第149話 黒魔術の魔導書”クロ”



 仕事の途中で、寝落ちをしてしまった。


 テーブルに突っ伏していた俺は、体を起こして周りを見回す。眠ってしまってから、どれぐらい時間が経ったのだろう。


 時計を見ると、銀針は真夜中の時間を指していた。早朝から予定が入っていたら慌てていたところだけど、予定が入っているのは今夜だ。


 ロウソクに火をつけて、家の奥にある地下につながる通路に向かう。


 かなり遅れてしまったので彼女が怒っていないかを心配しながら階段を下りる。


 約束したのだ、全てを話してくれると。



 ―――私が、お前をこの世界に招待したのだ。



 何故、俺がこの世界に連れてこられたのかを。


 どうしてロベリア・クロウリーの肉体に宿ってしまったのかを。




 地下研究室の扉を開けると、そこに”彼女”はいた。


 机の上に座って、足をぶらぶらさせる”黒髪の少女”が、黒魔術の魔導書を我が子かのように大事そうに抱きしめていた。


「随分とご機嫌そうだな、クロ」


 少女クロは不敵な笑みを浮かべながら、こちらを見た。






 ――――――






 クロという少女が、この魔導書、いや黒魔力の概念そのものに関連していることに確信を持てたのは古の巨人ベルソルとの戦いからだった。


 あの時、ロベリアの言う”黒魔術の本質”を受け入れたことでほとんど自我を失った状態だったが、黒魔力狂気の覚醒に彼女が要因していたことはハッキリと感じていた。


 かつてボロスが魔導書に意思があることを訴えていたのに、俺はそれを信じなかった。

 全ての始まりの”真実”を知る存在が、ずっと懐の中にあったというのに。


 ロウソクを机に置き、実体なのか定かではないクロと向き合う。


「―――ようやく私の正体に気づいてくれて、嬉しいぞ。どれほど、この日を心待ちにしていたのか」


 机から下りたクロは両腕を大きく広げて、嗤った。


 彼女がこれほどまで感情を露わにして、喋ったのは今までに一度もなかった。


「なら、どうして今まで何も話さずにいたんだ……?」


 瀬戸有馬として生きていた世界とは別の異世界に飛ばされ、悪役として生きていかなければならなくなったあの日に、どうして姿も見せなかったのか。


 そんなに心待ちにしていたのなら、初めから全部明かしてくれたら、こちらも色々困らずに済んでいたのに。


「それではつまらないからだ。私はあくまで傍観者で後援者ではない。物語を愉しむのに介入してしまったら台無しだろ?」

「……嘘をつくな。妖精王国に出発する前に貴様、俺に未来を見せたな?」

「あの小娘が勇者に刺される夢のことか? さあて、どうだかな?」


 顔を逸らしているがニヤニヤしている。

 白々しいし、息をするように嘘を付いてくるなコイツ。


「まあ、あれは私の気紛れだと思って忘れてくれ。そんなことよりも、まず私に聞きたいことがあるから逢いに来てくれたのだろ。教えられる範囲内なら教えてやるぞ」


 逆に教えられないことがあるということは全部、話すわけではないってことか。


 しかし本当、別人を相手にしているようで妙な気分になってくる。

 もう彼女を、今までのクロとして接しないようにしないと。


「貴様は、何者なんだ?」


 転生した理由とか、色々訊きたいことはあるが、まずはクロの正体が何なのか聞かなければ、後からする質問の返答を理解できないかもしれないからだ。


「———かつて、この星で発生した黒魔力による”厄災”を知っているか?」


 クロは質問をすぐには答えずに、質問で返してきた。


 黒魔力の“厄災”なら知っている。


 というか知っている人間がかなり多いからこそ、黒魔力を追求したロベリアを揃って怖がっているのだ。


「ミアが精霊種を植えるよりも前の時代。全世界に突如と未知の物質が蔓延した。その物質を体内に取り込むことで強大な力を得ることができるが、代償に全身のあらゆる箇所が黒く変色し、凶暴性が増幅して攻撃的になる。それはまるで、どのような生物であろうと無差別に襲いかかる理性を失った怪物のようにだ」


 とても信じ難い話だが本当に昔、世界はゾンビ映画のようなパンデミック状態に陥ったのだ。


 未知の物質は世界的な規模で流行したため、多くの地域で凶暴化する人族が多発。全人類の人口の四割ほどが未知の物質の犠牲となってしまった事件を人は”厄災”と呼んだ。


「かつて魔力を持たなかった人族には為す術がなく滅びゆく瞬間を見届けるしかないと思われていた———だが、その厄災から人族を救ったのが、未知の物質と同類の超常を保有した”魔族”だった。未知の物質は魔族たちの力によって”ある場所”に封印され、おかげで人族は滅びを免れることができたが、事件はそのまま幕を閉じたりはしなかった。魔力と魔術の概念を持たない昔の人族にとって、魔族の力は厄災を引き起こした未知の物質と同様に恐怖の対象となってしまった。そして人族は”未知の物質”を新たに”黒魔力”と改称した」


 救ってもらった恩を仇で返すように、人族は魔族を迫害したのだ。


 あの地獄を目の当たりにしていないから、当時の人族たちを批判する資格が俺にはないが、なんと胸糞の悪い歴史なのか。

 黒魔力が禁忌とされるのには納得しかない話だ。


 話を終えると、クロは子供のように目を輝かせながら天井を仰いだ。


「懐かしいよなぁ。まるで昨日の出来事かのように、瞼を閉じると光景が浮かんでくるんだ。私は———よくやったってな」

「……なんだと?」




 黒魔術の魔導書に宿っていた化身。

 少女の形をしたソイツは、残酷な歴史に対してけたたましく嗤っていたのだ。


 その瞬間、直感で解ってしまった。




「———私がその”厄災”を引き起こした元凶なんだよ」

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