恋心は宝箱へ
立っている力すら抜け、膝から崩れ落ちる。
例え今から過去に遡れたとしても何をすればいいかわからないくらい、最初から完全に詰んでいた。
リーシャを魔王になる前に殺せばよかったのだろうか。
彼女のいない平和な世界で、俺はどう生きればよかったのだろうか。
元を正せば、こいつだ。
リンカネルが俺の、そしてリーシャの全てを狂わせた。
「どうした、我を殺したいか? なら遠慮なく行動に移すがいい。お前の住み育った街と引き換えに、もしかしたらこの首一つ程度へし折れるやもしれんぞ」
決して許せない相手のはずなのに、身体が動かない。
例え帝都まるごと一つを犠牲にするほど絶え間なく攻撃を加えたとしても、リンカネルを倒せない事は火を見るより明らかだ。
リンカネルという災害のような相手を前に、俺はもはや、自分のなすこと全てが裏目に出そうな無力感すら覚えていたのだ。
地に膝を突く俺を、リンカネルが見下す。
興味もなにも失ったような、感情の消えた瞳で。
「……壊れたか。永遠に続いて欲しい瞬間ほど、あっけなく幕を閉じるものだな」
リンカネルは帝都を燃やしたのと同じ炎塊を右手の平に乗せた。
こいつのみたいのは心が壊れる『過程』であって、完全に折れてしまった俺はもはや用済みということなのだろう。
このまま終わりを迎えるのも、よいかもしれない。
心折れ、自らの終わりを受け入れようとした、その刹那。
「させない!
あり得ない光景だった。
リンカネルが
「なんだ!? 何が起きてんだ!?」
金色に光る魔方陣が大小無数に現れたかと思うと、それらは一斉にリンカネルへと飛んでいく。
魔方陣は手錠のように、リンカネルの四肢、首、指、胴……全身をくまなく縛り上げる。
今の魔法は、リーシャが得意としていた拘束魔法の中でも最上位のものだ。
そもそも、人間の魔法は天使の力の一端を利用するため、魔なる者が扱うには相性が悪い。
より多くの力を使う天法位階の魔法ともなればなおさらだ。
ということは……。
「リーシャ、生きてたのか!?」
俺はこの期に及んで、希望的な答えが返ってくるのを期待していた。
リーシャが上手くリンカネルをやり込めて肉体の主導権を得たとか、そんなハッピーエンドを夢想していた。
「リンカネルは私が抑えておく。だから今のうちに……私を殺して!」
リーシャの短い言葉で、俺は全てを察した。
リーシャが真に肉体の主導権を勝ち取ったのであれば、わざわざ天法位階の魔法まで使って自分を拘束する必要などないのだ。
つまり、リーシャが表に出られている現状は奇跡的なもので、いつ再度主導権を奪われてもおかしくはない。
躊躇う心に鞭を打ち、俺はリーシャが腰に吊してた剣を抜き取る。
「本当に、いいんだな」
「うん。もう私は助からないけど、せめてエリアス達には生きてほしいから」
リーシャは己の悲壮な運命を感じさせない、太陽のような笑顔をみせた。
本のページをパラパラとめくるように、在りし日のリーシャの姿が脳裏に浮かんでは消え去っていく。
思えば、リーシャはずっと前から依代であることに気づいていたのだろう。
それでも彼女は、貴族を演じるリーシャに憧れていたやつらにも、素の彼女を知る俺にも、己の死の運命を感じさせないような振る舞いをしていた。
誰よりも自分がつらかったはずなのに、他人ばかりを気にかけるような、リーシャはそんな女だった。
そんなやつだったから、俺も彼女に惹かれていたのかもしれない。
たとえ、空の星に手を伸ばして掴もうとするような、果てしなく不毛な恋だったとしても。
決して届かない存在だと思っていたからこそ、俺はリンカネルの言葉に揺らいでしまった。
リーシャが俺に恋をしていたのは本当か、気にならないと言えば嘘になる。
いっそ最後に俺の秘めた想いを口にしてしまおうとも思ったが、その考えはすぐに消えた。
愛の言葉を口にしたところで、それは互いを縛る呪いにしかならない。
リーシャの返答がどうあれ、この後に控えているのは無情な別れでしかないのだから。
この恋心は、想い出の宝箱の中にそっとしまい込もう。
鍵をかけ厳重に、決してうっかり飛び出てしまうことなどないように。
ためらう時間も、かたらう猶予もない。
リーシャの身体をこれ以上、悪鬼に弄ばせるわけにはいかない。
涙を拭い、剣を握る両手に力を込め、
そして。
俺は、唯一無二の親友を刺した。
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