第151話 出航前の暮夜
喉の奥の、指が届かないところに小魚の骨が刺さってしまったかのように出航までの一週間、クロの言葉にずっと引っかかっている自分がいた。
仲間の中に裏切り者がいる、とは思いたくない。
だが、クロが嘘を付いているという結論に至るのも違うと思う。
出港まであと二日だというのに仕事や生活のことが上手く手につかない。
そのせいで、あれからずっと周囲の人に心配をかけ気を遣わせる日が続いてしまった。
仕事を終えて帰宅して、図書館から借りた本を消化するために自室に向かおうとしたところを、廊下の先で仁王立ちしているシャレムに通行止めされる。
この賢者、また何かを企んでいるのか?
「いつも暗い顔をしやがって。なにがあったのかは詮索したりしねぇが、そんな調子じゃ傲慢の魔術師の名が泣くぜ」
「……余計なお世話だ」
彼女のくだらないノリについていくだけで疲労が何倍も膨れ上がりそうなので、相手にせず通り過ぎようとしたが、肩をガッシリ掴まれる。
「そんな陰キャモードのロベリアに、特別にこのシャレムが遊んでやるよ」
「……いい」
「まあまあまあ、まあ、待ち給え。落ち込んでいる男は、美女と遊べば元気を取り戻すって大昔からの常識でしょ?」
「そんな常識は知らん」
「だ・か・ら……この理想郷一の完璧オブ・ザ完璧のシャレム様が特別にロベリアを元気にしてやろうっての!」
ああ?
理想郷のナンバーワンはエリーシャに決まっているだろうが。
異論は認めん。
「ほらほら〜! 出掛ける支度をしろっての! 今夜は寝かせねぇからよ!」
寝たい、寝かせろ。
と普段なら魔力を乗せたゲンコツを落としていたところだが、よくよく考えてみればシャレムから誘われたのが今回で初めてだ。
俺をかなり怖がっているあのシャレムがだ(迷惑をかけてくるけど)。
そんなに浮かない顔をしていたのか?
いや元々か。
「………はぁ、まったく」
――――――
「ニャハハハ! 乾杯だロベリア! 乾杯!」
「……」
首都クロウリーから東の鉱山地帯には温泉街がある。
ここら辺を採掘をしていた複数人の作業員たちが偶然、掘り当てたのが始まりである。
どうやら、この世界にも温泉の概念はあるらしく、湧いてきた次の日に温泉街プロジェクトが大規模に進行されることとなったのだ。
日本人にとって欠かすことのできない要素なので、俺もかなりノリノリに参加していた。
そして、なんやかんやあって温泉街は一ヶ月で完成したのだ。
理想郷の国民たちの行動力の高さは、相変わらず健在である。
「ほれほれ、ロベリアも呑めや呑めや!」
「……」
ちなみに温泉街の旅館のほとんどが和風な仕様になっている。
浴場内の湯船はレトロな石造り、露天風呂は外から見えないよう竹垣の柵にしており、サウナから水風呂、そして風呂上がりに体を流せるスペースも完備している。
客間もかなり和室を意識した間取りにしているため理想郷内にいるにも関わらず、まるでアズベル大陸の極東にある”和の大国”にいる気分になる。
実際に行ったことないけど。
畳の上に置かれた座布団に座り、座卓に並べられた料理や酒を楽しむ丹前を着たシャレムを尻目に窓の外を眺める。
連れ出されてから三時間が経って、空にはもう綺麗な満月が昇っていた。
エリーシャたちを差し置いて、こんな贅沢なことをしていいのだろうか?
温泉に入ったおかげで仕事の疲労がだいぶ取れたが、精神の方はこれっぽっちも良くなっていない。
「まだ、んな湿気たツラしてんのかよ? そーんなにつまんねーのか?」
「いや……そうではない」
「じゃあ、もっと楽しく笑って呑めよ。コッチがどれだけ必死に盛り上げようとしているのか、少しだけでもいいから汲み取ってくれよ」
分かっている。
分かっているけど、やはりクロの言葉を思い出すだけで気が気じゃなくなってしまう。
「それとも何か〜? あの天下無双のロベリアに、悩みがあるってのか? ニャハハハ!」
「悪いか?」
「別にぃ、やっぱりロベリアも普通の人間だなって」
普通の人間に決まってるでしょバカ!
