第2話 祓魔師シモン、街を出奔する
「――何をしているのかね、
スフィア教国のとある街。天使も眠る
引き攣った笑みが真っ赤に染まっているのは、傍らで燃える暖炉の
司祭の視線はベッドで四つん這いになっているオレ――祓魔師シモン。
そしてオレの下で素っ裸のまま恍惚の表情で眠る、司祭が囲ってる愛人のねーちゃんに釘づけになっている。
オレは顔中に真っ赤なキスマークを付けたまま、司祭の目を真っ直ぐ見据えて言った。
「悪魔祓いです、司祭さま」
「ふざけんなクソガキャァア!!!」
司祭が暖炉から火掻き棒を引き抜いたと同時に、俺は回れ右して背後の窓をぶち破り外に飛び出した。
砕けた窓枠やガラスを避けて地面に転がり、くつろげたズボンがずり落ちないよう両手で抑えながら真夜中の街を半ケツで全力疾走。
「衛兵、衛兵! あの男を捕まえろぉ!!!」
「は!? マジか!」
後ろから火掻き棒を振り回しながら追ってきた司祭の声に反応して、近くを巡回していた衛兵の足音がいくつも聞こえだす。
あちこちの路地から衛兵が合流し始め、いつの間にか司祭を先頭に十名近い衛兵が集まってオレの半ケツを追ってきた。
「ったく、野郎にケツ追われても嬉しくねっつの!」
そんな事をぼやきながら走るうちに、街を囲う城壁が目の前に迫る。
立ち止まれば後ろから来た衛兵に囲まれて逮捕……いや、その前に火掻き棒が頭に振ってくるに違いない。
当然どっちも御免なオレは、走りながら祈りの言葉を唱える。
「【
使用したのは、【身体強化】の『秘跡』。疲労が消え、全身に力がみなぎる。
オレは走って来た勢いそのまま、強化された脚力で壁を垂直に駆けあがった。
「嘘だろ!? 壁を走ってる!?」「ま、まさか悪魔なのか!?」
――は? 誰が悪魔だ。
下から聞こえる衛兵たちの驚愕と動揺を背に壁を登り切ったオレは、ズボンをきちんと履いてから、不名誉な誤解を訂正すべく城壁の頂上で叫んだ。
「オレが悪魔だと!? バカ言ってんじゃねーぞ! 地上に生まれて十八年、
「やかましいわ婦女暴行犯が!!!」
衛兵たちの前に立つ司祭が火掻き棒を振り上げて怒鳴った。おう血管キレるぞ?
「やっだなあ司祭様。オレはあの女性に頼まれて悪魔祓いをしてただけですよ」
『頼まれて』を強調して言えば、司祭が歯茎をむき出しにして唸る。清廉さが求められる聖職者が愛人を囲ってますなんて公言は出来ないからな。
だがそうとは知らない衛兵たちは、司祭から犯罪者よばわりされたオレに険しい顔を向けている。
このまま何も言わずに逃げれば指名手配犯にされかねない。
そう考えたオレは無罪を主張すべく、ことさら大きく咳払いをして、城壁の下に向かって声を張った。
「そもそも、悪魔とはいかなるものか。日頃より教典に親しむ司教様を始めとして、この国の民で知らぬ者はいないでしょう」
遥か昔。天の国に住む
天の国を守るため、女神は反逆者たちが暮らしていた場所を結界で覆って天の国から切り離し、誰もいない海の果てへと墜としてしまう。
海に墜とされた天使たちは怒りと憎しみから『悪魔』と呼ばれる異形に姿を変え、女神への復讐として、女神が地上に作り出した命――人間たちを滅ぼすと決意する。
だが女神の結界によって自分たちの国から出られない悪魔は、異形に姿を変え手に入れた魔の力――『魔術』を使って人間たちに干渉を始めた。
ある時は夢を通じて人間に魔術を教えて自分と眷属を召喚させ、一夜にして国を一つ滅ぼすほどの暴虐を尽し。またある時は人間を惑わせて島に攫い、淫欲の限りを尽くして悪魔の子を増やさせる等、今日に至るまで、あらゆる手段で人間を破滅に追いやろうとしている。
オレが赤ん坊だった頃、星都サン=エッラが襲撃され、教会が擁する聖女が攫われたなんてこともあったくらいだ。
「悪魔たちは古来よりありとあらゆる方法で人間たちを惑わせていますが、彼らが特に惑わそうとするのは、心に不満や不安、恐怖を抱えた人間です」
肉体的・精神的に追い詰められ、何もかもを信じられなくなった人間は悪魔の誘惑を受けやすい。
生きることに伴うあらゆる苦難と困難に耐え切れず、何でもいいから自分に優しく都合よく接してくれる存在に縋りたくなる心理に、つけ込んで来るのだ。
「そうした悪魔たちを
芝居がかった口調で、左手を腰に当てながら右手の人差し指を立て、オレは続ける。
「さる高貴なお方の寵愛を得たその女性は、衣食住に満ち足りた暮らしをしていましたが、唯一つ! 彼女の生活に欠けていたものがありました」
そう言ってオレは胸の前でハートの形を作った。
「そう、愛! 彼女を囲った高貴なお方は、多忙ゆえに女性の下を尋ねる事がなかった。女性はその方を愛しているがゆえ、会えない日々に不満が募らせておりました。
愛されているのか不安でたまらず、いつしか飽きられて捨てられてしまうのではないかと日々恐れていたのです!」
大仰な身振り手振りを交えつつ、オレは朗々と言葉を紡ぐ。
「そこでこの
その過程で互いに心を通じ合わせ深い仲になったことは、彼女が孤独に打ち克つ糧となり、自らの意志で悪魔を退ける一助となるでしょう!
そう! 私と彼女が愛し合っていたのは悪魔祓いの一環に過ぎず、断じて婦女暴行などという乱暴狼藉ではありません!」
拳を天に突き上げながら、オレは高らかに宣言した。
「即ち――オレは無罪ですっ!!!」
「不法侵入と不義密通を『悪魔祓い』で誤魔化すなこの罰当たりが!!!」
火掻き棒を振りかざして司祭が叫ぶのと同時に、衛兵たちも一斉にオレを罵倒し始めた。
「要するに間男じゃねえか!」「ふざけんな! このクズ野郎!」「真面目に働いてる
――チッ、言いくるめられなかったか。
気付けば城壁の上で警備をしていた兵士たちが、槍を手にオレの左右から走ってきている。
「では司祭様ごきげんよう! 明日からは恋人を寂しがらせないように気を付ける事ですな!」
オレは捨て台詞を吐きながら踵を返し、城壁から助走をつけて飛び降りた。
「【
空中で【身体強化】の秘跡を発動。五点接地で衝撃を殺しながら地面を転がる。
城壁の上で叫ぶ兵士たちを置き去りに、オレは真夜中の街道を駆け抜けて行った。
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