第168話 恋慕



 現代日本でバイトした経験のある蕎麦屋で得た知識をフル活用したことで、潰れかけていた蕎麦屋を救ってみた。


 とか某小説サイトにありそうなタイトルみたいな状況が起きていて、たちまち俺の顔は海鳳中に知られることとなってしまった。


 不思議な感覚だ、理想郷の外に出れば傲慢の魔術師と恐れられられていた自分が、まさか”蕎麦屋の怖い兄さん”と愛称されるだなんて。

 和の大国、恐るべし。


「さっきのお客さんは、ロベリアさんのお友達?」


 閉店後、片付け中に看板娘のアキが興味津々に訊いてきた。

 無愛想で怖い顔の男に、親しげに話しかけてきた客がいたから気になったのだろう。


「……最近知り合った連中だ。気の良い奴らで、たまに一緒に飲みにいく」


 別の町からこの町に引っ越してきた設定なので、知り合ったばかりということにする。


「そうなのね、今度紹介して。次来たときは友達割引してあげるから!」

「ああ、お前の父親が許すのならな……」

「大丈夫よ。父ちゃん、ロベリアさんのことを恩人のように気に入ってるから。アナタが現れていなかったら路頭に迷っていたんだよ、私たち」


 つい最近、うどんブームとやらが起きていたらしい。

 現代日本でいうタピオカブームのようなもので、うどん屋の店舗数が海鳳の七割を占める勢いで拡大したことで殆どの蕎麦屋が経営難に陥り、潰れるか新たにうどん屋を開業するかの選択肢に迫られたとのことだ。


 アキはブームに乗っかってうどん屋に乗り換えるべきだと進言したらしいのだが、彼女の父親、この店の大将シュウキはそれでも頑なに蕎麦屋を続ける意思を曲げなかった。


 この蕎麦屋”紅葉風もみじかぜ”はアキの曾祖父さんの代から続いていた店なので、シュウキは自分の代で潰れることが許せなかったのだろう。


「ロベリアは私たちにとって、海鳳神かいほうしんさまが遣わした救世主。謙遜したら許さないんだからね!」


 救世主は誇張のし過ぎだと思うが、役に立てたなら嬉しい。

 だけど、長居する気はない。


 船を造る目処が立ったら、蕎麦屋を辞めて和の大国から出なければならないのだ。

 ここで働いているのは情報収集のためで、蕎麦屋を継ぐためではない。


(レシピを残しておこう。何も残さずに突然出ていくのも気が引けるしな……)


 この国の文字を読めないし書けないので、勉強しておくのもいいかもしれない。

 シュウキに頼んでそれっぽい書物があれば読ませてもらうとしよう。


 そんなことを考えながら片付けを終えて、店の外を出る。

和の大国は冬になっても気温は高いが、夜になると肌寒い。

 この肉体で風邪を引くことはほぼないが、表に出している小道具を中に入れてさっさと上がろう。


「……?」


 向かい側にある建物の陰に、何故が身を潜めている男がいた。夜闇に溶け込んでいるつもりでいるようだけどハッキリと目視できる。


 何かを目論んでいるかのような表情でこちらの店を見つめていた。


「おい、貴様。そこで何をしている? 悪いがもう店じまいの時間だ」


 腹を空かせた客である可能性を考慮して声をかけると、こちらの存在に気づいた男はまるで幽霊でも見たかのように奇声を上げながら逃げていってしまった。

 知ってる、夜のロベリアの顔は怖い。


「騒々しい奴だな……ん?」


 男の隠れていた場所に、油と燃えやすい薪のような木材と小さな布が落ちていた。

 この遅い時間に向かい側の建物に隠れてこちらの様子を伺う男、あらかた予想がつく。

 放火しようとしたな、大繁盛した”紅葉風”を排除するために。


 ライバル店の仕業か、それともシュウキたちに個人的な恨みを持つ者なのかは知らないが、そういうときは直接聞いたほうが早いな。

 逃げ足が速く、かなり距離を開けられてしまったが男の気配はまだ感じ取れる。


(魔術を使うまでもないな)


