第8話 祓魔師シモン、酒場にて悪魔と相対す
吟遊詩人オルフェとの話を終えたオレ――シモンは、一度教会に戻って荷物を整理し、夕食はいらないと伝えた後、再び酒場へと顔を出した。
酒場は既にかなりの賑わいを見せていたが、それでも外まで人が溢れていた昼間に比べればマシな方で、オレはまばらに空いていたカウンター席に素早く腰掛ける。
「いらっしゃい。あら、また来たのアンタ」
「賄い美味かったから、ちゃんと金払ったものも食べたくてさ」
「ま、調子良いこと言って。どうせオルフェ目当てでしょ」
呆れたように笑う酒場の姐さんに、オレはエールと肉料理を頼む。さほど待たずに出されたそれらをつまみながら時間を潰していると、隣の席に見知った顔が現れた。
「よお。邪魔するぜ」
「あ、武器屋のおっちゃん」
おっちゃんは姐さんにオレと同じものを注文すると、こっそりとオレに尋ねて来る。
「それで、どうだったよ。例の吟遊詩人」
「どうもなにも。ハチャメチャに顔が良いだけの世間知らずな兄ちゃんだよ」
そう言うと、おっちゃんは露骨にホッとした顔になった。
「そうかそうか。本職の兄ちゃんが言うなら間違いねえな。いや何、女一人で店切り盛りしてる所に若い男が転がり込んだなんて聞いたら、心配でよお……」
そう言いながら料理をしている姐さんをチラリと盗み見たおっちゃんのその態度で、オレは全てを察した。
そんなに心配なら、さっさと口説いちまえばいいのに。人生、好きに生きた
なんて考えていると、
陽光に煌めいていた亜麻色の髪は、蝋燭の下で艶やかな陰を落とし、秘境の湖を思わせる澄んだ瞳は、灯を照り返して
「こんばんは、皆さん。今日も一日お疲れ様です。演奏を始める前に、少しだけお話させて下さい」
昼間と同様、酒場の中央で椅子に座ったオルフェが、客を見回しながら口上を述べる。
「実は、旅の方に星都まで案内していただけることになりまして。急な話になりますが、明日、この街を発つことにしました」
その宣言に、酒場中が大きくどよめいた。客たちがオルフェの出立を惜しむ中、オルフェの眼差しがオレを捉え、白晢の美貌に花が綻ぶような微笑を浮かべる。
――いよっっっっしゃ!!
オレだけに向けられた視線、オレだけに意味が分かる笑み。
周りの人間が戸惑う中だというのに、ニヤケ笑いが止まらない。
「おい、兄ちゃん。アンタまさか……」
「惚れたらすぐ口説くのがオレの流儀でね。グズグズしてたら、他に掻っ攫われるぜ?」
「お、俺は別に……」
まごつくおっちゃんを尻目に、オレはオルフェの口上の続きに耳を傾ける。
「僕もこの街に別れを告げるのはとても名残惜しいです。ほんの数日でしたが、この街で過ごした時間は本当に穏やかで、優しかった。家族を亡くしたこの身に、有り余るほどの喜びでした。
こんなにも良くして下さった皆様に、僕が返せるのは歌しかありません。それでもせめて此処で奏でる最後の曲を、万感の感謝と共に歌わせていただきます。どうかご清聴いただければ幸いです」
口上を終えて一礼したオルフェに、オレと客たちは暖かな拍手で答えた。オルフェはほんの少し潤んだ目で微笑むと、もう一度深く礼をして、竪琴を手に取った。
同時に、オレの首の裏に痛みが走り、酒場の景色は一転して夜の大海原となる。
「♪ 嵐を切り裂く黄金の鳥よ この船を導きたまえ! 悪魔の手を振り払い 輝く朝日の下へと!」
高らかな祈りから始まったのは、教国で知らぬ者はいないほどの有名な聖歌、『船を導く黄金の鳥』。
悪魔に襲われたとある国から船に乗って逃げる、二人の兄妹の逃避行の歌だ。
オルフェの指が弦の上を滑り、幾重にも重なる激しくも悲しげな旋律が響く。
「♪ 暗くうねる海原 空には星もなく 幼き兄妹は ただふたり船の上 悪魔の影に脅え 互いに身を寄せる」
暴風と横殴りの雨の中、黒い波の先端で大きく揺れる粗末な帆船。甲板では一組の少年と少女が、いつ転覆してもおかしくない恐怖に堪えながら抱き合っている。
「♪『兄さん 大丈夫 私の手を離さないで』『妹よ 大丈夫 二人なら何処までも行けるさ』」
――? なんだ?
澄んだ高音と芯のある低音を使い分け、兄妹の掛け合いを一人で表現するオルフェの技巧に聞き惚れていると、不意に妙な悪寒に襲われる。
曲が進むにつれ、首の後ろのざわつきは収まるどころかますます強まった。
「♪ 吹きすさぶ嵐に負けず 励まし合う二人の ささやかな願いも虚しく 雷が空を裂いた――」
オルフェの演奏と、オレの危機感が最高潮に達した瞬間。
轟音と共に、酒場の天井が崩れ落ちた。
客たちが悲鳴と共に逃げ惑う中、酒場の中央でもうもうと上がる土煙の中から、一際大きな影が現れる。
黄土色の毛皮を纏った四足の巨躯の前脚は鉤爪、後ろ脚は蹄。
背中からは黒々とした蝙蝠の羽に、尾のある筈の場所には、人の二の腕よりも太い緑の蛇。
曲がりくねった巨大な角を持つヤギと、炎のように逆立つ鬣の獅子の二つの頭を持つ奇獣。
「い、いやああああああ!!!」
店主の姐さんの声を皮切りに、客たちが叫びながら一斉に外へ走りだす。オレは咄嗟に隣に居たおっちゃんを呼び止めた。
「おっちゃん、街の連中全員教会まで誘導してくれ!」
「わかった、お前さんは!?」
「決まってんだろ、仕事すんだよ」
背負っていたボウガンを構えれば、おっちゃんは何も言わずに頷いて、姐さんの腕を引き外へと向かった。
「【
オレは逃げる客を目隠しにカウンターの中に飛び込み、【身体強化】と【武器強化】の秘跡をまとめて唱え、ボウガンの照準を未だ動かないキマイラに合わせる。
「……ようやく見つけたぞ、『
見ればライオン頭とヤギ頭が、自分の下に居る誰かに交互に話しかけている。
――あ? 誰と話して……
そこまで考えて、ふと気付く。キマイラが降って来た酒場のど真ん中に、ついさっきまで誰が居たか。
「う、るさい……僕は、島には、戻らない」
キマイラの視線の先。鋭い爪の生えた前脚に抑えつけられた一人の青年。
美貌の詩人オルフェが、壊れた竪琴の傍らで白晢の美貌を痛みに歪めながら、キマイラを睨みつけている。
――額から、悪魔と同じ紫色の血を流して。
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