依代の定め
俺はリーシャと、卒業旅行へ行くことを以前から約束していた。
再三だが、リーシャは貴族だ。
学生でなくなり公務に携わる立場になれば、より一層個人の自由は制限される。
端的に言えば、俺とは二度と会話などできなくなるということだ。
学園の勉学が一段落付いて、なおかつ本格的に貴族として束縛される直前のタイミングで、最後の思い出作りをしたかった。
「……残念だけど仕方ないな」
言いたいことは、山ほどあった。
だが、リーシャの態度を見ていれば、本人にどうにもできない都合であることくらいは想像が付く。
俺がゴネたところで、リーシャが困るだけでしかない。
であれば、素直に二つ返事で承諾する他ないだろう。
「理由、聞かないの?」
「聞いたって仕方ないだろ。大方、家の都合だろう?」
いつになくしおらしい態度を取っていたリーシャが豹変し、声を張り上げる。
「違うし! そこはもっと残念そうに食い下がりなさいよ、これじゃ私だけ……」
「私だけ?」
「今のなし、やっぱなんでもない!」
女心は難しい。
いや、よく考えたら、俺はリーシャ以外の女とろくに話したことがない。
これを基準にするのは、もしかしたら失礼な事かもしれないと思った。
しかし、家の事情でないとすれば、一体理由はなんなのだろう。
まさに俺の心を読んだようなタイミングで、リーシャは重々しく口を開いた。
「私ね、実は依代なんだ」
その言葉を聞いた瞬間、俺は足下の地面が丸ごと崩れ落ちるような心持さえした。
依代という単語だけで、この世界の人間は『誰の』依代なのかを理解する。
魔王リンカネル。
250年前より文献にその名が記されている魔王。
膂力、魔力、そして頭脳。
全てにおいて魔族の王を謳うに相応しい力を持ち合わせていたが、リンカネルの真の恐ろしさは別の所にある。
『リンカネルは何度でも蘇る』
決して比喩や誇張ではない。
彼は己の肉体を持たない、魂だけの存在なのだ。
例え息の根を止めた所で、一年後に生まれる赤子を依代とし、15の誕生日を迎えると同時に依代を乗っ取る形で転生を果たすだけなのだ。
千の剣で貫こうと、万の雷を浴びせようと、真の意味でリンカネルを滅ぼす事はできない。
「なあ……悪い冗談だろ?」
心にもない、祈りにも似た問いかけ。
確かにリーシャは冗談が好きなやつではあるが、こういう『しゃれにならない』冗談をいうような人間でないことは理解している。
「冗談、だったらよかったなあ。ほんと、なんで私なんだろうね」
リーシャは精一杯に笑顔を取り繕うとするも、声は弱々しくうわずり、目は涙で潤み始めている。
いつになく弱気な彼女の姿に、俺は言葉を失ってしまう。
人類がリンカネルにとれる対策はただ一つ。
『リンカネルの自我が芽生える前に依代の人間を殺す』
災厄を延々と先延ばししているに過ぎないが、それが一番現実的なのだ。
魔王が目覚めた後に倒すとなれば、それは最低でも全人口の1/3を犠牲にした大戦争になることは歴史が証明している。
幸い依代本人には、うっすらとだが自覚があるという話だ。
依代自身がその事実を国に申請すると、然るべき手続きの後、誕生日直前に安楽死を施される。
国選の熟練魔道士が痛みや苦しみを感じないように処置してくれること。
遺族に対しては国から手厚い保証があること。
そして何より、魔王が転生した時点でどのみち依代は確実に死ぬということ。
これらの理由により、依代に選ばれた少年少女は大抵の場合、大人しく自らの命を捧げる。
単純な損得勘定、被害者数の大小比較でいえば、今まで行ってきたこの方法こそが現状における最適解であることは疑う余地もない。
俺は今日まで、そう信じていた。
……依代が顔も名前も知らない、情の湧かない他人であればの話だが。
「私、バカだな」
「えっ?」
「ずっと前から、依代の自覚は薄々あったんだよ? 今日に近づくにつれて、頭の中の声が大きくなっていくのはわかってた」
リーシャは震えながら、訥々と語る。
「今日になって『やっぱり気のせいでした!』ってなるかもしれない。今日までにどうにか転生を食い止める方法が見つかるかもしれない。そんな甘い期待と惰性に引きずられて、結局今日まで生きちゃった」
俺はリーシャにかける言葉を、何一つ持たなかった。
激励も憐憫も意味はなく、解決方法を提示することもできない。
例え俺の中の言葉を総動員しても、口にする前から全てが空虚だと理解できてしまう。
「だけどもう、確定的にダメだっていうのが感覚でわかる。手も足も、私の全部の感覚が希薄になってくような気がするの。だから……」
俺は半ば条件反射的に、リーシャの右腕を捉えようとした。
理屈ではなく、今捕まえなければどこか遠くへと行ってしまう気がした。
「ごめん、エリアス。【
しかし、その手が彼女に届くことはなかった。
リーシャは俺の動きを察し、魔法で拘束したのだ。
なんとか拘束を破ろうと試みるが、帝国最強の魔道士が相手では無駄な努力でしかなかった。
「リーシャ! 行くな!」
唯一動く口で引き留めようとするも、リーシャは俺を振り返らずに崖へと足を進めていく。
絶崖まであと一歩のところまで差し掛かったところで、彼女はうつむきながら、惜別の言葉を口にした。
「今までありがとう。エリアスとの時間、楽しかったよ」
「ありがとうなんていうなよ! 今までみたいに傍若無人でいろよ! まるで最期みたいじゃねえか!!」
俺はありったけの感情を振り絞る。
納得なんかできるか。俺の唯一の友人がたったの15で死ななければならない運命だなんて。
しかし、俺の納得など必要でないとばかりに、世界は無情に回る。
リーシャはついに最後の一歩を踏み出し、宙へと身を投じた。
俺は指をくわえることすらできず、ただリーシャの背中が落ちていくのを眺める事しか出来なかった。
その数秒後、リーシャの【
術者が絶命したのだ。
言葉にならない声を、そらたかくあげた。
どうしようもない現実が吹き飛んでしまえばいいと心の奥底で祈りながら、己の全てを吐き出した。
目の前が潤んで見えない。
いや、いっそもう見えなくてもいい。こんな現実、ハッキリと見えた所で余計に苦しむだけだ。
全てがどうでもよくなった。なるようになればいい。
草むらの上にうつ伏せで突っ伏し、放心する。
何をする気力も湧かず、力なく伏していた。
しかし、俺はすぐに思い知る。
本当の地獄はここから始まるのだと。
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