎の黒い尾だけが、とんとん、と、素直に不満を露わにしていた。









「――で、シンカロンというのは何ですか?」


「……チッ」


 せっかく感情を収めたところだったというのに、青年のとめどない追究で、思わず虎から2度目の舌打ちが出た。


 呻くように虎は言う。


『忘れてくれよ。上手く避けられたと思ったのによ……』


 その声音からは、どうにも気が進まない、という躊躇が垣間見える。


 何しろ、かつて進化論を唱えたる学者が、地球で一体どんな扱いを受けたのか。


 それを知る虎からすると、この話題は、異世界における進化論の証拠も見つけていない現状、できれば誤魔化したかったのだが――。


「こんな短時間に忘れるわけないじゃないですか」


 青年は、特に記憶力に優れていた。1度聞いたことはほぼ忘れないのだ。


 虎には諦めるしか手はない。


 ただ、その前に確かめておくべきことが1つあった。

 進化論を説明するには、この世界における“常識”を把握しておく必要がある。


『……ちなみに、この世界の“宗教観”ってどんな感じ?

 なんかすごい力持った奴が7日間で昼と夜からあらゆる動物と人間まで創った感じ?』


「なんですか、その話」


『俺の世界で一大勢力だった宗教の創世神話、ざっくり版』


「……」


 ホントかどうかを疑うような視線が虎に向けられる。

 ……大筋ではあっている、はずだ。


「少なくともこの国では、太陽を最高神としています」


 アルフレッドは、質問の意図を掴みかねながらも答えた。


 そもそも、科学が未発達なこの世界において、神話および宗教は人々の思想の根幹なのだ。“宗教観”という言葉さえ、この世界の人間には完全に理解しきれるものではない。


『その感じだと、たぶん自然崇拝寄りの多神教か。

 人間や動物、……あとは魔物、それらはどうやって生まれたって説明されるんだ?』


「……僕も大筋でしか知りませんが、確か知識の神が色々創って現在に至る、って感じでしたかね」


 地球の現代人感覚で話を進める虎に、青年の説明もまたアバウトだった。


『……今の言葉で、お前の宗教観も大体わかるな。そしてこの国はギリシャ神話系か』


 虎は少し安心する。アルフレッドが「神は絶対だ」とか言うような人間でないことは察していたが、その中でも神の存在に対し懐疑的な眼を向けている部類のようだからだ。


 実際、アルフレッド個人はこの世界の人間として異例なことに、神という存在を信じていなかった。否定する気はないが、積極的に肯定する気もない。どうにも神話的説明は都合が良すぎるし証拠が無さ過ぎる、と、青年は口に出さないまでも、常々感じていたのだ。


 一方、虎はといえば、無神論者寄りの典型的な (元)日本人らしい宗教観であるため、ガチガチの宗教家とは相いれない。そのため、アルフレッドのはありがたい限りだった。


 青年は軽く返す。


「神学には学ぶ意義を感じてこなかったもので。……で、それがシンカロンとどう関係するんですか?」


『そういう、“神の存在”を全否定する話が進化論なんだよ。

 さっきトラはネコ科に属する、って話、したろう? そうやってあらゆる生物を分類、紐づけしていくと、最終的に全ては1つの生物に収束していく』


 虎は訳知り顔で頷いた


『つまりは、全ての生物は神の創造物なんかじゃなく、元々みな同じってことだ。ざっくり言うと』


「……明らかに省略しすぎてますよね、その説明」


 アルフレッドは眉をしかめて不満を示す。

 確かに、もう一声欲しいところ。


 ところが一転、虎は脱力して寝そべった。


『だって難しいんだもんよお。この場に化石とか、骨格標本とかあれば一発なんだが……』


 特に各生物のを並べた骨格標本とかあれば不足はない。


 虎が両耳を真横に倒した情けない姿で嘆いていれば、呆れた様子で青年が言う。


「あなた、自分で説明を嫌がっておいて、新しい単語次々と出さないでくれますか。シゼンスウハイ、タシンキョウ、ギリシャシンワにカセキ、コッカクヒョウホン、でしたか。全部説明してくれるんなら、文句は言いませんがね」


