DUO《デュオ》(書籍化タイトル『誓星のデュオ』)

鳩藍@2023/12/28デビュー作発売

~アウトロー祓魔師と美貌の詩人は、剣と聖歌で悪魔を祓う~

第1話 悪魔の島にて


 遠くで、僕の家が燃えていた。母と過ごした、思い出の家が。

 

 膝の上でおとぎ話に耳を傾け、音楽を教わり共に歌った。

 そんな十六年の暖かな日々が、黄昏の空に黒煙となって消えて行く。


「振り向くな。走れ、オルフェ」


 前を走る父が、僕――オルフェの手首をグッと引いた。


 父の紫の指から伸びる黒い爪が、僕の白い肌に食い込む。反対の腕には、赤い布に包まれた小さな包みを抱えていた。


 僕はもつれそうな足を必死に動かした。走って、走って、走って――辿り着いたのは、島の端にある岩礁。

 岩の間に隠された小舟に、父の手で半ば投げ出される形で乗せられる。


「っ……父さん……!」


 船の上で這いつくばったまま、僕は父を見上げた。

 父の波打つ黒髪が潮風にたなびき、尖った耳の上から生える艶やかな黒い角に絡みつく。

 長い前髪に隠れていた黄金の瞳が、夕焼けを鮮やかに照り返す。


 その、場違いに優しく凪いだ眼差しに、僕は父との今生の別れを悟った。


 ――なにか、何か言わなくちゃ……


 これが、父との最期の会話になる。分かっているのに言葉が出ない。何を言うべきなのか、分からない。

 唇を震わせたまま何も言えないでいる情けない僕に向かって、父は眩しいものでも見るように微笑んだ。


「……ろくに顔を合わせる事もなかった俺を、父と呼んでくれるのか」


 父はそう言って船の傍らに屈むと、抱えていた赤い布の包みを僕の胸に押し付ける。


 布の中から出て来たのは、家の祭壇でまつっていたはずの、生前の母を模した純白の像――母の遺骨を砕いて納めた、櫃像ひつぞうだ。


「オルフェ。母さんは、お前の自由を願っていた。お前の幸せを願っていた……でも、この島じゃそれは叶わねえ」


 次の瞬間、轟音と共に島の断崖から大小さまざまな影が空に向かって飛び出した。


 人型、鳥型、獣型、竜型……あらゆる生き物の形をとりながら、いずれも蝙蝠に似た翼を羽ばたかせている。


 母が生まれた人間の国で、『悪魔』と呼ばれる者たち。


 僕を追うために解き放たれたおびただしい数の彼らは、夕暮れの空を埋め尽くさんばかりの勢いで島の断崖から次々と空へ飛び立ち、島の周りを旋回し始めた。


「……どうやら、向こうもなりふり構っていられないようだな」


 そう呟いた父は、僕に背を向けて立ち上がる。


「【来たれ我が手に】【魔砲剣グラネーシャ】【魔槍ライボラス】」


 詠唱によって足元に現れた魔法陣から、二つの武器が父の手に収まる。

 左手には二メートル近い無骨な片刃の大剣に大砲を装着した、魔砲剣グラネーシャ。

 右手には一メートルの槍の穂先の付け根に魔力増幅機を据え付けた、魔槍ライボラス。


 父が魔槍の穂先を魔砲剣の付け根に差し込んでひねれば、がらんどうの砲の中に父の瞳と同じ黄金の光が灯り、闇夜を切り裂く朝日のようにその明るさを増していく。


「よく聞け、オルフェ。お前が島の『結界』を出るまで、俺はアイツらを落とせるだけ落とす。お前はその船で人間の国に行け。


 そして母さんの故郷――スフィア教国の星都せいとサン=エッラに向かうんだ。あそこならアイツらも、簡単に手出しは出来ない」


 魔砲剣に宿った光を見つけた悪魔たちが、一斉に父に群がる。

 父は臆することなく、魔槍と魔砲剣の柄を持って、悪魔たちに照準を合わせた。


 刹那。音を置き去りにした黄金の光が魔砲剣からほとばしり、群がった悪魔たちが跡形もなくき払われる。

 迸った光線は射線上にいた悪魔を蹴散らし、空を埋め尽くす黒い軍団の真ん中に風穴を開けた。


「ッシ!」


 歯の隙間から鋭く息を吐いた父は、全身を使って刹那のうちに魔砲剣を四度薙ぐ。

 その動きに合わせて光線が縦横無尽に悪魔たちに襲い掛かり、ある者は全身を、ある者は翼をかれ、海に落ちた亡骸は瞬く間に波間に消えていく。


 悪魔たちが怯んだ隙に、父が僕に首だけを向ける。


