恋の味
「リンカネル、お前……!」
あまりに現実離れした光景に、俺は言葉すらろくに放てなかった。
いつもと変わらなかった帝都の光景が、たったの数秒で熱の地獄に突き落とされたのだ。
今すぐにでもリンカネルを殺してやりたくてたまらなかったが、手段がない。
唯一あるとすれば、リーシャが持ち歩いていた家宝の聖剣を使う事だろう。
しかし『リンカネルを出し抜いて懐から剣を奪い取り』『剣をろくに扱えない俺が』『圧倒的に実力差がある魔王を正面から斬る』のはあまりにも現実的ではない。
リーシャの身体を傷つけることへの抵抗心をないものとしても、乗り越えるべき関門が多すぎる。
かといって、中途半端な攻撃では街の被害が拡大するだけだ。
思考の時間がいると判断し、時間稼ぎの会話を試みる。
「俺が住み育った街、ってお前は言ったな。じゃあお前は、リーシャの身体を完全に乗っ取る前の事も知覚していたのか?」
リンカネルが転生して以降、俺がこの街の住まいであることを奴が知る手立てはなかったはずだ。
リーシャの中にいた間から、既に知覚情報を得ていたと考えれば辻褄があう。
「時間稼ぎの会話か。くだらん現実逃避だな」
俺の考えなどお見通しとばかり、リンカネルは溜息をつく。
「……だが、あえて時間稼ぎに乗ってやろう。いかにも。この娘の見聞きしたもの、感じたことは全て我も共有している」
強者の余裕、慢心。
リンカネルが俺の時間稼ぎに付き合っているこの現状が、そういったものに端を発するものであれば、どんなによかっただろうか。
しかし、リンカネルの狙いは別にあることを、俺は間もなく思い知る。
「さて、ここで一つ問題だ」
「クイズかよ。一人でやってろ」
「せっかく見え透いた時間稼ぎに乗ってやっているのに、お前はつれないな。まあよい。お前の意思に関係なく、お前はこの疑問を思考せざるを得なくなるはずだ」
リンカネルは口元を歪ませ、嗜虐心剥き出しの邪悪な笑みを見せた。
「どうして依代の娘は、我が転生する15の誕生日まで自害をためらったと思う。単に命惜しさ、死への恐怖のみが理由だと思うか?」
その問いはまさに、心の中でうっすらと引っ掛かっていた部分だった。
リーシャにも勿論、死への恐怖は人並みにあるだろう。
だが幼い頃から『貴族たれ』と、下々の人間の為に自らが率先して身を切れと教育されてきた彼女が、それだけを理由に自害を行わなかったとは思えなかった。
リンカネルとの会話で時間を稼いで打倒の糸筋を見つけるつもりが、気づけば逆に俺がリンカネルの言葉で心を乱されている。
「お前達人間は、我が暴力で街を、営みを、命を壊すことにこそ至上の喜びを感じる生物とでも思っているのだろう?」
「なんだ突然。当たり前だろ」
そういう生物でもなければ、普通は他の生物を無意味に殺したりはしない。
食べるためでも、自分が生きるための糧にするためでもない。
こいつが帝都を火の海にしたのは、そのどちらでもなく、単に己の快楽のためでしかないだろう。
「心外だな。形あるものを壊すというのは、案外すぐに飽きが来る。壊れ方が常にワンパターンだからだ」
「飽きるならやめろよ。なんで楽しくもないのに人の命を奪う」
「魔王としての義務感、惰性とでもいったところかな。お前達人間も、常に楽しいことだけを選択している訳でもあるまい?」
義務や惰性、そんなもので、こいつは人を殺す。
人間とは絶対に相容れることのない存在だ。
「そう睨むな。我にとって、形あるものを壊すことは一つの手段なのだ」
「何の手段だよ」
「心を壊すことさ。人の心が壊れる過程というのは何度見ても色褪せない美しさがある。突きつけられた理不尽に怒り、戦い、抗う。十人十色の力強い輝きを、我は永遠に観続けたいのだ」
リンカネルは、恍惚に浸るような顔をしていた。
俺の存在すら忘れ、世界に己一人であるかのように、リンカネルは自分の世界に耽溺する。
「おっと、話がそれたな。なぜ依代の娘が自害をためらったか、教えてやろう」
一筋の冷たい風が吹き抜けていった。そして……。
「お前を、愛していたからだ」
「なっ……?」
胸を撃たれたような衝撃に貫かれた。
驚きと戸惑いと、名状しがたい感情の渦に溺れてしまうような心持ちがした。
「いじらしいことよ。お前との旅行の約束を守りたいが為に、お前と一緒にいたかったが為に、依代の娘は己の運命から目を背けた。恋の味さえ知らなければ、現代に魔王の暴威を蘇らせた大罪人に成り果てることもなかっただろうになあ」
ないまぜになった感情の混合物の中で、とりわけ濃度の高いものは『怒り』だった。
唯一無二の友人を殺しただけで飽き足らず、その心まで漁り、暴いていく。
死体を蹴るような行いに、思わず反吐が出そうになる。
「出任せいうな!」
「こちらとて信じてくれと懇願している訳ではない。『本当に』出任せだと思うのならば、これ以上はあえて何も言うまいよ」
俺は怒りに打ち震えつつも、こいつの言葉を心の底から出任せだと断じる事はできなかった。
覚醒前にリーシャと知覚を共有していた事が事実である以上、感情を共有していた云々も嘘とは言い切れない。
リーシャは高嶺の花という言葉がふさわしい、決して手の届かない所にいる遥か彼方の女だ。
血筋も、美貌も、気高い心も。何一つ俺では釣り合いがとれない。
そんな彼女が、俺のような出来損ないを好きになることなど、世界がひっくり返ってもあり得ない。
だがしかし、そう考えれば全ての辻褄が合ってしまう。
リーシャが今日の今日まで死の決断に至らなかったのも、リンカネルが俺に感謝の意を示しているのも。
ともすればそれは、
「はは……。俺は一体、どうすれば良かったんだろうな」
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