第146話 早朝の魔術師たち



「——— この旅が終わったら、ルチナは何かしたいことは、あったりするのかい?」


 生まれて此の方、夢なんて持ったことのない私に、魔術師の少女ラケルはよく分からないことを訊いてきた。

 調査隊の仲間たちから少し離れた場所にある見晴らしの良い丘で、彼女と肩を並べて座っていた。


 いつもなら旅の計画や調査書の内容についての話し合いをするだけなのに、旅が終わったらしたいこと?


「……安定した生活を手にするまで魔導傭兵団で仕事を続けていくしかない、としか答えられない質問なんだけど、急にどしたの?」

「いや、ただ本当にそれがルチナのやりたい事なのかな〜って思ってしまってね。だって、この開拓調査も嫌々引き受けたのだろう? 今だって楽しそうに見えない」

「死と隣り合わせの大陸で喜んでいられるのは頭のおかしい戦闘狂だけだよ。それに、それって私だけじゃなくない?」


 離れた場所で野営の支度をしている仲間たちを見る。

 楽しそうにしている人は誰もいない。


「みんな、死ぬのは嫌でしょ……」


 これが国王の勅令じゃなかったら受けようなんて馬鹿なことはしなかった。

 いや、受けなくても魔導傭兵団をクビにされるだけで済んだのだ。


 なのに私は、魔導傭兵団以上に給料のいい仕事は他にないから、という実にくだらない理由で留まってしまったのだ。

 魔導傭兵団も冒険者ギルドと変わらない、命を賭して命令を遂行する仕事なのに。


 もしかして怖いからだろうか?

 魔術しか学んでこなかった私が、魔術以外のことをする未来が?


「そんな話しをしているんじゃない」


 怒っているのかと思ったけど、ラケルは穏やかな笑顔を浮かべたまま、こちらを見つめていた。

 歳はそんなに離れていないのに、やっぱり大人びて見えた。


「私が知りたいのは、ルチナの本当にやりたいことだよ」


 私の、本当にやりたいこと?

 そんなの魔導傭兵団で………いや、違う。


 私にはやりたいこと、いや、果たさなければならないことがあるのかもしれない。

 だけど、それが何なのかはさっぱりだ。

 ずっと自分の手で覆い隠してきたから、解らなくなってしまった。


「私は……私は……」


 答えることができなかった。

 いつも、そこで私の意識が現実に引き戻される。




 重い瞼を開けると、隣のベッドで寝ている友達のエリーシャの寝顔があった。

 部屋の中はまだ暗く、時計を見るとまだ日の出前の時間だ。

 カーテンを開け外を確認するが、人っ子一人歩いていない。


 いつもの、あの変な夢を見たせいで早起きをしてしまったのだ。


「寒い……」


 隅に置いてある私の荷物から上着を取り出して羽織る。

 このままベッドに戻っても寝られるような気がしない。

 庭の方にある井戸に行って顔を洗おう。


 そう思いながらエリーシャを起こさないように、そーっと部屋を出る。

 やはり誰も起きていないようで家の中はとても静かだ。


 音を立てないようにゆっくりと廊下を歩いて階段を目指し、階段を下りるときも足音を鳴らさないように注意する。


 家が広すぎてロベリアさんの寝室が何処にあるのか分からないけど物音を立てたことで眠りを妨げてしまい、仲間たちには見せない本性を露わにした怒りの傲慢の魔術師に殺されるかもしれない。


