第167話 蕎麦屋


 和の大国。

 契の領内、海に面した”海鳳かいほう”と呼ばれる町。

 鬼の領と異なる点は、鬼ではなく普通の人族しかいないこと。


 古き良き日本、江戸時代に近い町並みをしておりロベリアからしたら日本史の教科書に入り込んだような不思議な感覚だが、彼と同じように潜伏しているある二名は違った。

 西洋チックな文化からかけ離れすぎているためか、二人はこれまでにない感覚で町中を徘徊していた。


 顎髭をたくわえた弓兵のジェイクと、異様に周りをキョロキョロ見回すリアム。

 普段着ている服装で徘徊してしまうとかえって怪しまれるので、庶民の間で当たり前に着られている小袖を着こなして町の住人として溶け込んでいた。


「おい、リアム。せっかく潜伏しているつーのに初めて来ましたよ感を出すなよ。外からやってきた連中だって知られたらどうすんだよ……」


 都会に初めてやってきた田舎者のような反応をするリアムを、ジェイクは呆れた目で見ながら注意をした。


「何を勘違いしているのですか? 別に、このしみったれた町並みに感動していたわけじゃないですよ」


 平気な顔で、町を貶すリアムの発言にジェイクは顔をしかめる。

 興味のないものに対してとことんドライな青年だ。


「兄さんを探しているんです。鬼の領の牢屋から逃げ出すとき、この町で合流すると言っていたじゃないですか。忘れたんですか?」

「覚えてるわ。だからって、そんな探し方をしてもロベリアを見つけることができるわけねーだろ。もう少し慎重になれって」

「……だけど、僕の”兄さんラブラブレーダー”によるとこの近くのはずなんです」


 リアムの口から急に出てきた意味の分からない言葉にジェイクは困惑しながらも、彼のロベリアへの執着は本物なのであながち嘘ではないのかもしれない。


「離れ離れになって一週間も経つのです! 早く兄さんと逢いたいんですよ!」

(ブラコンにも程があるだろ……)


 兄への異常な愛、理解の及ばぬ事柄には関わりたくないジェイクはあえてツッコまなかった。

 兄弟愛だけ抜けば、リアムは好青年なのだ。


「なあリアム、あいつを簡単に探し出す方法ならあるぜ?」


 ジェイクはこれでもロベリアとは長い付き合いなのだ。

 敵だったり、助けた相手だったり、仲間だったりと、出会いは最悪だったが、ある程度ならロベリアのことは知っている。


「ずいぶんと得意げに言ってくれますね」


 自分でもまだ見つけることができていない愛しの兄を、ただの顎髭男が簡単に探し出せるはずがないとリアムは嘲笑する。


「あ、なんだが腹減ってきたな。まずは腹ごしらでもするか? 人が大勢並んでいるような美味そうな店でさ」

「あの……ふざけているんですか?」

「いいから、いいから、君は黙って年上の指示を聞きなさい」


 今年で三十三歳になるジェイクなのでリアムよりも確かに年上だが、リアムは納得のいかない表情を浮かべながら「奢ってくださいよ」と不服そうに言った。



 そこから観光に近い感覚で町並みを堪能しながら数時間後。

 初めての光景に目を奪われていた二人は、ある店の前にたどり着いた。


 そこらにある店とさほど変わらないのに、その店の前には百人を超えるほどの行列ができていた。


「よし、ここで飯にするか」

「正気ですかジェイクさん? こんな長い列を並んでいたら、僕たちの番になる頃にはもう昼過ぎですよ?」

「それぐらい絶品だってことだろ。いいから早く並ぶぞー」

「看板に何が書いてあるのかも分からないのに……」

「書いてなくても美味いもんが出されることは間違いねぇ。それに、俺の勘を信じろって」


 何を言っても意見を曲げそうにないジェイクを見て、仕方なくリアムは一緒に並ぶことにした。兄とは会えないし顎髭と一日中一緒だし、リアムにとって最悪の一日になるはずが―――



 並ぶこと二時間後、ついに自分たちの番になって疲れた顔で馴染みのない座敷についたリアムは頭の中でジェイクの悪態をつきながら、隣の席にいる客が無我夢中ですすっている料理を見て、せっせと忙しそうにしている給仕の若い女性に「隣と同じのを二つで」と注文する。


