青春は飴のように甘く

 時は数時間前に遡る。


♢ ♢ ♢

 

 俺は学校終わりに、帝都の外れにある丘に呼ばれていた。


 この丘は見晴らしがよく、帝都を一望できる。

 夕焼けの紅に照らされた街は、どこか寂しげな色を帯びていた。

  

「よう、リーシャ」


 俺は街を見下ろす少女の横顔に声をかけた。


 リーシャ・フォン・アレクサンドリットは俺の幼馴染みだ。


 彼女の腰まで届く銀色の細髪が、夕日色に煌めいている。

 透き通る緑の瞳は翡翠のようで、ハッと息を飲むような美しさを帯びていた。


 彼女が身に纏っているワンピースは、学園の制服だ。

 カテゴリ的にはクラシックロリータとでも呼ぶのだろうか。

 茶色を基調とした落ち着いた制服と、彼女自身の儚げな雰囲気が相まって、まさに深窓の令嬢とでも呼ぶのがふさわしいたたずまいだった。


 もっとも、彼女が口を開かずに黙っていれば、の話だが……。


「ねぇ! アレはちゃんと持ってきたんでしょうね??」


 リーシャはクリっとした丸い目で俺を捉えるなり、声を弾ませた。


「相変わらず食い意地張ってんな。ほらよ」

「ペロキャン!」


 俺が手に持った駄菓子を見せると、リーシャは花開くような笑顔を見せた。


 ペロキャンは棒の先に渦巻き模様の飴がついただけの、特に工夫もないキャンディだ。

 駄菓子屋を営む俺の両親が考案したお菓子なのだが、リーシャはいたくこれを気に入っているらしい。


 ペロキャンを手にしたリーシャは地面にしゃがみこみ、いただきますを言うが早いか口へと運んだ。

 

「毎回思うけど、そういうのってはしたないとか言われないのか? なんていうか、貴族的に」

「言われるわよ。だから人目をはばかってペロキャン舐めてるんじゃない」


 リーシャはこう見えて、名門アレクサンドリット家の令嬢だ。

 

 アレクサンドリット家は300年以上前から存在していた最古の貴族であり、貴族の中でも別格視されている。

 一般論として、貴族自体が古来よりの伝統や格式を重んじる保守的な思考になりがちなのだが、アレクサンドリット家は特にその傾向が強い。


 テーブルマナーの様な礼儀作法を厳しく仕込まれるのは無論のこと、話し方や心構え、果ては歩く姿勢まで、あらゆる瞬間で貴族たるようにと幼い頃から矯正される。


 こんな姿を見ていると忘れそうになる事実だが、彼女が堂々と帯剣していることが何よりもの証拠である。

 軍を始めとした公的組織を除けば、貴族のみが唯一、帯剣を許可されているからだ。


「うぅ〜、この飾り気のないストレートな甘さ! 生きてる喜びを教えてくれるわね!」


 だらしのない顔で庶民の駄菓子をしゃぶる目の前の女が、アレクサンドリット家においてとびきりの異端児であることは、言うまでもないだろう。


「飾り気のないって、それ褒めてんのか?」

「当たり前よ。エリアスが作ったならともかく、エリアスのご両親が作ったものを貶めるわけないでしょ。人の親を悪くいうものではないわ」

「そういうとこは意外と礼儀正しいんだな」


 その礼儀正しさを、少しでも俺にも向けてくれたらと思わずにはいられない。


「意外と礼儀正しいってさぁ、仮にも貴族に対してその言い方なくない??」

「普段のお前見てると貴族なこと忘れちゃうんだよな。人前で猫被るのは上手いとは思うけど」 

「言い方に悪意があるわね。私はあくまで皆が望む通りの私であるだけよ」


 なるほど、ものは言いようだと思わず感心してしまった。


 リーシャは俺と二人きりの時こそこんな調子だが、外向きの顔を作るのがとてつもなく上手い。

 

 学園での彼女は、同一人物であることを疑いたくなるくらい気品に溢れた完璧人間だ。

 

 勉学、体術、魔導実技、全てを汗一つかかず涼しい顔でこなし、困っている人間にはいち早く救いの手を差し伸べる。

 誰に対しても柔和な笑みで感じよく接し、しかし己の正義を曲げるようなことは決してしない。


 今のペロキャン舐めてるリーシャが本性だと知っている俺でさえ、学園でのリーシャには畏敬の念すら抱いてしまい、正直近寄りがたいところがある。

    

 それがアレクサンドリット家の『貴族たれ』という教育方針の産物であることは容易に察しが付く。

 恐らく家でも、両親に対して学園と同じような外向きの態度で接しているのだろう。


 本性を飾りたてる必要のない俺との会話はもしかしたら、尊い血に縛られた彼女にとって、つかの間の羽休めなのかもしれない。

 そう考えるのは、俺の自意識過剰だろうか。


 リーシャがペロキャンを食べ終えた頃を見計らい、声をかける。


「なあリーシャ、その……」

「なによ改まって」

「誕生日、おめでとう」


 祝いの言葉を口にするのは、例え気心のしれた相手であろうと照れくさい所がある。


「毎年思うけど、人の誕生日を祝うくらいで何ドギマギしてんの?」

「しょっ、しょうがねぇだろ。慣れてないんだよ、人を祝ったり褒めたりするの」

「前から思ってたけど、エリアスって割と照れ屋さんだよね。無愛想なくせに、意外とかわいいところあるじゃん〜」


 マウントポジションを取ったとばかりに、リーシャが攻勢を強める。

 百歩譲って無愛想なのは認めざるを得ないが、照れ屋という部分に関しては断じて認めない。


「うるさい。俺に照れるなんて感情はない」

「本当~? じゃあ、試してみよっか」


 試すってどうやって? と言おうとしたが、その言葉はリーシャの行動にかき消された。


 彼女はズイと顔を近づけ、至近距離で俺を見つめ始めた。

 それ以上の何かをするという訳でもなく、リーシャは吐息のかかるような距離で、ただただジィ~っと俺の目を見つめている。

 

 間近で見るリーシャの目はまるで綺羅星のように煌めいていて、思わず見入ってしまう。

 同い年の女の子にここまで顔を近づけられた経験がない俺は、誕生日を祝うのとは比べものにならない恥ずかしさを覚えていた。

 

 まるで風呂でのぼせた時のような、意識が遠のく微熱の中の浮遊感。

 顔から火が出る、という言葉があるが、あれはまさしくこういう時の感情なのだと肌で実感できた。

  

 加速度的に早まる心臓の鼓動から目を背けつつ、ぶっきらぼうに言い放つ。

 

「近いんだけど」

「どう? 照れた?」


 こいつに俺の感情の高鳴りを正直に伝えたら後生バカにされることが目に見えているため、内心とは裏腹に平静を装う。


「照れない。俺は照れてない」

「……そっか」


 リーシャは思いのほか残念そうな声色で、そっと呟いた。


 いつものリーシャであれば追い打ちを掛けてくるような場面だからこそ、俺は逆に拍子抜けしてしまう。

 

 他人の誕生日を祝い慣れてないために忘れそうになってしまったが、プレゼントを贈らなければ。

 俺は手に提げたカバンの中から、小遣い半年分と引き換えに用意したペロキャン無料券を出そうとする。


「エリアスに言わなきゃいけないこと、あるんだ」


 今にも消えてしまいそうな、儚さすら覚えるような声色。

 今まで聞いたことのない真面目なトーンで話を切り出され、カバンから出そうとしていた手を思わず止める。


「ごめんね。卒業旅行、やっぱりいけない」

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