 頭でイメージしていたら、怖くなってきた。

 顔を洗ったら、さっさと部屋に戻るとしよう。


「……早いな」


 通り過ぎようとしたダイニングから声がして顔を向けると、一番会いたくなかった人物がそこにいた。

 調理器具を両手に、エプロン姿でだ。


 すーっと、血の気が引いていくのを感じた。








 台所の方から調理する音が聞こえるだけで、会話はない。


 出来上がるまで食卓で姿勢よく座るしかない。

 学院に入学するときに受けた面接を思い出す。

 あれよりも、こっちの方が居心地悪いけど。


 相手を不愉快にさせるような事をしてはならない、特にこのロベリアは危険だ。


「すっきりする、飲め」


 葉っぱの入ったティーポットの中身がカップに注がれる。

 白い湯気とともに嗅いだことのない爽やかな香りに包み込まれる。


 ゴクリと唾を飲み込み、カップを恐る恐る口に近づける。

 毒は入ってない、何も入っていないことを祈りながら火傷しないように、少しだけ飲んでみる。


「……っ!」


 ほんのりと甘くて、まろやかな口当たりのするお茶だった。

 美味しい、それに心なしか緊張が緩和されていくような気がした。


 たった一口なのに体がリラックスな状態になっていく。


「あの、これは……」

「レモンバームの茶だ。鎮静効果があって美容にもいい。よく飲んでいる」


 ロベリアさんは嫌な顔をせずに答えてくれた。


 ずっと緊張して俯いていたから気が付かなかったけど、ロベリアさんって人相はアレだけど普通に穏やかな雰囲気があるような、ないような。


「……居心地が悪いのなら部屋に戻ってもいい。作り終えるのに、まだ時間がかかるしな」


 もしかして、本当に良い人なのかな。

 世の中は、この人のことを悪く言うけど、実はそれが嘘だった。

 だって、わざわざ早起きをしてみんなの朝食を作るような人間を、悪人だとは思えないから。


 昨晩、寝る前にエリーシャからもロベリアさんのことについて少しだけ話しをしてもらった。


 ロベリアさんがやってくるまでの理想郷が荒れ果てた小さな貧しい町だったこと。

 それに心を痛めたロベリアさんが理想郷に留まって、ここまで豊かな国にしたこと。


 悪人がいままでの悪行を悔い改めて、多くの人間を救った救世主に。


「あの……ラケルを助け出すことはできるんですか?」

「ああ、俺なら出来るだろうな」


 自分の実力に微塵の疑いがないのか迷いのない声だった。

 それもそうか、この人は強い。

 一人でなんだってできちゃうんだ、私と違って。


「だが一人では無理だろう。俺だけでは、あの海域を渡り切るほどの技術、リアン姫やラケルを解放するための交渉術もない。出来ることが少なさすぎる」

「……えっ?」


 思わず立ち上がってしまった。

 あまりの勢いで椅子が横にひっくり返る。


「で、でも……ロベリアさんは十二強将なんですよ? それに交渉って、まるで戦う気がないみたいじゃないですか?」


 この国を豊かにした、多くの人間に尊敬されている。

 創作物でしかあり得ない奇跡を何度も起こした男が、なんでそんな普通の人間のようなことが言えるのだろうか。


「俺たちは相手を知らない。よく知りもせず傷を負わせようとするのは蛮族のやることだ。相手にも何か理由ワケがあってのことかもしれない。だから最初にすべきなのは話し合いだ」

「話しが通じなかったら、どうするんですか?」

「……戦うしかないだろ」


 何なの、話し合いをするとか戦うとか。

 ロベリアさん一人なら王国の一つや二つぐらい焼き払うことが———


(あれ……これじゃ私の故郷を奪った奴らと一緒……?)


 暴力を安易に正当化する自分の思考が怖かった。

 魔王軍だけが悪者だとばかり思っていたのに、これじゃまるで同類じゃないか。


 争いなんてないに越したことはないのに、どうして一瞬だけあの惨劇を望もうとしたのか。


「しかし、それは相手側に明確な敵意があり、理不尽な要求を提示されたときだ。戦う理由ができた時には戦う。争いが全てではないが、話し合いも全てではない」

「それって、つまり……両方を否定も肯定もしないってことですよね?」

「———血が流れない方が、ずっといい」


 ロベリアは困ったような顔で言った。

 最初は話し合いからして、ダメだったら武器を取る。

 それが本当に正しいことなのか、この人は分かっていないのかもしれない。


「俺は預言者ではない。だから、どちらが最善の選択なのかを導きだすことは出来ん。だが、これが俺の方法だ。これが、俺のやりたいやり方だ」


 ———私が知りたいのは、ルチナの本当にやりたいことだよ。


 ロベリアさんの言葉が、夢に出てきたラケルの言葉と重なったような気がした。


 それが正解じゃないかもしれないのに、やりたいようにやる。

 私も同じ魔術師だけど、ロベリアさんは決して登り詰めることのできない高みにいる。


 なのに———まるで凡人の発想だ。


「私でも、やれることはありますか?」


 友達が、酷い目に遭っているのにロベリアさんたちに任せっきりにして、私はなにもしないで魔導傭兵団に帰還してもいいのだろうか?

 ロベリアさんの話し合いが通じず戦争になるかもしれない。


 人魔大陸の開拓調査で何度も死にかけたからこそ同じような目には、もう遭いたくないと強く願っている。

 だけど、介入したら死ぬかもしれない。

 たとえ友達を救うことが立派なことでも、命をかける勇気が果たして私にあるのだろうか……。


「それは、お前が決めることだ」


 私はまた、答えることができなかった。




 ————





 朝食を食べ終わり、エリーシャと二人で肩を並べて皿洗いをする。

 一週間、この家でお世話になるのだから手伝いぐらいしないと失礼だ。


「学校に行ってきまーすぅ!」

「行ってきます」


 弟子の二人が学校に行ったあと、ロベリアさんも仕事の支度をしていた。

 支度を終えたらすぐに出かけるらしい。

 そのお手伝いをしているエリーシャが眩しい。


 あの二人、本当に夫婦なんだなぁ。

 嫉妬心はないけど、羨ましい光景だ。

 絶対無理かもしれないけど、私も将来はこういう家庭を築きたい。


「二人で街に買い物をしてこい。服や生活用品、そのほかの物も一週間分だ」


 そう言ってロベリアさんはエリーシャに買い物に必要な費用を渡した。

 見たことのない貨幣だった。

 この国独自の通貨なのだろうか?


「え、も、申し訳ないですよっ……!」

「ルチナちゃん、何を言っても『遠慮するな』って返されるだけだから、行こっ? ねっ?」

「あ、ちょっと……」


 エリーシャに手を引っ張られ、出掛ける準備をするために部屋に戻る。


 なんかエリーシャ、ものすごく嬉しそうな顔をしているけど、人妻と二人っきりでのお買い物。

 なんか、妙にドキドキしてきたような。



 こうしてエリーシャと二人で、お買い物に行くことになったのだった。

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