第138話 正義の味方、参上
「私、揺れる乗り物に弱いらしい」
「見れば解りますよ。私よりも顔色悪いし……」
ルチナは船内にある自室に運び込んだラケルをベッドに寝かせて、船酔いに効くお茶を淹れていた。
「羨ましいな部屋があって。私は一番安い乗船券だから夜になったら、その辺でゴロ寝……本当に君のベッドを使ってもいいのかい?」
「体調を崩している人をほっとくわけにはいきませんよ。ほら、お茶を飲んでください」
ラケルは差し出されたお茶を受け取り、ちまちま飲む。
猫舌なのだろうか、それとも熱くしすぎたのか、ルチナにはどうでもいいことだった。
「ありがとう、親切な子だな君は」
「……」
ルチナは顔をしかめた。
親切、優しい、と言われる資格が無いからだ。
「あの、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「構わないよ」
「目的があって人魔大陸を目指していると言っていましたが、もしかして一人なんですか?」
「そうだね」
「そうだねって、あの大陸がどれだけ恐ろしいのか、まさか知らないとは言いませんよね?」
「本で調べたりはしたさ。生息している魔物の殆どがBからA級相当、気候変動による自然災害なんて当たり前、アズベル大陸よりも魔力濃度は高いが流れは不規則。現地に到着してある程度慣れておかないと、いざという時に魔術が使えないとなると危ないからね」
基本中の基本だ。
人魔大陸に常識は通用しない。
油断をすれば死ぬ、誰でも知っていることだ。
「あそこは墓場です。町や村も存在しているみたいですけど、住もうと考える人の思考が理解できません。魔物だけじゃなく、そこに住まう人も頭おかしいんじゃないですか?」
一人で行こうとしているラケル、お前も一緒だという意味を込めてルチナは言った。
細かいことをイチイチ気にするタイプではないラケルには通じなかったが。
「好きで住居している人は、あまりいないのかもしれないよ? 戦争のせいで故郷を余儀なく追われた人間は多くいる、魔族もそうさ。けど、彼等を受け入れてくれる難民避難所はアズベル大陸には一つもない。だから唯一受け入れてくれる”
やはり、ラケルがただの少女であるとルチナ思えなかった。
「あの……もう一つ、聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
「何をしに、人魔大陸に行くつもりなんですか?」
会ったばかりの他人が聞いていいことなのか悩んだが、ルチナは好奇心に勝てなかった。
どうして女の子がたった一人で、あの危険な大陸に向かっているのか、気にならない人は居ないだろう。
「……うーん」
ラケルは天井を見つめたまますぐには答えなかった。
気まずい静寂な時間が、流れる。
やはり聞いてはならない事だったのか。
(プライバシーの侵害だよね、コレ。てかお前、誰やねん! って思われてそうで恥ずかしい! 死ね! 私なんか死んじゃえっ!)
「知り合いを探しに行くのが私の目的だ。アズベル大陸では情報を得られなかったからね、探せる範囲があと人魔大陸しかないんだ」
ルチナは冗談かと思っていたが、ラケルの目は本気だった。
「……友人なんですか?」
「恩人さ、感謝してもしきれない」
ラケルは嬉しそうに言った。
恩人だとしても命をかけて探し出すほどの人物なのだろうか?