 男の逃げた方向へと疾走する。

 自分を忍者だと思い込み、華麗に風を切り、通行人に衝突しないように避けながら標的に狙いを定める。


 五秒もかからず男の背中が見え、さらに走る速度を上げて男の目の前に回り込む。


「うわあああああああ!?」


 だから、幽霊を見たかのようなリアクションはやめてくれ。


 男はその場に尻もちつくように倒れ、背負っていた大量の何かを撒き散らしてしまう。


「殺さないで殺さないで殺さないで! 僕はただ……ただ!」


 みっともなく蹲って命乞いをする男、というか年端もいかない青年だった。

 いや、だからといって放火行為を容認することはできない。


「貴様は自分がなにをしようとしたのか分かっているのか? くだらない他者への妬みで大勢を巻き込んでいたかもしれなかったんだぞ?」

「え……そんな…僕はそんなこと」

「黙れ、うちの”紅葉風”に客を取られたから、その恨みで放火しようとしたのだろう?」

「放火……? そ、そ、そんな恐ろしいことしませんよ!」


 俺の言葉に、青年は驚いたように顔を上げた。

 嘘をつけ、戯言は署で聴いてやる、とか頭ごなしに決めつけたりしない。


 青年の表情と瞳からは嘘を感じ取れない。

 経験上、本当のことを言っているかもしれない。


「ならば、この油はなんだ? 家屋を燃やすにはちょうど良さそうだが?」

「昨夜切れちゃったので油屋で購入したんです!」

「ほう、ならこの薪はなんだ? 燃え盛る”紅葉風”でバーベキューでもするつもりだったのか?」

「……それが何なのかは知りませんが、薪を売っていただけです! 結局、大量に売れ残っちゃったんですけど……」


 ああ、周りに散らばった薪の数、全然売れていないようだな。

 気の毒に、だが最も気がかりなことがある。


「最後に質問だ。何故、この時間に向かい側の建物にコソコソ隠れて”紅葉風”の様子を伺っていたんだ? 明らかに怪しい不審者だ」

「あ……ええと……その……」


 なんかモジモジし始めた。

 顔を赤らめて言いにくそうにしている。


「どうした……? 早く答えろ」


 だけど理由を聞かないと納得できないので、あえて急かす。

 すると青年は決心したように、身体の震えを必死に抑えながら、裏声で答えた。


「アキさんが好きなんです! ひゃぁぁ……言っちゃったよ僕……恥ずかしいよぉ……!」


 あー、なるほどね、完全に納得しました。





 ――――――




 この一週間、”紅葉風”の二階にある空き部屋で寝泊まりさせてもらっている。

 スペースは狭いが飯は出るし働いた分の給料も出るので不便はない。


 そんな狭い部屋に青年と話をするために招き入れる。

 途中、俺が連れてきた青年をアキは不思議そうに見つめていたが友人だということした。


「その、ご迷惑をおかけして本当に申し訳ございませんでした。アナタの仰る通り、コソコソ隠れるのはさすがに不審でしたよね……」

「俺の知るストーカー(義弟)に比べれば大分マシだが。あの後、どうするつもりだったんだ? 出てきたアキに話しかけるつもりだったのか……?」

「はは、まさか。僕にそんな勇気なんてありませんよ」


 爽やかに言ってのける青年だが、なんだが可哀想に見えた。


「あ、自己紹介が遅れましたね。僕はトウと言います、町外れに住んでいて、薪や炭を売っています」

「俺はロベリア、この”紅葉風”でバイトをやっている」

「バイ……ト?」

「なに、気にするな」


 人の顔を見て逃げたり、泣いて命乞いをしたり、内向的な性格だと思ったのだが結構明るい。


「勇気がないにしては普通に喋れるんだな」

「はい、男性相手ならいくらでもお喋りはできるんですけど、女性相手となると……自信を失くしてしまうんです。特に、アキさんのような魅力的な子だと……死んでしまいます」


