背を支えるもの

 改めて、リーシャこいつには敵わないと思わされた。


 剣で胸を一突きにされて、痛くないわけがない。

 なのに彼女は、母のような柔らかな表情を崩さなかった。

 苦痛の顔を見た俺が、手心を加えてしまわないようにだろう。


 リーシャはかなりの出血をしているが、それでも終わりの時は未だ訪れない。

 内に巣食うリンカネルの影響で、肉体の回復力も魔族のそれに近づきつつあるとでもいうのだろうか。


「くっ……ああああぁっ!!」

「リーシャ!?」


 堰を切ったように溢れるリーシャの苦悶の叫びが、燃える夜空にこだまする。


 それが彼女の、最後の声だった。


 入れ替わるように、リーシャに巣くう最低最悪の下衆野郎が口を開く。 


「小娘の意識を押さえ込むのに手こずったが……ようやくまた会えたな」

「俺は二度と会いたくなかったけどな」


 それは嘘偽らざる本音だった。

 できることなら、リンカネルが再び肉体の主導権を握る前に全てを終わらせたかった。

 

「天法位階の拘束……。術者の意識が消えた後でも術を残存させられる程の魔力とは、やはり我が依代に選んだだけのことはある。だが……!」


 リンカネルはわずかに動く左手の小指で、宙に魔方陣を描く。

 指先に街を燃やした時と同じような、しかしより一層白く輝く炎の塊を出した。


「安心しろ、『お前に危害は加えない』。約束を反故にするのは弱者のすることだからな」


 その炎塊はリンカネルのわずかな指の動きに従い、帝都へと真っ直ぐに飛んでいった。


 ただでさえ熱に地獄と化している帝都に、更なる破壊と死を与えようというのか。


「やめろ! やめろ!! やめろーーーーーッ!!」


 リンカネルの放った魔法は放物線を描き、帝都の中心辺りへと着弾する。

 着弾点から大分離れた位置にいる俺ですら目が眩みそうになる閃光、コンマ数秒遅れて地を穿つような爆音が届いてくる。


 街からあがる炎が一層大きくなっていくのと反比例するように、聞こえる悲鳴は小さくなっていく。

 悲鳴をあげる人間が、生きている人間が減っている。


 ここから見えるような図書館、学園、城のような巨大な建造物は、今の爆発で軒並み姿を消していた。

 建物の骨組みすら残っていないことが、爆発の強さを物語っている。


 なお剣を離さない俺に、リンカネルは低く囁く。


「お前だよ。この街を荘厳なる炎で焼き払ったのは、他ならぬお前だ」


 その言葉の意図を、俺は重々理解していた。


 リンカネルは自身への攻撃に対し、俺に危害を加えない代わりに街を焼くと言っていた。

 今の攻撃も、先刻の宣言をそのまま実行したに過ぎない。


 だからこそ俺は、こいつが表層に出てくる前に片をつけたかった。

 

「最初に関しては仕方ない。強めに警告しなかった分、我にも負い目があった事は認めよう。だが今、我の胸に突き立てた剣は、街の惨状を実際に目にした上でのものだ」


 リンカネルの詭弁に耳を貸すなと、自分の心に何度も命じる。

 荒れる心の波を、理性で必死に押さえ込む。 


 リンカネルは恐らく、まだ完全に復活していない。

 帝国最強の魔道士が使う天法位階の拘束魔法ということを差し引いても、たった一人の魔法に縛られていることがその証左だ。


 殺すなら今だ。今しかないのだ。

 完全体になったリンカネルを野放しにすれば、帝都どころの話ではない。


「回りくどい表現でなく、核心を言ってやろうか。お前の愛した場所も、人間も、お前が灰にしたのだ。愛した女を殺すだけでは飽き足りずになぁ! クハハハハッ!」

「リンカネルッ! お前だけは! お前だけはどんな手を使ってでもここで殺す!!」


 深く突き刺した剣を力任せにねじり、肉体を内から抉る。

 

 憎しみ、ただそれだけしかなかった。

 リンカネルへの憎悪それのみが、倒れそうな俺の背を強く真っ直ぐに支えてくれる。

 正義も愛も希望も、その代替とはなりえなかった。


「ク、ククク……」

「何がおかしい? さっさとくたばれ!!」


 息も絶え絶えといった様子で、リンカネルはなお不敵に笑う。

 

「言われなくとも退散してやるさ、今回はな」

「今回『も』だ。何度でも俺がお前を殺す。次もその次の転生も、俺の命ある限り潰し続けてやる」

「ほう、大きく出たな。人間の分際でよく吠えた」


 命の灯火は確実に消えかかっているはずなのに。

 いくら転生できるとはいえ、16年のスパンがあるはずなのに。


 目の前のリンカネルは、不気味な程に落ち着き払っていた。


「随分余裕だな。16年なんか永遠の命の中ではほんの一瞬、ってか」

「まさか。いくら永遠を生きる身とはいえ、16年不自由するのには慣れないさ」

「じゃあなんだ? 逆転の一手、奥の手があるのか」

「あるとして、私が素直に白状すると?」


 敵の言葉ながらそれもそうかと納得し、会話を打ち切ろうとしたとき。


「意地悪を言って煙に巻く、それだけではやはりつまらぬ。我の余裕の根拠を、嘘偽りなく教えてやろう」

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