第170話 ただ一人で



 鬼尾街から逃げ出せば、堕鬼組から裏切り者とみなされ排除される。

 兄弟と同じように逃げ出そうとして殺された人間を兄弟は何度も見てきた。

 だからこそ、自分たちの行動がどれほど危険なことなのかを分かっていた。


 だが、堕鬼組との仕事をこなしていくことでレンは組織の内部を大々把握していた。

 外的からの脅威に警戒して、夜になろうと厳重な警備を敷いている堕鬼組だが、穴は必ずある。

 いや、作ればいい。


 警備をしているのはなにも組織の人間だけではない。

 人手不足になれば鬼尾街の住人達に協力を要請し、警備を任せられる。

 その中で金に困っている人間がいれば、買収するだけで黙って外に通してくれる。


 町の外は、何もない平原が広がっているため特に注意しなければならないが、少し離れた先にある雑木林に逃げ込めば脱出したも同然だ。



「―――やった! やったぞジーク!」


 無謀に見えた脱出計画が、いとも簡単に成功した。

 物音を立てないように移動をする二人だったが、高揚を抑えられなかったレンはジークの小さな身体を抱き上げて声を張り上げた。


「うん……うん! そうだね兄者!」


 町から逃げ出せた者は、今までで誰一人としていない。

 成功に喜ばずにはいられなかった。


 長年、夢にまで見た外の世界だった。

 生まれて死ぬまであの町の中で朽ちていく運命にあると思っていた。


「まず童王の城下町に住める場所と、仕事を探そう。ある程度、金が溜まったら刀を買って頭領様の目に止まるほど強くなって、和の大国全土に俺の名前を轟かせてやる!」


 目を輝かせ、夜空を見上げながらレンは宣言した。

 不思議といつか必ず成し遂げてくれるんじゃないかと、ジークはレンの背中を見ながら思った。

 今まで有言実行してきた兄なら夢を叶えるはずだと、確信を持つことができた。


「ジークはさ、どうしたいんだよ? 別に兄ちゃんのように戦いの道を進まなくたっていい、自分のやりたいことをやればいいんだよ」


 突然レンに訊かれたので、ジークは焦ったように目を泳がせる。

 どうしたい、と訊かれてもこれから兄が目指す先なら自分もついて行くだけとしか答えられそうになかった。


「僕は……」


 夢なら、たった今叶ったからだ。

 尊敬する兄と肩を並べて自由にることができた。

 もう、それ以上の夢なんてジークには必要なかった。


「………え?」


 走っていたレンの胸から血飛沫が上がった。

 あまりに唐突だったため、理解が追いついたのはレンが崩れるように地面に倒れ込んで動けなくなった後だった。


 倒れた兄の傍らに駆け寄り、顔をしかめる。

 レンの胸には、鋭利な刃物が突き刺さっていたからだ。


「兄者! 兄者ああああああ!!」


 どうすればいいのか、何をすればいいのか。

 どうすれば兄を救えるのか、まだ子供だったジークには分からなかった。

 兄を呼ぶことしかできなかった。


「そいつはもう無理だぜ? 刺さる寸前に反応して急所をそらしたみたいだが投げた小刀には猛毒が塗ってある、長くは持たねぇだろ」


 声のした方向には、いつもの穏やかな笑みを浮かべるアマノが立っており、その周りには武器を構えた大勢の堕鬼組がいた。


 あんなに居たというのに、兄弟はまったく気配を感じ取れずに雑木林を移動していたのだ。

 ジークは絶望した表情を浮かべていたが泣くのを堪えながらレンを抱きかかえて、その場から逃げようとする。


 しかし、ジークが立ち上がろうとした瞬間を狙ってアマノは毒塗りの小刀を投擲した。


「ぎゃあっ……!」


 小刀は脚に深く突き刺さってしまい、ジークは地面に倒れ込んでしまう。


 アマノは満足した顔で兄弟の元へとゆっくりと近づく。


「どうして逃げ出す前に、今まで誰一人として町から出ることができなかったのかを考えたりはしなかったのかなぁ?」

「……なん……何で……」


 レンの計画は完璧のはずだった。

 いや、一つ考えられるとしたら金を渡した警備が裏切った可能性だ。

 計画をアマノに伝えて、それで回り込まれたかもしれない。


「言っとくけど見張りにした奴は関係ねぇからな。さっき殺しておいた」


 だがアマノはそれを否定する。

 毒が体に回っているのを感じ、息をするのも苦しくなってきたせいで、他の可能性を考えられそうにもなかった。


「妖術って言葉、一度ぐらいは聞いたことはあるだろ? 和の大国で使える者は一握りしかいないとされる神に選ばれし力……」


 アマノはそういい、眼帯を外した。

 そこには片方の黒い瞳孔とは異なる色、緑色の瞳孔がらんらんと夜闇の中で光っていた。

 まるで不思議な力を纏ったかのようだ。


「俺の眼にそれが宿っているらしい。遠い異国の書物には”千里眼”と記されていてな、遠くにいる人物を覗き見ることができる特徴が俺の眼と一致している。つまり、最近コソコソしていたテメェ等兄弟に不信感を感じて、この眼で視させてもらったってわけだ」


