第9話 祓魔師シモン、詩人の正体を知る


「僕は、絶対、島には戻らない」


 額から紫の血を流し、苦悶の表情を見せながらも強い意志が込められたオルフェの言葉を、彼を上から抑えつけるキマイラがあざ笑う。


「お前の意思など関係ない。肉体さえあれば良いのだ」「その矮小な身が、我らの悲願の糧となる事を誇るがいい」


 そう言ってキマイラが鋭い鉤爪の生えた前脚を振り上げた瞬間、カウンター越しにオレ――シモンはボウガンの引き金を引いた。


「グオッ!?」「ギャアオ!!?」


 連射機能付きのボウガンから吐き出された矢は、キマイラの巨躯を見る間にハリネズミに変えていく。


「よお! イイ尻してんな子猫ちゃん! いや仔山羊ちゃんかあ!?」


 カウンターを乗り越え、大量の矢羽を生やすキマイラの後ろに回り込んで、マガジンに込められた矢を全て打ち込む。


「おのれ、何者――」


 二つの頭の内、振り向いたライオンの頭の鼻っ柱に星水が入った瓶を投げつけた。瓶から溢れた星水をもろに浴びたライオン頭は悲鳴を上げて悶絶する。


 オレはボウガンを捨てて、背中の山刀マチェットを抜きながら即座に走ってライオン頭の側面に回り込む。そのまますれ違いざまに首をかき切ろうとしたが――


「シャアアア!」

「うお危ねっ!」


 尾から生えた緑の蛇が、牙をむいて襲い掛かって来たのを咄嗟に跳んで避ける。

 すると、悶絶するライオン頭にお構いなしに、ヤギ頭の方が巨大な角をこちらに向けて突っ込んで来た。


「ハッ、上等!」


 オレは【身体強化】の脚力でキマイラの頭を跳び越える。そして勢いそのまま空中で回転し、オレを捕まえようと身体を伸ばしていた蛇の頭を切り飛ばした。


 キマイラは悲鳴を上げながらも突進の勢いを止められず、そのまま壁に激突。頭をぶつけた拍子に錯乱したのか、店内の椅子や机をその巨体で弾き飛ばしながら暴れだし、酒場全体が軋み始める。


