第160話 鬼



 人魔大陸の海で遭遇した白角鯨ホーンヴァールから五十キロほど頂いたクジラ赤身肉が本日の朝食である。


 長期保存するために塩漬けしたのだがそのまま食べるとなるとしょっぱい。

 なので、まず余分な塩分は水に浸したり茹でたりして取り除く。

 次は肉を一口サイズに切り分けて、串につき刺す。

 そして浜辺で起こした焚き火に、いい感じに肉に火が通るまで直火で焼いたら。

 ”白角鯨肉の串焼き”の完成だ。


 初めはシチューにしようかと思ったけど、時間かかるため焼くだけにした。

 こっちの方が簡単だしな。

 それに、手の込んだ料理を作りたくても、食材や調味料のほとんどが船の爆発で海の藻屑になってしまったのだ。


 二度寝が深い眠りじゃなくてよかったと思う。

 あのまま熟睡していたら反射的に”魔力障壁”を展開することができなかっただろう。

 おかげで死傷者はゼロ人だ。


 浮遊魔術で空を飛びつつ風魔術で破損した船体を浮かせて浜辺まで運んだのだが、かなりの重労働だった。


 破損した船は、船大工たちが修繕してくれているが、一番の腕前をもつ肝心のジークは組み立てたテントの中で眠っている。

 ”魔力障壁”が展開するより先に、ジークだけ爆発に巻き込まれたのだ。


 フェイの”妖精粉”のおかげで体に負ったひどい火傷痕は消えたが、意識は失くしたままだ。


(あの爆発は何なんだ? 敵襲ならシャルロッテの能力”魔力感知”に引っかかっていたはずだ。それに陸地にたどり着くまで数時間もかかる距離にあった船に、どうやって攻撃を仕掛けた……)