 妖術という単語を何度も聞いたことのあるジークだったが見るのは初めてだった。

 あれのせいで組織に同行を知られて、レンが胸を刺されて死にかけている。

 自分も次第に全身に毒が回って死ぬ。


 せっかく二人でここまで頑張ってきたのに。

 自由になれると思った矢先こんな絶望が待っているのなら、いっそのこと町に留まっていればこんな事にはならなかったんじゃないかと、ジークは涙を浮かべながら後悔する。


「ガキのくせに他の大人にも負けねぇぐらい仕事をこなしてきたレンを失うのは惜しいが、角のねぇ役立たずの方は死んで当然だな」


 アマノの言葉で、ジークは頭が真っ白になった。

 角がない、そうやって存在を否定されたのは何回目だろうか。

 いまだに慣れずにいた、痛かった。

 脚を刺されるよりも、ずっと。


「とりあえず、死ねや」


 アマノが懐から別の小刀を取り出して、ジークに振り下ろした。

 先ほどのアマノの発言にショックを受け、固まったままのジークはピクリとも動こうとしなかった。


「うわあああああああああ!!」


 倒れていたレンが突然起き上がって手に握っていた尖った石を、アマノのこめかみに思いっきり叩きつけた。


「ぐっ……このクソガキが……」


 よろめきながらアマノはレンから距離をとって、血の流れるこめかみを手で押さえる。

 アマノの部下たちが激怒して兄弟に襲いかかろうとするが、雄叫びを上げながらレンが数人をなぎ倒す。


「テメェが神の力をもった妖術使いだがなんだが知らねぇが! テメェなんかよりもジークの方がもっと特別だ! それをテメェ如きが否定してんじゃねーよ!」


 致命傷を避けても体に毒が回っており、大量の血を流してしまっている。

 だというのにレンは倒れることはせず、大切な弟であるジークを守るようにして堕鬼組と向かい合う。


「ジーク! 俺はいい! だけどお前は死んじゃいけねぇ!」

「兄者……」

「逃げろ! ここじゃない、何処か遠くに! きっと、いつか見つかるはずだ! お前を必要とする仲間が! 世界は広い……だからお前だけでも自由になってくれ!」


 次々と堕鬼組を倒しながらレンは叫ぶ。

 それは兄としての命令ではなく、心からの願いだった。


 ジークは必死に自分を奮い立たせ、立ち上がろうとする。

 自由に、自分だけが、自由に……



「図に乗るなよ、クソガキが」

「……!」


 静かになった。

 森に響き渡っていた騒々しさが、まるで嘘のように。

 ジークの足元に、唯一無二の兄であるレンが、息を引き取っていた。


「―――――」


 目を開けたまま、安心した顔で死んでいる。






「あああああああああああああああああああああああ!!!!!」


 ジークの額に青い炎を纏った角が顕現する。

 爪と牙が鋭くなり、眼球が真っ黒に染まっていく。


「ああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


 兄を失った悲しみよりも、怒りと憎しみがジークを支配する。

 獣のような雄叫びを上げ、眼前で呆然と立ち尽くす獲物へとめがけて駆け出した。



 明らかに気配の変わったジークの姿に呆気に取られながら、アマノはすぐに我に返って構える。あの炎を纏った角はどうせ、ただの見せかけだと内心見下しながらジークを迎え撃った。


 次の瞬間、ジークの腕がアマノの腹部を貫通して、臓物を引き抜いた。

 苦しむ間もなく顔面に重々しい一発を受け、頭蓋を剥き出しにしながら呆気なく絶命した。


「ボスがやられた……?」

「うそだろ、そんなの有り得ない!」

「慌てんじゃねぇ! 多勢に無勢だ! こっちが有利なのは変わらねぇ!」


 一番腕の立つアマノが殺されたことで堕鬼組全体に焦りが生じるが、数で押し切れば勝てると思い込んだのか一斉にジークに襲いかかる。


「あああああああああああああああああああああああああああ!!!!」



 一分経つことなく森にいた総勢三十人の堕鬼組が、たった一人の角無しだった子鬼の手によって皆殺しにされた。


 目を背けたくなるほど血と肉で染まる地獄絵図が一帯に広がっており、強烈な臭いのせいでそこら中に虫が集る。


「うぅ……兄者……僕は……」


 血に染まった両手を見つめながら、ジークは震える声で呟く。

 額にはもう角は生えておらず、爪や牙も元通りに戻っている。


 あの力は一体何だったのか、地獄を引き起こしたジークですら解っていない。

 ただ、怒りや憎しみはもうなかった。


 後悔という鋭いトゲだけが、胸に突き刺さっていた。



 だけどジークには、もう進むしか道はなかった。

 暗い道を、ただ一人で――――

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