 虎は、銀色の瞳でちらりと青年を見やる。


『……お前ってホント、知識欲旺盛ね。俺も話し甲斐があるけどよぉ』


 どんどん出てくる新ワードを逐一覚えているのも凄いことだ。しかも全てに説明を要求してくる。このままではいくら時間があっても足りない。 


 虎は気を取り直して言った。


『――とりあえず、進化論だけ順を追って、も少し説明しておくとだなー。元々同じ一種の生物単細胞だったものが、38億年という長い長い時間をかけてあらゆる環境に適応――つまり、色んな姿形に進化し変わっていき、その結果として人間を始め現在の多様な生物種が存在するに至った、って感じだな。ざっくり言うと』


「全部ざっくりですね」


 突っ込む青年の視線は胡乱げだ。


 だが、虎としても保険として“ざっくり”を付けないわけにはいかないのだ。


『しょうがねえだろうが。その進化論始め、科学に真っ向から歯向かってる存在が今の俺だよ。説明してて居たたまれねえんだよ……!』


 まさにそうだった。

 彼 (?)は獣型も人型もとれるし、更にはアルフレッドに“同化”することだって可能なのだ。まず間違いなくまともな“物体”ではない。


 ひとまず、この疑問へ仮にガチレスするならば、己はナノマシンの集合体という可能性がある、と、虎は考えていた。しかしそうなると、超高度な技術でもって、かつて人間であった虎の思考回路をそっくりそのままトレースし、理屈は知らないが、ナノマシンで再構築した上で、異世界――今いる世界に放り込んだことになる。


 さすがにこれは妄想が拡がりすぎているし、夢もファンタジーもあったもんじゃない (ただしロマンはある)ので、虎の思考はそこで止まっている。


『あとな、今のはあくまで俺の世界での話な。この世界では、ホントに知識の神が生物を創造したのかもしんねえ。魔物という存在もいることだしな。……俺個人としては信じたくねえけど』


 虎はユラユラと尻尾を振る。


「いえ。超常的な存在があらゆる全てを創造した、なんていう説明よりも、その進化論の方が、僕は自然で合理的だと感じました。それに、証拠が無いうちは信じたい方を信じるでいいじゃないですか」


 変なところで青年は豪快な判断を下す。


『お前、マジかよ……。思考が柔軟すぎだろ。俺の元居た世界地球でだって、進化論は未だに一部地域で物議をかもしてるってのに』


「へえ。……そちらの世界も色々なんですね」


『まあ、当然だろう』



 こんな感じで、虎と青年は言葉を交わす。

 なんだかんだ、気は合うのだ。











「ところで、そろそろ使用人が来ると思いますよ。間もなく夕餉の時間です」


 どこからか届く鐘の音を受け、青年が言った。


 それとほぼ同時、虎の輪郭が一瞬ぼやけ、瞬く間に再構成され人型を取る。


 それまで黒い巨体が寝そべっていた座面へ代わりに現れたのは、ゆったりと足を組んで座る黒髪黒眼の異国人東洋人


 しかも、


 その服は、まるで虎の毛皮が変化したかのようだったが、よく見れば生地は一般的な植物繊維。アクセントに銀の装飾が入り、中々洒落たデザインなのが更なる謎だ。


 「もう服のことは気にしねえ」と内心では零しながら、虎もとい全身黒一色な男は空気を震わせ返答する。


「ああ、わぁってるよ。生憎、鼻はお前より効くんでね。……料理人の腕は悪く無さそうだ」


 楽しげな言葉に対し、青年は同意するでもなく言った。


「当然です。でなければこの邸に戻ってくる意味もあまりありませんよ」


「お? ……信頼できる人間かつ腕の良いコックなんて好物件、どうやって見つけてきたの」


 先刻のやり取りで、青年は暗殺者に狙われる可能性もあると言った。ならば、食事を用意する人間は信頼できる人間でなければいけない。


 これだけでも青年への差別と本人の性格を鑑(かんが)みるに厳しい条件だが、更には彼が邸に帰る理由にするほど腕が良い、となると相当希少といえる。


 そんな人材が周囲にいたことに、男は思わず嬉しくなったのだが――。


「生憎、信頼はできませんが、信用はできる人間です。料理に関してのみ、ですがね。あちこちで勤め先を解かれて路頭に迷っていたので、雇いました」


――そう状況は単純ではないようだ。


「……なんか、どんなキャラかわかるようなわかんねえような……」


 男は困惑して呟いた。






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