第159話 梟


 三百年前、古来の神霊が残したとされる”八岐やまた白鱗首はくりんしゅ”を巡る勢力争いの渦が巻き起こった。


 武の領”トオツキ”。

 鬼の領”メイコウ”。

 契の領”メイセイ”。


 この地に”八岐やまた白鱗首はくりんしゅ”が四つ存在する。

 各領が一つずつ保持しており、他領の陣地から”八岐やまた白鱗首はくりんしゅ”をすべて奪取することが戦争の勝利条件である。


 それらを一つに組み合わせることで”白き神霊”が現世に顕現し、その領の守り神として絶大な武力と豊穣をもたらすと信じられているからだ。


 見果てぬ夢想に耽った幾万もの戦人の血潮と死屍累々。

 戦争は世代交代で二百年続いたが、貴重な資源と兵力を浪費する激しい攻防戦が繰り返されるだけで、”八岐の白鱗首”の奪取は一度たりとも果たされなかった。


 兵士だけではない、戦いとは無縁の民草の犠牲に心を痛めた先代の頭領三名らは一時的な停戦を宣言し、話し合いの場を設けた。


 戦をせずに済むため各々の何が不足していて何を必要としているのか、解決策の模索を兼ねた協議は三領の利害が一致するまで数ヶ月間も行われ、長い話し合いの末に戦争はようやく終戦を迎える事となった。


 望まず徴兵された者、家族を失った者、帰る場所を失った者、全員ではないが戦争の終わりを心待ちにしていた者たちは心から歓喜した。


 血を流す必要も、死ぬ必要もなくなった。

 長きに渡った勢力争いに、ようやく終止符が打たれたのだ。



 血の歴史は過ぎ去り、新たな時代が到来する。

 長きに渡る争いの渦によって分断された三つの領は、いつしか一つの大国として”和の大国”と名付けられた。


 一際発展していく”武の領”を統べる頭領トオツキに”和の大国”全体の統治権〈三領内での特定の事項や行動に関する方針や取り決めの決定権を他二領が合意すればトオツキに委ねる〉独善的な政策手法を避けた仕組みを立てた。