 甲板にいたジークなら何かを知っているかもしれないのに。

 今回ばかりは仕方がない。


 ジークの意識が回復するまで、この浜辺を活動拠点にするしかない。浜辺の周りは平野で、離れた場所には森や山が広がっている。

 人里は見当たらないが、絶対にないとも言い切れない。



「師匠ぉ、ちょっといい?」


 考え込んでいると、ジェシカが声をかけてきた。


「なんだ?」

「シャレムさんが、岩場で乾燥させていた鯨肉を勝手に焼いているんだけど。食べちゃ駄目じゃなかったっけ?」

「あの馬鹿。貴重な食料にまで手を出して……!」


 焚き火の方に戻るとジェシカの言う通り、鯨肉を勝手に焼いているシャレムの姿があった。


 こっちに気づくや否や昆虫のような気持ち悪い動きで逃げ出したのだが、それよりも早く逃走経路に先回りしてシャレムを捕まえる。


「ぼ、ぼ、僕ぁ無実だ! 大食いのゴエディアがやれって言ったんだ!」

「罪をなすりつけるな」

「ぎゃああああああああああッ!?」


 シャレムを海のほうへ放り投げる。

 冤罪を主張するなら、他人に冤罪をかけるな。

 仲間の意識が戻らないというのに呑気な奴だ、まったく。


「ボロス、こっち来い」


 船の修繕を手伝っているボロスに手招きすると、犬のように素早く来てくれた。

 いつかお座りして吠えそうだな、コイツ。


「この後、皆で話し合って方針を決めたい。テントでジークを診てくれている人間以外、船の前に集めてくれ。全員だ」

「承知いたしました!」


 ボロスは胸に手をあてて頭を下げると、すぐにみんなを集めてくれた。

 仕事が迅速で大変助かる。


 さて、アズベル大陸の上陸が最悪な形になってしまったが、ここで長居はできない。

 とっとと和の大国から抜けだす算段をたてて、何もかもが手遅れになる前にリアン姫を助けに行かなければな。


 だから、お願いだから面倒事にだけ巻き込まれてないでくれよ、俺の不幸体質。







 ――――――






 浜辺を活動拠点にして、二手に分かれることにした。

 拠点に残って船を守る組。

 エリーシャ、ゴエディア、ユーゲル、フェイ、ボロス、ルチナ、クラウディア、ジェシカ、アルス。


 周辺探索をする組。

 俺、ジェイク、シャルロッテ、シャレム、リアム。

 リアムは連れて行く予定はなかったが、本人がゴネたのでやむ得ず連れて行くことになった。


 外側から隔絶された和の大国の地形などの情報は、手持ちにある地図には載っていない。

 つまり流れ着いた浜辺が何処にあって、近くに町か村があるのか、一切不明なのだ。


 だが、先ほどの船の爆発が見えない敵勢力の攻撃なら、船をこのまま放置するわけにもいかない。

 なので留守番はボロスとその他に任せた。

 人魔大陸に最短で帰還するには、この船じゃなければいけない。


「それじゃ、行ってくる。数日、あるいは数週間、戻ってこれないかもしれないが。ジークが目を覚ましたら手筈通りノーヴァリア王国を目指せ。いいな?」


 留守番組にそう云うが、誰も返事してくれなかった。

 怒らせたのかと思ったが、ボロスが代表して云ってくれた。


「行く時は皆、一緒です。ロベリア様たちが帰ってくるまで、何処にも行ったりしませんよ」

「……」

「おーい。どうした、急に静かになって? ははーん、もしかして照れているのか?」


 ジェイクが茶化してきたが、俺は素直にうなずく。


「ああ、照れている。やめろ」

「傲慢の魔術師のてれ顔を二度と見れねぇかもしれないんだ。皆んな、しっかりと目に焼き付けろよ!」

「……困った奴らだな」


 深刻な事態だというのに。

 理想郷から離れても、いつもと変わらない連中だ。道中、この土地の銭を稼ぐ機会があれば土産にいい酒と菓子を買って帰ろう。


 まあ、そんなことよりも早く帰ることに越したことはないな。


「ボロス、ジェシカとアルス、エリーシャを頼んだ」

「ええ、命に代えても守ります。私たちに仇なす輩は、この竜王が粉微塵にしてみせましょう」


 ああ、家族に手を出してきた奴らに容赦するな。

 大丈夫、こいつは強い。

 妖精王国へ旅立ったとき、俺が不在の理想郷を守ってくれたのだ。


 かつて敵だったことすら忘れさせられるほど仕えくれたボロスを、信頼しないはずがない。


「……」


 気まずそうに俯いたまま一言も発さないエリーシャに何か言葉をかけたかったが、上手く声が出なかった。


 考えてみれば俺、彼女に嫌われるようなことを何かしたっけ……?

 したのなら指摘してくれれば治すのに、何も云ってくれなきゃ、どうすればいいのか一生分からない。


 だからといって、いつまでもこの気まずい関係を、これからも続けていきたくない。


「エリーシャ……」


 あの家での幸せを取り戻してみせる。

 どんな手を使っても。


「俺を殴れ」

「へっ?」


 ポカンとするエリーシャ。

 彼女の機嫌を損ねるようなことを何かしたかもしれないので、気が済むまで思う存分殴ってくれという意味だったんだが、もしかして間違えちゃったパターン?


「いや、忘れてくれ」


 唖然とするエリーシャと、お笑いで披露したネタが受けなかったときのような気まずい雰囲気に耐えきれず、そそくさと退散しようとしたが。


「待って」


 エリーシャに腕を力強く掴まれ、呼び止められた。

 振り向くと、彼女は泣きそうな顔でポケットから何かを取り出そうとしていた。


「すぐに言いだせなくて……ごめんなさい。でも、これだけは渡したくて……本当にごめんなさい」


 謝りながら、彼女が取り出したのはペンダントだった。

 赤い宝石の埋め込まれた銀色のペンダント。

 俺、というかロベリアのイメージカラーそのものだ。


「これは?」


 戸惑い、聞いてみると。


「魔力の宿った、お守り。力を失った人に力を分け与え役割を終えると砕け散る、ペンダント」


 魔術道具に近しい装備品だと、いつもなら理屈をこねるていたところだったが、今はそれどころではなかった。

 このペンダントを俺に渡そうと、ずっと機会を伺っていたというのか。


「ロベリア、愛しているよ。私の中で、この想いだけは一生変わらないから」


 愛している、その言葉で心の中のモヤモヤが決壊する。


 堪えきれず目に涙を浮かべるが、ロベリアらしくもないので袖で拭って、エリーシャのペンダントを受け取った。


「ここで待ってるから、絶対に帰ってきてね」

「……ああ」


 和の大国で面倒事だけは起こさないよう頑張ろう。


 妖精王国のような事件に巻き込まれないよう、上手く立ち回って、誰一人欠けずに理想郷に帰還するんだ。


「ありがとう」






 ――――――







「あのなぁ……」


 浜辺を出発して十分後。

 シャレムは不満そうに俺を見て、舌打ちした。


「なんで、いっつもいっつも! この僕を勘定に入れるんだっつーの! 目を離した隙にぽっくり逝っちまうほど、守られねーとすぐにご臨終しちゃうような戦闘力最弱を連れてきて何の意味があるんだよ! いじめか!? 僕の醜態を酒の肴にして愉しむのがロベリアの目的なんだろ!?」


