第154話 関係性の悪化



 ———理想郷という場所に、ロベリア様がいらっしゃるのですね?


 見習い騎士のリゲルの目に映ったのは、愛らしい姫ではなかった。


 瞳に覚悟を宿した、自分たちと同じ、辛い境遇に立ち向かおうとする若い少女だった。


 ———あのお方を慕っております。リーゲルさんとラケルさんの今までの話が本当なのであれば。私は祖国を救わずして、あのお方に顔を合わせる資格がありません。


 リアン姫は、自分だけの幸せを選ぶより、ノーヴァリア王国で新たな王として即位した兄と戦って、王国の平和を取り戻すことを選んだのだ。


「……なのに、俺は逃げちまった」


 雪の降る、灰色の空を見上げながら、リーゲルは小さく呟いた。


 腰の鞘に手をあてて、入団試験に合格して晴れて見習い騎士になったときに両親からプレゼントされた剣に目を落とした。


「弱いままだよなぁ……俺……」


 リアン姫の「逃げて」という命令に従って、戦わずして逃げ出して、そのうえ敵の魔術で記憶を失った自分を、張本人であるリーゲルは許せずにいた。


 だけど、あのまま残ったとしても捕まっていたか、殺されていただろう。


 強くなりたい。

 守るべき主人を、守れるぐらい強く———






 —————






「出航して、すぐに雪が降り出してしまったな」

「ハハハ! それみろ、やはり予測できんな魔の大陸の海は! ハハハ!」


 めちゃくちゃポジティブだな、船長ジークは。


 雪が積もったままだと後々、面倒なことになりそうなので手の空いている船員で雪かきを始めるとするか。


「わ、わ、私も、やらなければ、だ、だ、駄目なのでしょうか?」


 暖炉の側には、防寒具を何枚も重ねて着ている竜王ボロスの、だらしない姿があった。


 寒さの耐性、クソザコナメクジかよ。


「そこで温まっていろ、風邪をひかれでもしたらお前の看病に人員を回さなければならない羽目になるからな」

「あっ、あっ、ありっ、ありがとうございますっ……!」


 ボロスを部屋に残して、さっそく作業に取り掛かろうと甲板に出ると、何かを振っているような鈍い音がそこらからしていた。


 後ろの方からしたかと思いきや、今度は頭上の方から音がする。


 上を見上げると、帆柱でエリーシャとクラウディアが真剣で立ち合いをしていた。


 船のあらゆる箇所を、アスレチックのように飛び回りながら、戦っている。


 エリーシャの技術、精度、反応力はここにいる誰よりも突出している。


 しかも剣を握りだした、その時から才能を開花させた天才剣士なのだ。


 クラウディアは自慢のスピードで応戦するも、エリーシャに難なく見極められていた。


 そして一分もしない頃に、決着はついた。

 勝ったのは、やはりエリーシャだった。


「はは……また負けてしまった。やはりエリーシャは強いな」

「いえいえ、クラウディアさんの速度に追いつくのがやっとでしたよ。一手でも、判断を間違えていれば負けていたのは私の方でした」

「にしては、息切れしないのだな?」


 クラウディアは笑みを浮かべて、エリーシャと握手を交わした。


 ああは言っているが、連敗続きで気持ちが萎縮していないはずがない。


 本人は気付いていないかとしれないがクラウディアの剣術は、以前よりも格段に成長している方だ。


 自分よりも実力のあるエリーシャやジークなどの化物と、毎日のように手合わせをしているからだろうな。


「お疲れ様」

「あ、ありがとね」


 汗を拭いているエリーシャに近づき、水筒を渡す。


「見事な動きだった。雪の上なのに滑らないんだな」

「あー、まあね。理想郷でもよく雪降ってたじゃない? どんな環境下でも戦えるようにしたかったから、よく一人で特訓してたんだ」

「そうなのか……」


 誘ってくれたら喜んで協力したのに。


 剣術にハマりだした初々しい頃よりも、益々のめり込んでいっているな。


 喜ばしいことではあるけど、エリーシャがいつか剣を一筋にして、家から出て行くんじゃないかと不安になったりする時もある。


「その特訓とやら、今度俺も久々に手を貸そうか?」


 と、聞いてみると。

 エリーシャは、少し考えるようにしてから答えた。


「いらない」


 胸に、ヒビが走ったかのような音がした。

 音だけではなく痛みもする。


「そ、そうか……?」


 動揺を隠そうとしたが、声が震えてしまった。


 だけど、エリーシャは俺の反応なんか気にも止めず、なにも言わず黙々と船内に入っていってしまった。


 雪の降り注ぐ曇った空を仰ぎながら、銅像のように固まる。


 俺なにかしちゃったのかな……?


 怒ることはあるけど、あからさまに相手を不快にさせるような行動をしたことがない彼女が、あんな冷たい態度をとるだなんて。


 ショックのあまり、吐きそうになった。

 何かしたのなら謝りたいけど、何をしたのかを思い出すことができない。


「あの、ロベリアさん。少しだけお話が……あの?」

「……」

「今にでも死にそうな顔ッ!?」


 ルチナの声が響いて、同じく雪かきの準備で偶然通りかかったジークがそれを耳にして。


「緊急事態じゃないか! 他の者も、手を貸せ! すぐにロベリアを医務室に運ぶんだ!」


 棒のように固まった体を持ち上げられ、緊急搬送された。






 船内、医務室。


 現場を目撃、あるいはジークに呼ばれてきた仲間たちに、死にそうな顔をしていた理由をかくかくしかじか説明する。


「つまり、最愛の人のドライな一言で、ぽっくり逝きそうになったと? へへ、おもれー」


 面白がるシャレムに、制裁を与える気力がなかった。悔しいけど、言っていることも間違いじゃない。


 他人からすればコメディのような状況なのだ。


「え、え、エリーシャはとても優しい人です……大好きなロベリアさんに冷たい態度をとるのには何か、り、理由があるんじゃないですか……?」


 部屋の隅っこで聞き耳を立てていた妖精のフェイが言った。


「それが、分からないんだ。したのか、していないのか……」


 出航する前は、旅が楽しみで上機嫌だったのに。

 一体いつ、この船で不機嫌にさせてしまうようなことをしたのか。


「安心しろ、ロベリア」


 考え込んでいると、さきほどエリーシャと立ち合いをしていたクラウディアが言った。


「エリーシャのことだ。お前が思っているように単純な子ではない。悩みもするし、迷うことだってある。今回だって、彼女なりの考えがあったからかもしれない」

「……そうなのか?」

「これでもエリーシャとの付き合いは長い。だから、私からのアドバイスだ」


 部屋にいる皆んなの視線が、クラウディアに集まる。


 エリーシャの機嫌を直せるなら、なんだってするつもりだ。


「そっとしてやれ……」


 予想外の言葉に、目を見開く。


 それだと関係性が、さらに悪化するだけじゃないのか?


「話は、その後だ」


 そう言い残して、クラウディアは部屋から出ていった。


 本当に……それでいいのか……?





               第九章 終




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