家族の誰かが人魔大陸に遭難したと聞けば、もう死んでいるとルチナはすぐに諦めるような人間だ。
命をかけて死体を探しに行けるほどの覚悟も実力もないからだ。
だけど、ラケルはそうではなかった。
「……もう亡くなっているとは思わないんですか?」
不毛な劣等感を抱いたルチナは、口を震わせながら聞いた。
必死になって探し出そうとしているラケルに、最も聞いてはならない質問であることをルチナは分かっていた。
「ふふ………ははははっ!」
なのに、ラケルは笑っていた。
ラケルは悲しむのでも、憤るのでもなく、腹を抱えて笑っていたのだ。
ラケルは目元に涙を浮かべながら、唖然としているルチナを見た。
「ご、ごめん、だって……あの人が死ぬだなんてイメージできないから、つい」
ルチナの嫌味な質問に対抗するために強がっているのか。
だが、これが嘘笑いなら相当な役者だ。
「名前までは言えないが、君もその人のことを知れば嫌でも納得するだろうね」
「?」
あの大陸でのうのうと生きれる魔術師なんて実在するのか、ルチナは疑問に思った。
いるとしたら”銀針の十二強将”だけだ。
「眠い、このまま寢っちゃっていいのかな?」
「……ええ、いいですよ。けど代わりに」
自分と違って、ラケルはあの大陸をまるで恐れていない。
そこまで手練れの魔術師なら、他人よりも自身を優先するルチナでも興味を湧かせるのに十分だった。
「―――
人魔大陸で唯一の港町。
船に乗って、到着したのは四日目だった。
ルチナは顔色の悪いラケルに肩を貸しながら、調査隊の仲間たちと共に船を降りる。
荒波による船の激しい揺れのせいで、調査員のほとんどが気分を悪くさせていた。
少しでも港町で休めるかと思ったが泊まれそうな宿がなかったため、すぐに出発することとなった。
最初の目的地は
大陸のほぼ中央に位置する最も盛んな町であり、聞けば冒険者ギルドもあるとのことだ。
調査隊の隊長を担うのは”魔導師”マルフィン。
無精髭を蓄えたガタイのいい男だ。
あれでは魔術師よりも戦士の風格だ。
「ルチナ、その者の同行を許可しよう。しかし、足手まといだと判断したときには置いていく。解ったな?」
「は、はい!」
出発する前にマルフィンからラケルの同行を許してもらえたが、彼のあまりにも怖い顔にルチナは数十秒間固まってしまう。
魔導傭兵団トップの階級を持つ、最高の魔術師は伊達ではない。
二十年前、”ガリブ海域での戦い”で魔王軍の主力艦隊を、たった一つの部隊を率いて残らず沈めた伝説を持つ男だ。
ルチナでも「凄ぇ!」と唸るような話だが、厳格でザ・真面目を絵に描いたような人間なので仕事以外で会話はあまりしたくない。
断られる覚悟で話しかけたルチナも許可を貰えたことに驚愕していた。
断られたら、それで仕方のない事だったが、どうしてそこまでラケルを同行させたいのかルチナ自身も分からなかった。
人魔大陸の恐ろしさをこれっぽっちも理解せず、自分を優秀な魔術師の弟子と豪語するラケルの実力を確かめたいからなのか。
それとも、彼女の身を案じて……。
(ないない、私がそんなことをする義理がどこにあるっていうのよ、バカね)
きっと前者が正解なのだ。
出会ったばかりの人間を心配するほどお人好しではないと勝手に納得する。
(ん? なんか騒がしい?)
ラケルを待たせている場所に戻ると、ルチナと同じ調査員らがラケルを囲んでいた。
不穏な空気を察して、小屋のような建物の裏に隠れる。
(嘘っ、さっそく目付けられた感じ? しかも皆んな真剣な顔をしてる!)
数枚の紙を広げたラケルが調査員たちに何かを説明していた。
言っていることは聞こえないが、あの状況が良いか悪いかで聞かれたら悪いに決まっている。
魔導傭兵団の殆どは良家の出、ラケルが下々の平民魔術師だと知られれば虐められてしまう。
仲裁に入るべきかとルチナは悩んだが、一等術士ごときがシャシャリ出るのは自殺行為に等しい。
大人しく嵐が過ぎ去るのを待つのが賢明だ。
そう思っていたが、ラケルを取り囲んでいた調査員たちが関心したように拍手をしていた。
「ここまで複雑な術式を見たことがありません。魔術構築の段階で基本とされている法則を無視している。だというのに十分すぎるぐらい理にかなっている」
「これは、我々も見習わなくてはな」
なんか認められてらっしゃる。
緊迫とした空気(気のせい)が嘘のようだった。
自分と違って、もう会ったばかりの調査員たちと仲良くしている。