 今にでも吐きそうな顔で、苦笑いをするトウが気の毒で仕方がない。


「なら逃げも隠れもせず、真正面から話しかければいいだろう? あれはいい子だ。セクハラをしてくる常連のオッサン相手でも笑顔で対応するぞ(目は笑っていないが)」

「ふ、ふふん。それなら僕だって話したことが、一度や二度だって……」

「さっきのアキの反応、お前を知らない様子だっだぞ。貴様、この店の客として何度か来たことがあるのだろう? もしかして、料理の注文を会話だと履き違えていないだろうな?」


 図星なのかトウはギクリと身を震わせた。

 漫画の世界で生きているのか、彼は。


 まあ、見たところストーカー気質を除けば悪い子ではなさそうだ。

 好きで好きで堪らないけど、まだ一歩踏み出せずにいるのだろう。


「まあいい……それで? どうしてアキのことが好きになった?」


 優しいとか、可愛いから。

 ありきたりな理由を期待して待ったのだが、


「あれは、蝉が鳴き始めた半年前の夏。いつも通り薪を売りに海鳳に赴いた日、あまりの猛暑でぶっ倒れてしまいました」


 えぇ……


「偶然、倒れた場所がこの店の前でした。何処にでもある蕎麦屋だったので、そこで食べようと思ったことがありませんでした。彼女と出会うまでは―――」


 そこからはトウの長話が続いた。

 倒れた自分を心配したアキが店に招き入れてくれたこと、無料で冷やし蕎麦を食べさせたこと、汗を拭き取るために手拭いを貰ったこと。

 ああ、あの場所に落ちていた布の正体か。


「そんな優しい彼女に、僕は惚れてしまいました! 運命だと思いました!」

「ああ、まあ。現実では有り得ないが絵物語にありきたりな話だな。だが、そこまで彼女を想うのなら客としてではなく、知り合いとしてお茶に誘うなりすればいいんじゃないか?」

「さっきも言いましたよね! 僕には無理難題なのです! あの建物の隅っこで、この店で頑張る姿のアキさんを見守ることしかできないんです!」


 なるほど、気持ち悪いが純愛ゆえの奇行なのだろう。

 人を好きになるときの、あの気持ちを俺も知っている。

 だからこそ、気に入った。


「アキは父親の手伝いで手一杯だからな。優しい子ではあるが、それ以外のことにはあまり興味を示さないかもしれない。だから、まずは彼女の興味を惹くようなことをしてみるのどうだ」

「アキさんの興味といえば……蕎麦でしょうか?」

「ああ、そうだ。アキもそうだが付き合うのなら、彼女の父親も納得させなければならん。俺が手伝ってやろう」


 それでもまだピンときていないトウに単刀直入に告げる。


「―――トウ、俺の弟子になれ。この蕎麦屋を継ぐのは、俺ではなく貴様だ」


 トウを俺を超えるほどの蕎麦職人に育て上げれば父親のシュウキにも認められて、晴れてアキの旦那として幸せな未来を辿る。

 俺も、和の大国から去るときに思い残すことがなくなる。

 お互いハッピーエンド計画だ。


 バキン!

 と石が投げ込まれて窓が壊れてしまう。


「ひええええええええええ!」


 トウは布団に飛び込んで隠れてしまった。

 どんだけ臆病なんだいトウくん、あとそれ俺の布団だからあまり涙や鼻水で汚してほしくないなぁ。


「オラァ! 出てきやがれ客泥棒が! テメェらのせいでこっちがどれだけ迷惑を被っているのか分かってんのかゴラァ!!」


 壊れた窓から下の方を見下ろすと、屈強な男どもが”紅葉風”を囲んでいた。

 まさか後から本当にライバル店から襲撃を受けるだなんて。

 せっかく蕎麦職人として平和に過ごしていたのに、つくづく不幸体質なんだよな。


 とりあえず男どもを適当にシバいて、トウを家に返して、残りの片付けや仕込みを終わらせてから狭い部屋に帰って布団に飛び込んだ。


 なんか布団がトウの涙と鼻水だらけになっていたが、疲れたので気にせずにそのまま寝ることにした

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