 他の席を見る限り、全員同じ料理を食べていた。

 これが目当てであの長い列ができていたということは考えているよりも美味しいのかもしれない、とリアムは少しだけ期待をもって待つことにした。


「はい、お待たせしました!」


 待つこと二分、注文したものがすぐに出された。

 出されるまでの待ち時間が短すぎてリアムとジェイクは顔を見合わせたが、食べないという選択肢がない二人は無言のまま食事を始めた。

 温かい汁と、色のよろしくない細い麺に不安を感じつつ、初めて触った箸で麺を口に運ぶ。


「おいしい……!」


 人の顔色を伺ってはお世辞ばかり言うリアムですら、今回ばかりは正直な感想だった。

 リアムもジェイクも無我夢中になって麺をすする。

 そして一分もしないうちに完食した。


「お粗末……」


 完食すると同時に、席の前に怖い顔をした男性が立っていた。

 聞き覚えのある声にリアムは口に含んでいた水を吹き出した。

 向かい側に座っていたジェイクがびしょびしょになる。


「に、に、兄さん!?」


 そこにいたのはリアムの敬愛する兄”傲慢の魔術師ロベリア・クロウリー”である。

 飛び抜けた存在感に気付けなかったリアムだったが、ジェイクの方はまるで予想していたかのようにドヤ顔をしていた。






 ――――――





 契の領内にあるこの町に到着したのは五日前。

 町に溶け込もうと商人らしき人物と物々交換でそれっぽい服と少ない金を手に入れ、ジェイク達と合流するまで適当に過ごしていたが、重そうな荷物を運んでいた少女と遭遇。


 蕎麦屋で給仕として働いているらしく、父親がギックリ腰になったことで代わりに食材を仕入れることになったが一人で運べなくなったとのこと。

 困っている人間がいるというのに見て見ぬふりするのはモットーに反するので、彼女を手伝うことにしたのだが……。


 食材を店に運び終えて即退散しようとしたら、最悪なことに俺もギックリ腰になってしまったのだ。


 行ったことのない蕎麦屋で、知らない男と布団を並べて寝るというあの状況は今思い返しても気まずかった。

 あっちも「どちら様?」みたいな顔でこっちを見てたもん。

 調合した回復薬があればすぐに治るはずだが、怪物との戦いで一つ残らず割れてしまったのだ。


 そして、なんやかんやあって蕎麦屋を将来継ぐていで働くことになったのです。


「いや、わかんねーよ……一番重要なパートを適当に端折ってんじゃねーよ」


 的確なツッコみを入れるジェイク。

 妙な感覚だな、いつもなら俺がツッコむ方なのに。


「いいじゃないですか、なんやかんやあって」

「まあ、おかげで探し出すことができたからな。ロベリアの料理スキルの腕は一級品だから、まさかと思って大行列のできている店を並んでみたら……本当にいたとは」

「この僕より兄さんに詳しいのは癪ですが。今回ばかりはジェイクさんのおかげで兄さんと再会することができました。特別にキスしてあげましょうか?」

「うぇ……気持ち悪いからやめろ」


 ジェイクは弓使いより探偵のほうが適任なんじゃないかな。

 洞察力もそうだけど、人からの信頼も厚い、本人は面倒くさいから嫌だと言いそうだけど。


「あのーロベリアさん? そろそろいいかしら?」


 振り返ると怖い顔を浮かべてこちらを見つめる看板娘アキがいた。

 忙しいのに客と長話しているのを怒っているのだろう。

 潜入といっても仕事は仕事なので、早く持ち場に戻らないと。


「ああ、すまない。ジェイク、リアム……」

「おう、なんだよ?」


 ジェイクとリアムが真面目な顔で耳を傾ける。

 重要なので、言っておこう。


「食べ終わったのなら、とっとと勘定をすませて出ていってくれ。うちは回転率が命だからな」

「あ……そなのね……」


 もしもここが江戸時代だったとしたら、江戸っ子は短気なので「べらぼうめ!」と奇声を上げながら石を投げ込まれているところだぞ。

 だから、冷たいようだけど仕方のないことなのだ。


「じゃ、行くぞリアム」

「はい……兄さんの言う事なら」


 せっかくの再会なのにと落ち込むリアム。

 そんな彼の肩に手をおいて、もう片方の手で折りたたんだ紙を渡す。


「あの、これは……?」

「いろんな客から訊いた情報をまとめておいた。噂でしかないが、帰り用の船を造れるかもしれない」


 周りに聞こえないように小声で言うと、リアムは驚いた顔を浮かべる。

 それもそうだ、和の大国では漁船目的以外での船建造はご法度なのだ。

 バレれば役人たちの手によって処刑される。


 だが、かつてこの町には秘密裏に船を建造する造船場があったらしい。


「信憑性は薄いが、二人には造船場の場所を探してもらいたい」

「……はい、分かりました」


 リアムは紙を受け取って、名残そうにしながらも蕎麦屋から出―――



 ―――ようとしたのだが。


「そういえば、シャレムさんとシャルロッテさんとはまだ合流できていないのですが、兄さんの方はもう二人とは逢えましたか?」

「……」


 無言になる。

 いや、まだ二人とは逢っていない。

 てっきりリアム達の方で全員合流したと思ったのだが。


(嘘だろーーーーーーーーー!!?)








 ―――――





 一方その頃。

 鬼の領”童王”にて、悪臭漂う光の届かない一室にて。

 椅子に縛り付けられて、全身痣と血だらけになっている女性がいた。


「うぇぇん……だれ……か……たすけておくれ……」


 ボロボロの猫耳に尻尾、腫れ上がった瞼の隙間からこぼれる涙。

 彼女こそ我々の知るニートピア代表”シャレム”である。


 何故、彼女がまだ鬼の領にいるのかを端的に説明すると、ただ単に逃げ遅れて警備にとっ捕まえられてしまったのだ。

 そして屈強な鬼たちの尋問によって、シャレムはまともに喋れなくなるほどまで痛めつけられた。


 初めこそ、いつも通り舐め腐った態度をとっていたシャレムなのだが、指を折られ歯を折られたりするあたりで尋問がすでに拷問に変わっていることに気づき、ロベリア達の情報を吐いてしまったのだ。


「……ヘルプ……ミー……」


 仲間たちが鬼の領から抜け出した後では、シャレムの助けを求める声は誰にも届くことはなかった。

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