第10話 祓魔師シモン、詩人と共に悪魔を討つ


「うるっせえんだよバーーーーカ!!!!!」


 オルフェを寄こせと喚き散らすキマイラに向かって、オレ――シモンは我慢の限界を迎えた。


「ったく、ニャーニャーメーメー盛りやがってよぉ。女神エッラの代わりに別の神? 要らねえわクソが。それでよくオレに信仰に反するだの信徒の悲願だの言えたな」


 ペッ、と地面に血交じりの唾を吐き捨て、オレは続ける。


「いいかよく聞け。信徒歴十三年目の凄腕祓魔師エクソシストシモン様はな、アホ丸出し悪魔構文にひっかかるほど寂しい生き方なんざしてねえんだよ」


 右手の手袋を脱ぎ捨てて、手の甲の七芒星を見せつければ、キマイラは顔を引きつらせて僅かにたじろいだ。


「教典も読めねえチビちゃんに教えてやるよ。序文に曰く、『女神エッラは、星と共に常に生命いのちかたわらに』だ。

 半魔だから? 関係ないね。オレは、オルフェを見捨てて独りになんかしねえ。オレの手が届く誰一人として独りにしねえ。これがオレの信仰で、信徒としての在り方だ……そして何より!」


 左手の親指で背中越しにオルフェを示し、オレは言った。


悪魔お前らの汚ねえ鳴き声より、コイツの歌の続き聴きてえんだよ! よくもそんな下らねえ事情で演奏邪魔してくれやがってさあ。オルフェ! お前もなんか言ってやれ――……」