とツッコミたいところだったが、ロベリアを客観的に見たことがあるからこそ認めるしかない。
コイツは化け物だ、って。
「———大昔、僕には”弟”がいたんだけどよ、お姉さん、お姉さんって背中を追っかけてくる可愛い愚弟だったんだよ」
「可愛いのか愚弟なのか、どっちかにしろ」
浸りそうな昔話を始めたかと思いきや、通常運転のシャレムである。
いや、そんなことよりも、こんな奴に弟なんかいたのか?
シャレムがお姉ちゃんをやってたとか、これっぽっちも想像付かないんだけど。
「今のロベリアみたく細かいことをよく悩んだり迷ったりするような奴で、そんな時はいつも僕に頼ってたりしてたんだよな。可愛い弟の頼みごとだから、断ったことなんか一度も無かった。むしろアイツの頼れる姉でいられて嬉しかったんだ。だけど———ある日を境に、アイツと離れ離れになっちまった」
シャレムの表情が、途端に曇った。
「アイツにとって”私”は、もう用済みだったんだ。自分ひとりで勝手に決断して、手の届かない遠いところまで行っちまった」
「追ってみようとは思わなかったのか?」
「思わなかった。悩みに悩んだ末に、アイツ自身でようやく導き出せた”答え”が、とてもじゃねぇが僕の思想に反してたんだ」
「……」
シャレムがいつ賢者と呼ばれるようになったのか。
普段は馬鹿だが、膨大な情報量を持つ天才だ。
ここまで理想郷が発展したのも、彼女の知識のおかげと言っていい。
今まで知ろうしてこなかったが、シャレムも俺のかけがえのない仲間の一人なのだ。
「姉として止めなければならねぇって何度も説得したんだけどさ、かなりの反抗期なのか、ボコボコにされまくっちまった」
明らかに、反抗期の限度超えてるような。
弟にボコボコにされる姉の姿なんか想像したくない。いや、シャレムなら案外似合ってなくもないが、聞けば聞くほどひどい弟だな。
「え、こんなに気にかけてやってる姉に対して扱い酷くね? 可愛く尊い姉ちゃんの顔面にメガトン◯ンチとか最悪すぎるだろ? もーいーや、しーらね。ってな感じで逃げてきたんだよ。そこから成り行きでニートピアに」
「………フッ」
「お? 笑った? 笑ったのか?」
酒で顔が赤くなったシャレムが、酔ったオッサンのようにニマニマ笑いながら座卓に身を乗りだす。
「気のせいだ」
「えー、絶対に気のせいじゃねぇ!」
「落ち着け、殴るぞ」
シャレムは大人しく正座をした。
さっきまで辛い過去を語っていたというのに、いつもの調子の彼女に呆れる。
「まぁ、つまり何が言いたいかと言うと……一人で無理に悩むことはねぇってことだよ。だってロベリアの周りには、頼れる仲間が大勢いるからさ。孤高に生きることを選んだ僕の弟に比べれば、何百倍もマシ」
「……」
「いつまで悩んでも時間は解決してくれねぇ。だったらさ、んなもん忘れて楽しいことをして、一歩ずつ前進していく方が、ずっと楽だと思うゼ?」
楽しむこと、か。
裏切り者がいるというクロの言葉を聞いてから、落ち着けた日は一日だってなかった。
出航当日まで、この調子では皆んなを危険にさらしてしまうかもしれないのに。
だけど、シャレムが馬鹿なことをしたとき、心なしか悩んでいたことを忘れられたような気がした。
ため息を吐いてから、杯に注がれた酒を一気に飲み干す。
「一晩だけ、付き合ってやろう」
その時が来た時は、その時に対処すればいい。
今、なによりも重要なのはリアン姫の救出だ。
本来の目的を見失っては、救えるものも救えなくなってしまう。
「おし来たッ! レッツパーリィ!!!」
「そこまで盛り上がる気はない」
疑念という感情を押し殺し。
これからも、仲間を信頼し続けていこう。
万が一、万が一だ。
クロの言うように、仲間の誰かの裏切りが発覚するようなことがあれば。
俺はそいつを—————
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