 頭に響くほどうるさいので両耳を塞ぐ。


 人の不幸を酒の肴にするほどイカれていないし、未知の場所の探索には最も頭のいいシャレムが適任だと思ったから連れてきたのだ。


 云うと調子に乗るので、本当のことは云わないが。


「兄さん、この人を黙らせてもいいですか? うるさくて敵いません」


 義弟リアムが恨めしそうな顔で提案してきたが、なんとなく嫌な予感がしたので「ほっとけ」と返す。


「飽きたら黙る。こいつは怠惰の塊だからな」

「ほう、なるほど。了解しました」


 俺が云うと、素直に従ってくれるな。

 リアムの懐いているのが兄だから、という理由だけで納得できない。


 これでは信仰、忠誠心のほうがしっくりくる。


「リアム様、ロベリア様から少しだけ離れてもらえますか?」


 シャルロッテは険しい目でリアムを見つめた。


「えー、どうしてですか? 何か問題でも?」

「ロベリア様には奥様がおります。どんなに取り入ろうと、それ以上の関係にアナタではなれませんよ」

「ふーん、部外者の分際でそんなこと云っちゃうんですね。シャレムさんよりも先に、シャルロッテさんを黙らせましょうか?」

「……ほう。私とやり合うと」


 その一瞬、二人のどちらかが放った殺気に感づいた俺は、間に割り込んだ。

 自分でも、認めるほどの恐ろしい形相で二人を睨んで忠告する。


口喧嘩・・・はお終いだ。今回は許す、だが次はない。いいな……?」


 シャルロッテは居心地悪そうにしている俺の代わりに、リアムを注意してくれたのは理解できるが、仲間同士での争いだけは絶対に見過ごさない。


 恐怖で辞めさせるのは心苦しいが、こればかりは止む得ない。


「申し訳ございません……」

「兄さんの命令なら、従うよ。ごめんなさいね、シャルロッテさん」


 リアムの適当な謝り方はさておき、一点だけ気になる部分ができた。

 先ほどのシャルロッテの発言だ。


 あれでは、まるでリアムが俺とそれ以上の関係になりたがっているかのようにしか聞こえない。

 理想郷を出航する前の、リアムの匂うといいシャルロッテの発言といい、確信はないがもしかして。


「リアム、お前は本当に俺の義弟なのか?」

「はい? それが?」

「気になる点があってな。まさかとは思うが、お前の本当の性別は―――」


 言いかけようとしたところ、突然シャルロッテがリアムを力強く突き飛ばした。


 何やっているんだ、と止めに入ろうとしたが。

 シャルロッテとリアムの間に、炎をまとった矢が横切った。


「敵の攻撃だ!」


 ジェイクが叫ぶと、向かおうとしていた森の方から次々と炎の矢がこちらめがけて飛んできた。


 俺を含めた五人全員を囲うほどの魔力障壁を展開させ、雨のように降り注いでくる矢を防ぐ。


 船のある浜辺から、だいぶ離れたから良かったものの、やはり問題事は避けることができなかった。


 矢が降り止むと同時に、展開させていた魔力障壁を解除。

 地面を思いっきり蹴って、遠くに離れていた森へと一瞬にして到着する。


 かなり鬱蒼とした森なので敵の数を完全に把握することはできないが、視認している人影を順に片付けていこう。

 そう思って、目に入った最初の人影に急接近して、眠らせようとしたが手を止めた。


 こちらを見上げる年端もいかない子供だったからという理由もあるが、それよりもこの子の頭だ。

 人族に生えているはずのない、角が生えていたのだ。


 和の大国にも魔族がいることは知っていた。

 ”鬼族”という、和の大国限定だが人族と唯一共存している魔族。語るまでもなく周知されている日本の代表的な異形、あの鬼である。


 つまり、俺たちが流れついたのは和の大国内にある三つの領土のうちの一つ、”鬼の領”だ。

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