 牽制に右手の七芒星をかざしたまま振り返った瞬間、オレは言葉を失った。


 真っ白な母親のひつ像を片手に、埃まみれのまま座り込んだオルフェが、オレを見上げて涙を流していたのだ。


 涙は女の武器なんて言うが、澄んだ緑青の瞳から溢れる雫は、確かに今まで受けたどんな暴力よりも凶悪だった。


「……ねえ、シモン。僕ね、何にもないんだ」


 ポツリ、とオルフェが消え入りそうなか細い声で呟く。


「母さんも死んで、家も燃えて、父さんの力にもなれなくて……僕、ぼく」


 囁きよりも小さな祈りが、確かに俺の耳に届いた。


「もう、独りはいやだよ」


 堪らず、座り込むオルフェの頭を左手で引き寄せ、衝動のままに唇を貪った。


「愛してるぜ、オルフェ。お前は誰にも渡さねえ」


 唇を離してそう宣言すると、オレの背後で二頭の獣が吠える。


「下らぬ? 我らの悲願が下らぬだと!?」「半魔の色香に惑う程度の分際で、身の程を思い知らせてやる!」


 怒り散らすキマイラを中心に、パリパリと火花を上げながら風が集まっていく。オレの首の後ろが、再び危機を訴えて来た。


「ヤッベ、煽りすぎた。走るぞオルフェ!」

「大丈夫だよ、シモン――僕、戦える」


 いつの間にか立ち上がったオルフェが、ひつ像をキマイラに向けて掲げる。


「【女神の加護篤き癒しの聖女】【女神に抗いし明星の旧き魔王】【二つの血により我は命ずる】」


 古代語による魔術の詠唱と共に、ひつ像を中心に黄金に輝く魔法陣が現れる。


「【来たれ我が手に】【聖琴せいきんエウリュディケ】」


 光が櫃像を包み込み、やがてあるべき形へと収束していく。

 聖女の横顔が彫られた美しい黄金の竪琴――聖琴エウリュディケがオルフェの腕の中に収まったのと同時に、咆哮と共にキマイラが雷を纏った暴風を放つ。


 オルフェの指が、弦の上を滑る。幾重にも重なって奏でられた聖琴の音色が、キマイラの雷の風を全て打ち消した。


 そして、それだけじゃない。


「ア゛ア゛ア゛!」「やめよ! その音をやめよお!」


 キマイラが聖琴の音色を聴いた瞬間、身をよじって苦しみ出した。

 よく見れば、オレが全身に付けた矢傷と、切断した尾の傷が、まるで星水をかけた時と同じように煙を上げて焼けただれている。


「えっぐ。加護のダメージ増幅されんのかよ」

「うん。でも、止めを刺しきるまではいけない。だから」

「よっしゃ任せろ。専門分野だ」


 オレはニッと笑うと、悶絶するキマイラに向けて駆けだした。


「【女神エッラよ。我が身と武器に退魔の力を宿し給え】!」


 【身体強化】と【武器強化】を掛け直せば、普段以上に力がみなぎる。どうやら、聖琴エウリュディケには女神由来の聖なる力を増幅させる作用があるらしい。


「おのれ、おのれえええ!」「悲願を前に、倒れる訳には行かぬ!」


 悶えながらもキマイラは蝙蝠の羽を広げて、空へと逃げようとする。


「逃がすわきゃねえだろ死に損ないがあ!」


 オレは腰に括りつけていた鉤爪付きのロープを取り出し、キマイラ目がけて振り回した鉤爪を投げつけた。秘跡で強化された鉤爪は、キマイラの胴にぐるりと巻き付き捉える。


 キマイラはお構いなしに高度を上げ、ロープを掴んでいたオレもろとも空を飛んだ。

 オレは強化した腕力に任せてロープを手繰り、キマイラとの距離を徐々に縮めて行く。


「来るな、来るなあ!」「墜ちよ、忌々しい祓魔師エクソシストめ!」


 キマイラはオレを振り落とそうと、速度を上げて縦横無尽に飛び回る。歯を食いしばって必死にロープにしがみついていると、聴き覚えのある旋律が下から聞こえて来た。


「♪ 兄妹を追った悪魔の手が 暗雲の狭間から伸び 雷鳴に驚いた妹を 嵐の中へ連れ去った」


 聖歌だ。酒場での続きが、オルフェと聖琴によって奏でられている。


「♪ 兄の悲嘆を 悪魔は嗤う 『お前も来い 妹と共に もう一度家族に会わせてやろう』」


 見上げれば、いつの間にか空が真っ黒な雷雲に覆い尽くされている。横殴りの雨が吹きつけ、地面に広がる荒れ狂う海の上で、一艘の船が今にも転覆しそうになっている。


「♪ もう一度逢いたいと 願う心のままに 船べりに手を掛け 兄は海に身を躍らせようと――」


 不意に、オレのすぐ横に鳥の羽根が舞った。金色に輝く羽を散らしながら、一羽の大きな黄金の鳥が、嵐をものともせずに船の下へと降りて行く。


「♪ 『いいえ お兄様 私はそこに居ないわ その手を離さないで 二人なら何処へでも行けるわ』」


 澄んだ歌声と共に黄金の鳥が海の上から舞い戻り、その眩い羽根でキマイラの行く手を阻んだ。キマイラの動きが止まった隙に、オレは一気にロープを手繰り、とうとうキマイラの背に辿り着いた。


「クソ、退け!」「おのれ、離れよお!」

「やかましい! 二匹いっぺんに喋んじゃ、ねえ!」


 ロープの端を命綱代わりに腰に巻き、左わきのホルスターから剣鉈を抜いて、ヤギの頭に叩きつけた。けたたましい断末魔を上げて動かなくなったヤギの頭を踏み台に、逆手に持った剣鉈を振り上げる。


「は、祓われてたまるかぁああ!!!」


 ライオンのたてがみが激しい音と共に雷を放った。辛うじて意識は保ったものの、雷で痺れた身体が、オレの意思に反してキマイラの背から落ちる。雷で焼け焦げた命綱が、身体を支えきれずブツリと切れた。


 ――くそ、もう少しで……!


「シモン!!!」


 海に墜ちるオレの身体を攫ったのは、大きく広がる黄金の翼と、オレの愛する詩人の声。

 聖女の横顔が彫られた聖琴の旋律が【治癒】の秘跡となり、身体の痺れを取り去っていく。


「助かった。ありがとよ、オルフェ」


 オルフェは聖琴を奏でながら、柔らかく微笑む。そして強い意思の籠った緑青の眼差しをキマイラに向けて、高らかに歌い上げる。


「♪ 悪魔よ 僕はもう迷わない この手が選ぶのは お前の穢れた手などではない!」


 オルフェの歌に悲鳴を上げるキマイラの翼に向けて、腰の後ろにさしていた手斧トマホークを投擲。翼を根元から断ち切られたキマイラは、グルグルと回りながら落下していく。


「オルフェ!」


 オレの意図を察したオルフェが、黄金の鳥をキマイラの真上に飛ばす。オレは抜き放った二本の星銀のナイフを持って、鳥の上から飛び降りた。


「【理に背く者よ、去れ! 我が手は汝を退けん! 汝、己の悪を知り、善なる者に平伏せよ】!」

「♪ 嵐を切り裂く黄金の鳥よ この船を導きたまえ! 悪魔の手を振り払い 輝く朝日の下へと!」


 白銀のナイフが、旋律と共に黄金の光を纏い、剣となる。落下の勢いそのままに振り下ろされた白銀と黄金の二色の剣の軌跡が、キマイラの首元で交差した。


「ア゛ーーーーーア゛ア゛ア゛ア゛ア!!!!!」


 最期の雄叫びを上げながら、紫の血を吹き上げて胴と首が斬り離されたキマイラは、荒れ狂う海の中へ墜ちて行った。



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