第139話 邂逅


「竜王だと? テメェみたいなフザけた魔族が竜王?」


 竜王ボロスは、カンサス領で傲慢の魔術師ロベリア・クロウリーによって討伐されたはず。

 魔導傭兵団にも情報は流れている。


 だとしたら、目の前の魔族は、竜王を自称する愚かなファンボーイなのか。

 それとも単純に情報が誤っていたか、の二つだ。

 それはそれで大問題だが、本当に目の前の男が竜王ボロスなら皆殺しにされてしまう、とルチナは戦慄した。


 剣士は、そう思っていないのか抜剣して、躊躇いもなく竜王に斬撃を飛ばした。


「アナタも斬撃を飛ばせるのですね? 流行っているんですかソレ?」

「ハッ、努力の結晶と言ってもらいたいね!」


 斬撃を素手で弾いた竜王に、剣士は凄まじい速度で迫った。

 急接近した剣士の、一秒にも満たない十回に渡る攻撃。

 あんなの受けたら、ルチナなら余裕で挽肉になっている。



「荒くれっぽい容姿の割には華麗な剣さばきですね。もしや宮殿に仕えていたりして?」

「ふん、あんな金持ちボンボン共のために命をかけろってのか? 俺は俺のやりたいようにやる、この剣術だって裏の世界で生き抜くために磨き上げてきたものだっての!」

商人ゴミに従っている分際で、おかしなことを言いますね」

「事情だよ、事情! 用済みになったら切り捨てるまでさ!」


 それを、聞いていたかもしれない商人から「え?」という一言が漏れる。


「私もそう思いますね。アナタのこの腕は、金や権力で買うべきではない。仕えるのに相応しい人間が、きっと何処かにいらっしゃるはずです」

「減らず口が、俺は誰にも従わねぇって言っただろ!」


 剣士の放った鋭い一撃を、竜王は難なく避けた。

 一撃も、当たっていない。


 剣士は出し惜しみせず本気で戦っているが、竜王はまるで子供を相手にしている調子で回避だけを繰り返していた。

 反射神経だけではなく、剣士の次の一手をすべて完璧に予測しているのだ。


 とっさに剣士は不規則な動きで竜王を翻弄しようとしたが、それも無駄だった。


「くそっ、当たらねぇ……!」

「遊戯は終わりですか? それとも、まさかこれが本気だとは言いませんよね?」

「このっ、野郎!」


 煽られたことで激情したのか、隙だらけの大振りを繰り出してしまった剣士。

 決着はついた、隙を見逃さず竜王は距離を詰め、攻撃の態勢を取った。


「かかったなアホが!」


 剣士はいつの間にか握りしめていた砂を、竜王の顔にめがけて振りかけた。

 目に入った砂のせいで、竜王は攻撃の手を止めてしまう。

 剣士にとって、、千載一遇のチャンスだった。


 剣士は中段に構えていた剣を全力で振り、竜王の胴体を真っ二つに切り裂いた。

 上半身が斜めの方へと吹き飛び、ビチャと地面に落ちる。


「……がはっ……この私が……」


 血反吐を吐きながら竜王は、予期しない状況に唇と瞳を震わせていた。

 そして次第に息が小さくなっていき、止まった。


 大量の汗で濡れた額を袖で拭き、剣士は剣を鞘に収める。

 絶命した竜王を自称する魔族を見下ろし、口角を緩ませた。


「ハハハ! 粋がって挑んできやがったから、大した奴かと思ったが、とんだ無様だなぁ!」


 いつも通りの勝利だった。

 自分が負けることを生まれてこの方、一度も考えたことがなかった。


 身の程を知らずに挑み敗北した魔族を足蹴りしようとした剣士は、ガシっと何者かに背後から頭を掴まれる感覚を覚える。



「———おめでとうございます、勝てて良かったじゃないですか。幻だったとはいえ竜王を打ち倒せるような経験、滅多にできませんよ?」

「なっ……」


 同じ声だった。

 自分が倒したはずの魔族の声そのものである。

 なら、目の前に転がっている亡骸は一体……?


