第3話「かつてニンゲンだったモノ」
「まったく、あなたのせいで要らない嘘を吐くことになりましたよ。どうしてくれるんです」
城から退出し、自邸へと戻ってきたアルフレッド・シルバーニは、書斎に置いた気に入りのソファーにドサリと腰を下ろし苦言を呈す。
ちなみに、機嫌は相変わらず悪いままだ。
その言動の端々に、抑圧された苛立ちが見える。
『いやあ、あれはさすがに謝る。すまんかった。……もしかして、ケガしたなんて言ったから、王様の意地悪で休みなしなのか?』
一方、それに念話で返したのは、黒髪黒眼の男――ではなく、
銀の縞に、瞳も銀。体躯は3 mほどだろう。
青年が部屋に入室した瞬間、それが
場所が場所――豪奢な内装の一室なだけに、その大きな獣が悠々と寝そべっている様は異様だ。
しかも、魔力を纏い、人間の言葉さえ操るとなれば、それはただの獣ではなく、“魔物”。
国から問答無用で討伐命令が下される存在だ。
「別に休みがないのはいつものことだからいいんですよ。
それに、都にいたって要らぬちょっかいを出されるだけだ。例えば、他国人の前に飾り物として召喚されたりね」
『……』
青年の返答に、虎は思わず目尻を下げて黙す。魔物にしては何とも人間臭い。
一方、他人からすれば衝撃的なことを口にしながら、アルフレッドの様子は至って平然としている。
少なくとも、表面上は。
青年は言った。
「僕が言いたいのは、嘘でも弱みをつくってしまったことですよ。もっとましな嘘をつけなかったこっちの落ち度でもありますが、これから短い間でも身辺が騒がしくなるかと思えば気が滅入る」
物憂げな表情を浮かべる様はまるで絵画の一場面のよう、なのだが。
『……え、もしかして、“弱ってるうちに暗殺しろ”とか言われちゃう感じなの』
口にしている内容は何とも引き続き衝撃的だ。虎としてはぜひとも否定してほしかったのだが……。
「ええ、そうですよ。全く呆れたことにね」
過去を思い返したのか、アルフレッドの眉間に皺が寄る。
実際、青年が何か弱みを見せると、すかさずそこを突き、彼を追い落とそうとする人物や派閥があるのだ。しかも暗殺さえ辞さない。
ただ、国王とは別だ。彼は最大級の警戒を青年に向けているが、一方でアルフレッドは対魔物用の“武器”でもあるのだ。王としては生かさず殺さずがベストだ。
しかしその他の王族や貴族にとっては違う。
アルフレッドの地位は
しかも、魔力の高さとその有能さも加味すれば、貴い血の方々にとっては目の上の瘤どころではない。下手をすれば立場をとって食われかねないのだ。
特に第2王子あたりは、
それに、“亜人”であることやアルフレッドの
前述したが、アルフレッドの地位は特殊だ。加えて、生まれながらにその地位を得ていたわけでもない。
元を正せば出自も定かでないアルフレッドが、なぜそんな特殊な地位についているのか――。
それには、オルシニア独自の叙勲制度が関係し、その歴史は建国当時にまで遡る。
この国――オルシニア王国は、かつてこの地にあった別の王朝を打倒し建国された国だ。
そしてそのクーデターを主導し、のちにオルシニア初代国王となった男は、これといって高貴な生まれではなかった。
そのため、国を興し初代国王として即位するにあたり、
それが自身とその子孫の“莫大な魔力”だ。
建国王は魔力に優れた男だった。その力で前王朝を打倒せしめたし、魔物の襲撃も度々退けていた。
その魔力の高さを“神々から選ばれた証”と定め、自らの王権を正当化したのだ。
つまり、この国において魔力が高いことは“高貴な生まれ”の証とされている。
そのため、一定以上の高い魔力さえ発現すれば、それがどんな生まれの者であれ、「雄爵」という特殊な位が与えられるのだ。
その位の高さは魔力量に左右され、際立って魔力の高いアルフレッドは、規則に照らし公爵に並ぶ扱いとなる。
普通であれば、これほどの高位を得る者が、王族以外からでること自体が稀だ。
そのため貴族や、ましてや
王政下であっても建国に関わる法を改定するのはさすがに簡単ではない。だからと言って、血筋の定かではない者を高い地位につけることは躊躇われる。
それに、アルフレッドには文武両道にも突出した才があった。
王族にさえ取って代わりかねないと危険視されたうえ、“亜人”と蔑称される見た目への差別もあわさり、どのように彼を遇するべきかあらゆる論争が巻き起こったのだ。
結局のところ法に則ると判断が下されたが、勿論、全会一致の結論ではない。国王でさえ、あらゆる選択肢を検討した末、建国法を改定するよりもマシ、と消極的な判断をしたにすぎない。
このような背景があるために、アルフレッドはあらゆる方面からその存在を疎まれている。
また一方、中流に位置する野心ある貴族たちには、アルフレッドをうまく取り込み傀儡にできないかと考える者もいた。
アルフレッドは、国内で魔物の被害が出れば真っ先に討伐任務に充てられる通り、実質的なオルシニア現国王の快刀と言える。その上、亜人であることを除けば、容姿は最高。
まだ表立ってはいないが、むしろ取り込もうとする動きの方が