 トオツキを主要領に据えて三百年後。

 三領間で”八岐の白鱗首”に関わる勢力争いが再発することはなく、和の大国はただひたすらに安寧の時を刻んでいった。


 ―――頭領”ヒバリ”姫が毒殺されるまでは。


 愛娘の眼前で、ヒバリ姫は夥しい量の血を吐き出して亡くなったのだ。

 慈愛の母と民に愛されたヒバリ姫が何故、毒殺されたのか誰も理解できなかった。


 問題なのはヒバリ姫ではなく、彼女の立場だったのかもしれない。

 和の大国の統制を担うトオツキの頭領を排除することで”武の領”を混乱に陥れ、その隙に和の国全体の統治権を乗っ取るために他領が牙を剥いたのではないだろうか。


 この行為を宣戦布告であると受け取った家臣たちは哀しみと憎悪を胸に刀を握りしめ、軍勢を率いて”鬼の領”と”契の領”へと進軍する。

 ヒバリ姫の仇を討つために。



 ―――新たな時代の到来に、より激しく戦火が燃え上がろとしていた。





 ―――――






「うわあああああああああ!!!」


 船内の男子部屋で、ジークの叫び声が響き渡る。

 同じ部屋で眠っていた俺は驚いて目を開け、隣のアルスは釣床から転げ落ちた。

 男子部屋大混乱である。


「おい、落ち着け。目を覚ませ」


 すぐにジークの元まで行き、頬をぺしぺし叩いて起こす。

 目をカッと開けたジークは勢いよく起き上がって、暗い部屋を見渡した。


「はぁ……はぁ……師匠……あれは、夢?」

「ひどく魘されていた。赤子のように喚いて、嫌な夢でも見たのか?」


 ジークは額に手を当てて、呼吸を整えながら言う。


「覚えていない。すまない、皆の眠りを妨げてしまったようだな」


 別に怒っていない、心配なのだ。

 怖いもの知らずの、とにかく明るい竜騎士が悪夢に魘されたからな。


「少し、風に当たってくる。落ち着いたら、部屋に戻る」


 そう言ってジークは男子部屋から出て行ってしまった。

 付いていくのも違うと思うし、このまま眠りに戻ろう。

 明日、というか今日も色々と忙しくなりそうなので、しっかりと睡眠を取ろう。


「ぐーぐー」


 床に転げ落ちたアルスは、そのまま爆睡していた。

 叩き起こすのもあれなので、抱き上げて釣床に戻す。

 コイツも船の反対側の女子部屋で寝ているジェシカも育ち盛りなのだ、しっかりと睡眠を取って貰わなきゃな。


(早く、エリーシャと仲直りしたいな……)





 ―――――――






 暗闇に包まれた甲板でジークは手すりに手をかけながら、夜の闇に包まれた海面を見つめる。

 海に静寂はない、海風と波のざわめきが孤独感を紛らわせてくれる。

 孤独、そうかつての彼もその部類だった。


「和の大国か……」


 この船の向かっている先が、和の大国だ。

 古い伝統と仕来りに囚われたままの残酷な歴史を持った国だ。

 出来れば、その地に船を停めたくなかったのだが、外交と交流を制限した鎖国状態と国土の面積が無駄に広いため中継地点に適していると判断したからである。


 海、山、川が近くにあれば食料の心配はないが重要なのは、船の隠し場所だ。

 和の大国では漁業以外の目的で船を出してはならない決まりがある。

 破れば極刑だ。


 この船が目撃されたら間違いなく面倒事は避けられないだろう。

 人目の届かない入江が最善かもしれない。


(帰ってきてしまったな……)


 濃い霧に包まれた海の向こう側には、陸地の影が見え始める。

 あと半日もすれば船はアズベル大陸の東端の海岸に到着するだろう。


 船内で眠っている仲間たちは初めての土地になるかもしれないが、ジークだけは違った。

 なぜなら”和の大国”が、彼の生まれ育った故郷だからだ。


 ところがジークは陸地から目を背け、バツの悪そうな顔で海面を見つめ続けた。

 彼には喜びや寂しさといった感情はなく頭の中は『帰りたくなかった』という本音だけが埋め尽くしていた。


 英傑の騎士団に入団した八年前、一度だって帰省していない。

 思い出したくもない過去の辛い記憶と境遇のせいだ。

 それらに蓋をしめて外の世界へと飛び出してきたはずなのに、何の因果かこの地に戻ってきてしまった。


 ジークが去った八年の間で”和の大国”がどのように変わったのか見当もつかないが、そんな大きな変化はないだろう。

 毒殺された”武の領””トオツキ”の頭領には娘がいる。

 年齢的に、”頭領”の座を継いでいるはずだ。


 毒殺事件で”鬼の領”と”契の領”といざこざが起きたのだが、彼女が新たな頭領になれば争いは終わるはずだとジークは断言する。

 彼女なら、和の大国を新たな時代に導けるはずだと信じているからだ。


「……ん?」


 帆柱の方を見上げると、鳥が一匹止まっていた。

 陸地が近づいてきたからなのかと気にも留めようとしまかったが、すぐに異変に気づく。


(何故、”梟”が……?)


 鳥の種類に、違和感を持つ。

 梟は陸上と森林地帯に生息しているため、航海経験の長いジークの目には奇妙な光景として映ったのだ。


 梟は見られていることに気づいたのか、翼を広げた。

 逃げるのかと思ったが、甲板の方に着地して耳障りな鳴き声で、鳴き始めた。

 それは、陸地の方に聞こえるほどの大きな鳴き声だったため、ジークは思わず両耳を塞いだ。


(こいつ……!?)


 違和感の正体に気づいたジークは梟を捕まえようとしたが、それよりも速く逃げられてしまう。


 一刻も早く仲間たちに知らせるため甲板を駆けるジークだったが、逃げた梟がふたたび帆柱に止まったかと思いきや、小さな身体が膨れ上がる。

 限界まで膨れ上がった梟の身体が破裂すると、同時に耳をつんざく轟音が響き渡り、焼けるような激しい爆風が襲いかかる。


 夜空に火柱が昇るほどの大爆発が、船を飲み込んだ。

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