「精神干渉魔術を模倣してみたんですよ。この”竜眼”で」


 それが剣士の最後に聞いた、言葉だった。


 竜王は土に埋まったかぶを引っこ抜くように、剣士の首を胴体から引きちぎったのだ。

 首を失った胴体は人形と然程さほど変わらないほど無機物に、魂が抜けたように崩れ落ちる。

 戦いは呆気なく、終わりを迎えたのだった。


 竜王は手に持った剣士の生首を満面の笑みで舐め回すように鑑賞したあと、そこら辺に投げ捨てた。

 きっと自身の敗因すら理解できずに死に絶えたのだろう。


「うわっ、わああああああああ!!」


 商人が奇声を上げて、地竜にも跨らず無様に逃げていく。

 取り乱したままでは、足取りも悪いだろうに。


 よろめき倒れそうになった商人の後ろ姿を、竜王はただ愉快に見守る。


「人を商材として扱っていながら、たかが骸一つに気を動転させるとは低が知れますね」


 さきほど空を飛んでいた竜王は、A級魔物の群れが付近で闊歩しているのを目撃していた。

 わざわざ手を下さずとも、護衛を失ったあの商人はどのみち魔物達の餌になるだろう。


「ひっ……」


 次は、自分の番だと悟ったルチナはどさくさに紛れて身を潜めようとした。

 だが、痣だらけの脆い体では立つこともままならなくなっていた。


 怯える細身の少女に、竜王は心から憐れんだ。

 羽織っていた外套で少女を包み込み、抱き上げる。


「ここまで、よく頑張りました」


 到底、自身に危害を加えようなどとは思えないほど慈愛に満ちた声だった。

 いやでも信用してしまう、そんな力があった。


「ゆっくりお休みになってください。目覚める頃には”理想郷”ですよ」


 竜王の腕の中でルチナは眠気に襲われ、ゆっくりと瞼を閉じていく。





 ———





 焼かれる家。

 目の前に、丁寧に並べられた親兄弟の生首。

 赤く濁った海に溺れ、助けを求めて手を伸ばしても誰も掴んでくれない。


「いやあああああああああ!!」


 絶叫して、ルチナは飛び起きた。

 光景が一変したことに、見ていたのがいつもの悪夢であることを分かり、呼吸を整える。

 柔らかな布のベッドで寝ていた。


 奴隷身分に落とされて以降、久しぶりの柔らかな寝床に驚きながらも、現状の把握のために周りを見回す。

 人魔大陸では到底あり得ない、家具や日用品の充実した部屋だ。


 人魔大陸の調査も仲間の死も全部、きっと夢だったのだ。

 あの商人から受けた腕の痣が、綺麗さっぱり消えていることが決定的な証拠である。


「ああ〜夢で良かった〜!」


 ルチナは体を縛っていた糸が切れたようにベッドに倒れ、天井を仰いだ。

 夢にしては長かったし現実味もあった。


 それに内容も憶えている。

 悪夢は普通、目覚めたら忘れるものだというのに。


「でも、お腹空いたな。どれぐらい寝ていたんだろう……えっ?」


 ルチナは自身の体をよくよく確認して、痩せ過ぎている事に気がつく。


 あまりにもガリガリすぎてミイラの一歩手前だ。

 背筋に悪寒が走り、奴隷だった頃の記憶が蘇る。

 そういえば、この服も部屋も、ルチナは見たことがなかった。


「……もしかして」


 夢ではなく現実。

 竜王を自称する魔族に何処かに連れて行かれて、すぐに意識を失った。


 ———目覚める頃には”理想郷”ですよ。



 ガチャ、と部屋の扉が開かれ、考え込んでいたルチナの肩がぴくりと動く。

 咄嗟に隠れようとしたが時すでに遅く、部屋の扉を開けた人物と目が合ってしまう。


 可憐な花という単語が脳裏を過ぎるほど、端麗な容姿の少女が驚いた表情をしていた。

 この世に、これほどまで美しいを体現した人間がいたことにルチナも内心驚愕していた。


 いや、一度だけ彼女とは会ったことがある。

 かつて仕事で一緒になった、あの少女ではないだろうか?


「え、エリーシャさん……!?」


 勘違いではなかった。

 目の前にいる人物こそが”英傑の騎士団”のメンバー、エリーシャ・ラルティーユなのだ。


「私を知っているってことは……やっぱり魔導傭兵団のルチナちゃん、だよね?」


 彼女も憶えていたのか、ルチナの名を口にするのだった。

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