それだけではない、貴族でも何でもないラケルを全員が認めていたのだ。
数週間経っても、まだ馴染めていないルチナにとってショックな光景だった。
「そういえば、ルチナに誘われたってな」
調査員の一人が、自分の名前を口にしたことにルチナはキョトンとした。
出発初日に自己紹介をしたが、それ以降一度も名乗っていない自分の名前を覚えていてくれている人がいた。
それに対してルチナは感動より、複雑な心境だった。
アズベル大陸から人魔大陸までの道のりだけではない、この任務を受けるもっと前から自分という人物が、どれだけ惨めなのかを判っていたからだ。
”近寄りがたい人間”
一言で言うのなら、これ以外にない。
戦災孤児だったルチナは額に大きな火傷痕を負っていた。
両親、兄弟、居場所を失った彼女は、周囲の人間から「醜い」と罵られたり「魔族の呪いだ」と根も葉もない噂で気味悪がられていた。
人々は残酷にも、まだ幼かったルチナを遠ざけたのだ。
空っぽな心は満たされないまま、孤独が当たり前のまま、成長したルチナはいつしか自分から他人を遠ざけるようになってしまう。
”友人”と呼べるような存在もいたが、付き合いがあまりにも短く思い出なんてない。
気付いたら忘れてしまうような、ほんの一欠片の記憶でしかないのだ。
「気難しい奴だよな? 話かけてもロクに返事をくれないし、いつも隅っこにいるし」
「人の顔色を伺っている感じだよね」
散々な言われようだと、ルチナは苦笑いする。
やはり魔導傭兵団のみんなも他と一緒で、自分のような人間を―――
「でも、悪い奴じゃないことだけは理解して欲しい。この任務も上のバカが強引に彼女を調査隊に動員したんだ。人魔大陸に到着するまでの間のルチナを見てきたが、アイツずっと怖がっていたよ。だから君のような心強い魔術師が一人でも旅に加わってくれることに感謝するよ」
調査員の一人が、ラケルに頭を下げた。
「
ルチナは目を見開き、予想もしていなかった光景にただ呆然とするしかなかった。
懇願するような声だった。
否定する者はいない、その場にいる誰もが同じことを思っていたのだ。
(なんで……なんで私は)
みんなの事を、知ろうとしなかったのか。
平民の自分なんかを受け入れるはずがない。
実力主義の魔術師の世界で、認めてくれるような人なんていないと思っていた。
だけど違った、周りを見ようとしなかった自分が悪いのだ。
思い返すと、人魔大陸までの道のりでルチナを邪険に扱うような態度をする者は、誰一人としていなかった。
小屋の陰に隠れているルチナの瞳に、ふいに涙がこぼれ落ちた。
「ずっと気になっていたんだが、君はそこで何をしているんだい?」
「しゅわっち!?」
突然、真横の壁から覗き込むように顔を出したラケルに、ルチナは謎の奇声を発して尻もちついてしまう。
「おっと、また驚かせてしまったな」
「い、いえ。この程度、なんともありません……」
すぐさま立ち上がり、服に付いてしまった砂埃を両手ではらう。
「それで、隊長からの許可は貰えたのかい?」
「……はい、なんとか」
それを聞いたラケルは、可愛らしい笑みを浮かべて言った。
「それは良かった、それじゃ改めてよろしくお願いするよルチナ」
ラケルはそう言い、手を差し出した。
戸惑いつつ彼女が握手を求めていることに気がついたルチナは、慣れない動作で手を握った。
人と握手をすることが、初めての経験だった。
気恥ずかしさで頬を紅潮させながらも、ルチナは笑みを浮かべた。
「よろしくお願いします、ラケルさん」
心から呼べる”友”ができたと思った。
調査隊の一員になれたような気がした。
自分を拒絶して遠ざけるような人はいない。
ようやく心を開くことができたルチナは、人魔大陸での旅の道中で仲間たちと時には笑い、時には涙して、時には喧嘩をして交流を深めていった。
生まれて初めてルチナに”仲間”ができたのだ。
———ラケルと
「………はぁはぁ」
ルチナは、逃げていた。
足から血を流して、後ろから迫ってくる何者から逃げていた。
「……助けっ……誰か助けて!」
涙を浮かべ、乾いた声で叫ぶ。
それが無駄であることを解っていても、奇跡が起きることを信じて助けを求める。
だが、果たして奇跡は起きるのだろうか?
理不尽に死んでいった”仲間”たちには奇跡なんて起こらなかったというのに、自分だけ都合よくそれは訪れるのだろうか?