「さあ、お別れだ。オルフェ」

「父さん、僕もっ……!」


 一緒に戦う、と言い掛けた僕に、父さんは首を横に振った。


「……ありがとう。俺にはもったいない程の息子を持てて、幸せだった」


 船を繋いでいた縄が、魔砲剣で呆気なく斬られる。



「愛してるぞ、オルフェ。お前は自由だ――幸せになれ!!」



 再び黄金の光を灯した魔砲剣グラネーシャを水平に構えた父は、光線を砲身から迸らせると同時に、小舟の船尾に向かって思いっ切り大剣の峰を振り抜いた。


 光線の速度を乗せて父が全力で振り抜いた大剣に打ち据えられた小舟はあっけなく海面を離れ、船尾に受けた衝撃そのまま斜め上に打ち出された。


「ぅわああああああああ!!!」


 僕は咄嗟に母の櫃像ひつぞうを抱えて船底に伏せ、風圧に飛ばされないよう船べりに必死でしがみついた。


 真っ直ぐ飛ぶ小舟を追って殺到した悪魔たちの後ろから、魔砲剣から光速で連射された光の砲弾が炸裂する。


 僕の船を中心に展開される背後からの弾幕に悪魔の肉体が弾け、紫の血が海に飛び散り溶ける。

 断続的に通り過ぎる黄金の弾幕に守られながら上昇していた小舟は、自然の摂理に従って放物線を描きながら、緩やかに船の先を下に向け始めていた。


 ――落ちる……っ!


 船べりを握る手にいっそう力を込めたとき、と、全身が『何か』を通り抜ける。

 同時に、僕のすぐ横に飛んできた光の砲弾が『何か』に当たって霧散した。


 ――ひょっとして、今のが『結界』?


 そう頭をよぎった瞬間、船底からの衝撃。

 海面に叩きつけられた小舟が放物線の軌跡を描いて跳ね、大きな水しぶきを上げながら凄まじい速さで海上を滑る。


 いくつもの波を裂いて減速し、慣性に従ってくるりと舳先を半回転させて、ようやく小舟は止まってくれた。


「……あぁ」


 小舟の上にへたり込んだまま見上げた光景に、僕の口から意味のない音が零れ落ちる。


 生まれて初めて結界の外から見た僕の故郷は、海原の中央にそびえたつ、巨大な岩石の山だった。

 山肌には緑一つなく、黒々とした剥き出しのいわおさらけ出している。


 その麓から撃ちあがる黄金の光線や光弾が、山の周囲を飛び交う悪魔の群れを幾度となく貫き、蹴散らし、薙ぎ払う。

 悪魔に躱された攻撃が、島の周囲を取り囲む不可視の結界に当たり霧散する度に、轟音と共に大気が揺れる。


 ――……何が、『一緒に戦う』だよ。


 途切れることのない光と轟音。絶え間なく襲い来る悪魔たち。

 ついさっきまで居た戦場を外から目の当たりにした僕は、自分の言葉の愚かさに打ち震える。


 ――あそこ残ったところで、僕に何が出来る? 父さんの足を引っ張るだけじゃないか。


 父さんは、僕を守るために戦っている。僕が父さんのために出来ることは、悪魔たちに捕まらないように逃げることだけ。

 それが父さんの望みで、僕が取るべき最善。


 ――わかっている。わかってるんだ。わかっている、のに……


「……ズッ……う゛ぅう……」


 鼻の奥が痛くて息が出来ない。奥歯が痺れるくらいに噛み締めた口から呻きが漏れ、無意識に力を込めた両手が、船底を掻いた。


 涙が溢れて前が見えない。それなのに僕は、逃げ出した島から顔を逸らせなかった。


「――っ! なに、あれ……」


 不意に、島の真上に何の前触れもなく黒い雲が集まり始める。

 空気が湿り、獣の唸りにも似た低い雷鳴が雲の中でとどろく。


 ――ダメだ、ここに居たら……!


 嫌な予感に肌が粟立った刹那、雷雲から島へと紫の雷が落ちる。



 閃光、爆音。



 落雷の衝撃が結界を通り抜け、僕の乗る小舟を吹き飛ばす。

 悲鳴を上げる間もなく、僕の身体は宙を舞った。


 やけにゆっくりと動く視界の端に捉えたのは、母の遺骨を納めた櫃像ひつぞう


「母、さんっ……!」


 失うまいと伸ばした手が白い櫃像を掴んだと同時に、僕は荒れ狂う黒い海へと叩きつけられ、そのまま意識を失った。



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