い! オルフェ!」


 オレは即座に踵を返して、丁度立ち上がったオルフェの腕を掴んで無理矢理引きずるように入口へ駆けだした。


「シモン、君、一体……」

「口より先に足動かせペチャンコになっ、ぅ!!!」


 入り口まであと半歩の所で、首の後ろに凄まじい痛み。咄嗟に山刀マチェットを投げ捨て、オルフェを抱きかかえて外へ跳ぶ。


「「こ、の、人間風情があぁあああああ!!!!」」


 閃光、轟音、爆風。酒場の瓦礫の残骸がすぐ横を掠める。

 両腕でオルフェを抱え込んだまま、オレは幾度も叩きつけられながら勢いよく地面を転がった。


「カハッ……っ痛ってえーなぁ、クソが……」


 いくら【身体強化】をしていても、限度ってもんがある。悪魔の攻撃直撃は、流石に無傷という訳には行かず、吹き飛ばされた痛みとダメージで即座に動けそうもない。


 ――絶体絶命、って奴か。


「おい、オルフェ。生きてるか?」


 仰向けになったオレの胸に抱き込まれていたオルフェは、オレの声に反応して緩慢な動きで顔を上げる。


「シモ、ン……?」


 乱れてもなお艶やかな亜麻色の髪。土と埃と紫の血でドロドロになった瞼の下から現れた、潤んだ緑青の双眸。唇から垣間見える赤く熟れた舌。

 かすれた声で紡がれる、オレの名前。


 ――あ、ヤベエ。勃ったわ。


「おう。動けるならサッサと逃げてくれオレの尊厳の為にも可及的速やかには・や・く!」

「助けてくれたの? ありがとう」

「話聞いてた???」

「ちょっと待って。今、


 オルフェは身を起こして、オレの頭越しに腕を伸ばす。

 その拍子に破けた服から見えた胸元に目を奪われていると、オルフェの手の中には、昼間見た母親の櫃像ひつぞうがあった。

 恐らく建物が壊れた拍子に飛ばされたであろう櫃像を、オルフェは両手で持って胸の前に掲げ、祈るように目を閉じる。


「――母さん、お願い。力を貸して」


 オルフェがそう唱えると、櫃像が柔らかな白い光を放ち始める。

 同時に、オレの身体から痛みが瞬く間に消えて行った。


「嘘だろ……【治癒】の秘跡?」


 うん、と頷いたオルフェが続ける。


「母さん、星都じゃ『癒しの聖女』って呼ばれてたんだって。死んでからも、その力が遺骨に残ってるんだ。同じ血が流れる僕になら、その力を引き出せる」


 話している間にも、オルフェの傷はオレ同様に癒えていき、紫の血が流れ出ていた額の傷もすっかり綺麗になった。


 【身体強化】【武器強化】などの『秘跡』は、教会で信仰を誓った人間に女神が授ける奇跡の力。

 取り分け【治癒】の『秘跡』は、ごく少数の人間にしか使えない。


 それこそ……オレが赤ん坊の頃、星都を襲った悪魔に攫われた聖女さま、とか。


「「おのれぇ……忌々しい女神の狗めがぁ……」」


 バキリ、と瓦礫を踏み砕きながら、キマイラが殺気も露わにこちらへゆっくりと向かってくる。

 身体中に突き刺さっている矢が、オレたちの見ている前でボロボロと黒く朽ちて崩れ、矢傷も徐々に塞がっていく。


 オレは立ち上がってオルフェの前に立ち、キマイラの巨躯と向き合った。


「よう、フラッフラだなあ。尻尾撒いて帰るんなら今の内だぜ? あ、そう言やさっきオレが斬っちまったんだったけ? ごっめーん♡」


「傷が癒えた程度で調子に乗るなよ小僧」「の力を借りるような祓魔師エクソシストに、ワシらを討てるはずもなかろうが」


 キマイラの言葉に、オレの後ろでヒュ、とオルフェが息を呑む。


 半魔。悪魔と人間の混血。教会では忌み子と呼ばれ、祓魔師エクソシストの推奨討伐対象に入っている。


 星水で顔が爛れたライオンが、オルフェに厭らしい笑みを向ける。


「そうとも、その男は祓魔師エクソシスト。お前が半魔と知れた今、その男にお前を守る意味などないぞ?」


 汚いひげを揺らしながら、ヤギ頭がオレにこう言った。


「どうだ、祓魔師エクソシスト。半魔をかばうなど、お前の信仰に反するのではないか? 今そいつを渡せば、貴様にもこの街の人間にも手は出さぬぞ?」


 ニタニタと笑う双頭の獣に、オレは純粋な疑念から問いかける。


「なんで、そんなにコイツを狙う?」


 キマイラの双頭が、興奮も隠さず声高に語りだした。


「「我らが悲願、天の国へと攻め上る為のだからよ!」」


「数百年に渡り、同胞と共に蓄えた人間の魂を糧に、『箱舟』に乗って我らは再び天に昇る!」

「『箱舟』で天の国へ行き、女神に代わる新たな『神』を戴くのだ!」


「「そ奴は『箱舟』を動かすための鍵。ふるき魔王が聖女に生ませた、天地を繋ぐきざはしぞ!」」


 何も言わないオレに、キマイラは更に畳み掛ける。


「そ奴を渡しさえすれば、我らは地上を離れ去り、人間に危害を加える事はない!」

「人間の平和! 悪魔なき世界! 貴様ら女神の下僕しもべにとって、それはまさしく悲願ではないか!」


「「さあ、寄こせ! 悲願のために! 贄の御子をこちらに寄こせ!!」」


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