「……きゃっ!」
急な斜面で足を踏み外したルチナは、岩肌に体を削られながら転がり落ちた。
額から血が流れ、ルチナの視界を赤一色で染める。
絶望の淵に、希望などないのだ。
国王の勅令であろうと、上司から圧をかけられても人魔大陸の調査任務を断るべきだった。
そうすれば、初めからこんな酷い目に遭わずに済んだはず。
夜の帳が落ちた荒野を照らす、唯一の輝きを放つ存在をルチナは見上げた。
綺麗な満月だった。
こんな日に死ねるのなら、どれだけ幸せなのか。
「奴隷が、手こずらやせがって」
「我々も商売があるのだ。目を瞑って逃がすとでも思ったのか?」
倒れているルチナに近づく、二人の男がいた。
片方は地竜に乗った肥満体の髭面で、もう片方は腰に剣をぶら下げている只者ではない剣士だった。
片方の肥満体の男は奴隷商人である。
この世界には奴隷という制度があった。
アズベル大陸では世界連盟に加盟している国では禁止されているが、帝国や一部の国では奴隷の売買や買取りが合法化されている。
奴隷商人による人攫いが最も多く行われているのが人魔大陸だった。
戦争から避難してくる魔族が大勢いるからだ。
魔族は人族よりも何倍も高く売れる。
中には高値で買い取ってくれる物好きな王族もいるため、金に目が眩んだ奴隷商人は選りすぐりの用心棒を雇って、人魔大陸に渡ってくることがある。
仲間を失い、孤独に彷徨っていたルチナは運が悪く奴隷商人に捕まってしまったのだ。
リグレル王国国王の勅令で人魔大陸に派遣された魔導傭兵団であると説明するが、ルチナの言うことに商人は耳をかさなかった。
それが例え事実だったとしても、貴重な商売道具を見す見す手放したりはしないだろう。
「旦那、どうします? 逃げられないように足の一本でも折りましょうか?」
「や、やめろ! それでは価値が下がって売り物にならなくなってしまうだろ」
逃げようとするルチナの背中を剣士は踏みつけ剣を抜こうとしたが、商人が止めに入る。
「別にいいじゃないですかい、こいつは”魔眼”持ちですよ? 手足を使えなくなったところで、あんまし問題ないと思うんですけど」
「まったく、これだから馬鹿は……魔眼以外にも女であれば女としての役目があるであろう。無駄に痛めつけて、使い物にならなかったらどうするのだ?」
「なるほどね、了解しましたよ」
下卑た笑みを浮かべた商人に、剣士は納得してルチナの背中から足をどける。
その瞬間、ルチナは逃げようとした。
足では立てなかったが、這いずってでも逃げようとしたのだ。
「いい加減に、自分の立場を理解しやがれ! このクソガキがっ!」
痛ましい音と共に、ルチナは蹴り飛ばされた。
まともに食べていないのか、棒切れのように痩せ細ったルチナの体は想像よりも遠くに吹っ飛んだ。
「もうテメェは人間じゃなく道具なんだよ! 人権もなければ生きる資格もねぇ! だから俺様はテメェに奴隷という他人の為に役立つ、生きる意味を与えたんだよ! 感謝しやがれっ!」
商人の怒りが鎮まることがなく、口から血を吐きだして震えているルチナを容赦なく蹴り続けた。
剣士は腰に手を当てて、ため息を吐く。
「使い物にならねぇって言ったばっかじゃん……たくっ」
商人が、ようやく落ち着いたのは数分後。
ルチナが意識を手放そうとした直前に、我に返って蹴るのを止めた。
「いかん、いくら奴隷とて少女を足蹴りにするのは紳士に反する、ごほん」
「あの、旦那」
「なんだっ!」
「そいつ、このままだと死にますよ? 流石にやり過ぎだと思いますぜ。今回は、この辺にして早く連れ帰って応急処置をしましょ。ね?」
「チッ、お主の言う通りだ。ほら、さっさと立たんか!」
ルチナの髪を鷲掴みして、痣だらけの顔を見ながら商人は無理な命令を口にする。
ルチナには、もう抵抗する気力も勇気もなかった。
このまま大人しくしている方が痛い目を、苦しい思いをせずに済む。
何で酷い目に遭わなければならないかという疑問、どうすればいいのかという迷い。
自問自答するだけ時間の無駄だと、そう自分に言い聞かせて、折れているであろう両腕で痛みを堪えながら、傷だらけの体を起こしてみせる。
泣かないようにしながらも、心のどこかでルチナは誰かの助けを望んでいた。
だけど、そんな都合のいい話なんて———
「———ふふ、ははは!」
何処からか、高らかな笑い声が鳴り響いた。
商人と剣士は、会話を止めて、ルチナも周りを見回した。
誰もいない、幻聴なのか。
いや、三人が揃って声に反応しているのだ。
「そこまでです! 悪党どもよ!」
声がしているのは上空の方からだった。
月を背に両手を広げる、金色の長髪、角を生やした端麗な顔立ちの男が浮遊していた。
普通の人間ではないのは、明らかである。
「な、な、何者だ貴様!」
商人が、怯えたような声で叫んだ。
それを聞いた男はゆっくりと降下して、華麗に地面へと着陸する。
「悪の道に走らんとする、金に飢えた亡者どもよ。その肥えた腹が齎した禍いを、あの世で悔いるがいい! そう! 私こそが全世界の酒、金、美少女の味方! 正義のヒーロー! 竜王ぉおおお、ボロスなりぃいいい!」
ポーズを決めた男の背後で、爆発が起きる。
キマッたと言わんばかりのドヤ顔を浮かべるボロスと名乗った男だが、三人は思った。
———いや、お前、どちらかというと悪側の台詞じゃん。
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