そういったエグいエピソードの数々を、しかし、当事者の青年は淡々と語る。
対する虎は、大いに精神的なダメージを負いつつ、ボソリと言った。
『…………アルちゃん、苦労してんのね』
これに、青年は間髪入れず顔をしかめて言った。
「それやめろ。……“兎”と言われないだけマシですが」
人型であったなら、虎としては青年の頭を撫でてやりたいくらいだった。
ただ、本人は猛然と拒否するだろう。なにしろ“アルちゃん”呼びだけでもこの通り。
『まあ、さすがにそこまで
「……また何言ってるのかわからないんですが」
幾分、低みの増した声にも、虎は全く気付かない。
『今のも
とんとんと、尾の先を座面に打ちつつ虎は言う。
彼は純粋に、相棒のエルフ耳が、兎の様に細やかに動く様だけはカワイイなと思っていた。また、虎からすればアルフレッドはちょうど10歳ほどの年齢差(前世比較)であり、単純に「若いなぁ」という感慨も込めた“アルちゃん”呼び、だったのだが。
当然、青年にはわからない。
これ以上なく呑気に構えていた虎に対し、この瞬間、ついにアルフレッドの機嫌が底辺をぶっちぎった。
青年の美麗な顔が苛立ちで歪む。
実際のところ、アルフレッドは今に至るまでかなりの苛つきを蓄積させていた。荒い言葉が端々にでていたのもその表れ。
そこに、虎の一方的な物言いが度重った結果だった。
「……だったら、最初から言わないでください。言うだけ無意味でしょう」
想定よりも怒気の籠る声音に、虎は驚く。同時に、じわじわと青年が不機嫌になってきていたことにようやく気づいた。
特に今日は久しぶりのストレスフルな登城と謁見をしたこともあり、彼の機嫌は普段よりも悪かったのだ。
「それをわかっていたはずなのに」と、虎は後悔とともに謝りかけ――。
「あなたは世界を超えたし、
青年の放った言葉に、虎もまた瞬間的に苛立った。
一瞬にして部屋の空気が緊張し、虎は青年へと鋭い一瞥をくれる。
その眼光はまさに獣のそれで、慣れない者なら震えあがっただろう。
『……なにお前。俺が“元は人間だった”なんて話、信じてくれんのかよ』
念話ながら、迫力の籠った“低音”が室内に放たれる。
虎にとって、自分が既に“人間でない”ことを突き付けられるのは地雷だった。普段は気にした素振りもないが、やはり人外となった事実はそう簡単に受け入れられるものではないのだ。
だが、その怒気を向けられた青年はびくともしない。
「少なくともあなたにとっては真実なんでしょう。僕にとってはそれが真実だろうがそうでなかろうが関係はない。あくまで話を合わせるだけだ」
『……』
むしろ煽るようなことを言う。
すっかり一触即発、といったところだったが……。
その空気は、長く続かなかった。
虎が打ち切ったのだ。
唐突に眼を閉じて身体を弛緩させ、ため息を吐く。
『…………ホント、お前は見た目だけは最高に整ってるのに、素直じゃねえし舌鋒鋭いよなあ。俺はいい加減、ライフがゼロだぜ?』
――そもそも。
先程の言葉も青年なりに大真面目にレスポンスしただけであって、煽ったつもりはないのだ。
人との会話に慣れていない青年は、こんな感じで、意図せず人の神経を逆撫でしてしまうことがよくある。
始めのうちは虎もそれが分からず、深刻な言い合いに発展したこともあったが、今ではその青年の特性をよくよく承知している。
そのため、今更この手の言い合いは長引かぜず、軽くちゃかすだけで退いてやるのだ。心情としては「年長者の俺が譲ってやらなきゃなあ」といった感じだ。
「……また意味不明なことを」
一方、その言葉とは裏腹に、青年の語調も元に戻ってきていた。加えて、その表情にはわずかに気まずさが透けている。
八つ当たりの部分もあったと自覚したらしい。
虎はそんな青年の変化に気づきつつ、言葉を返す。
『今のは想像つくだろうが。要は傷ついたって言ってんだよ。お前は、もう少しコミュニケーションに慣れた方がいい』
「……こみゅに?」
これでも虎は
それに、青年はこう見えて素直な部分だってあった。わからないことを隠さないし、不満があればちゃんとそれを表明できる。
他人に教えることが何気に好きな虎は、なんだかんだ根気強く付き合ってやってしまうのだ。
『言語が違うと
……いや、いい。今言ったのは、他人ともっと会話して、もっと慣れろって言ったんだよ』
「それなら今やっていますよ。この僕が、これほど長く言葉を交わすのはあんたが初めてくらいだ」
視線をあらぬ方向にやりつつ青年が言えば、百万語を抑えつつ、虎は押し出すように言った。
『…………そうかい。ならこれから時間はたっぷりある。精々練習台になってやるよ』
そう、まさに時間はたっぷりあるのだ。
少なくとも、青年の命が尽きるその時までは。
「なんですか、その恩着せがましい言い方」
『……ああ、はいはい』
とはいえ、これからの永い付き合いに、虎が一抹の不安を覚えても、しょうがないことではあったが。
第3話「かつてニンゲンだったモノ」
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