第9章 序曲

第137話 あの日の、船での出会い


 時計塔に刻まれた順位の変動に、世界に激震が走った。

 神、魔王、巨人、世界を滅ぼすほどの規格外の力を持つ強者のみに許され、千年もの間、決して変動することのなかった五刻以内の順位に、その男の通り名が刻まれていたからだ。


 決して、人類が登り詰めることなど不可能と断言された絶対的な領域に、神に最も近い位に、よりにもよって傲慢の魔術師の名が刻まれてしまったのだ。

 情報は速やかに”世界連盟”主要国中心に発信された。


 恐慌を避けるために隠蔽工作を企てる連中もいたが、神々を信仰する神聖国はそれを断固許さなかった。

 どのような結果になろうと神の創造物たる時計塔が示した真実に従い、嘘偽りのない情報を例外なく世界中に報じなければならない、という方針を固めるのだった。




 数年前。

 アズベル大陸、魔王軍との紛争を最前線にした最西端の”リグレル王国”第五代国王クロード・ナイテッドは、どの国よりも早く”人魔大陸”の覇権を握るために”魔導傭兵団”という王国直下の魔術師組織に、現地に赴き自然や生態系を広い範囲に渡って調査するよう勅令を発した。


 魔導傭兵団には『五等術士』→『四等術士』→『三等術士』→『二等術士』→『一等術士』→『発翼術士』→『聖冠術士』→『魔導師』という階級制度があり、一等術師以上の階級章を持つ者のみが人魔大陸の”調査団”に編成されることとなった。


 不参加は認められるが、国王の命令に背いたことで魔導傭兵団からの永久追放が言い渡される。


 だが傭兵団に属している上位の魔術師の多くが貴族家系のため、無駄にプライドが高く、自己顕示欲が強い。


 自らの利益を最優先する魔術師たちの単純さぶりに、上層部は終始笑顔だったという。


 結成された調査団の調査員の数は三十名。

 計画が始まったのは一ヶ月以内、王国の領土内にある諸国の協力のおかげで最速一週間でアズベル大陸の下端っこまで南下した調査団は、海を渡るための船に乗船するのだった。


 甲板には一人座り込み、世の中に絶望した顔を浮かべる人物がいた。


 ハネ毛が特徴的な短い黒髮の、眼鏡をかけた少女。魔導傭兵団一等術士、名前はルチナという。


(———こんなはずじゃなかったのになぁ。魔導傭兵団に入って、頑張って一等術士にまで昇格したのは安泰な人生を謳歌する為なのに。気づいたら自ら死地に向かってボンボヤージュしてしまっている。そう私です、とても不幸な私です)


 船酔いのせいではなく、単純に自分の現状にルチナは顔色を悪くさせていた。

 望んで調査団に加わったのではないからだ。


「クソぉ! 魔術学院を首席で卒業したから就職活動が有利になると思っていたのに、待遇の良い仕事はド平民だからって理由で全部落ちちゃったし、仕方なく友人の誘いで一番稼げそうな魔導傭兵団に入団したら何よ、命懸けの仕事ばかりじゃない! 少しでも昇格したら楽になるのかなぁって必死に頑張ってみたけど、楽になるどころか仕事内容もっとハードになっているし。分かる、分かるよ! 軽い気持ちで入っちゃった私の自業自得だって。でも、甘ったれた馬鹿みたいな夢を見たっていいじゃないの! 人間だもの!」


 今回の任務を断ればクビにするぞと上司に脅されたことで八方塞がりだ。

 魔術に関する教養しか受けたことがないため、魔術師傭兵団をクビにされてしまったら他で働ける気がしない。


 冒険者ギルドなら魔術師歓迎だろうけど、危険と隣り合わせの仕事はしたくない。

 かといって、頼れる家族や兄弟もいない。


 ルチナは本音を抑え込みながら、不器用に浮かべた偽りの笑顔で承諾するしかなかったのだ。



「気分が優れないようだけど……大丈夫かい、君?」

「ひゃあっ!?」


 人気のない甲板の隅っこがルチナの特等席である。

 乗船してから数日、他の人間が寄り付いたことなんてなかったので、声をかけられた瞬間、ルチナは自分でも引いてしまうほどの悲鳴を上げてしまった。


「あ、驚かせてしまってすまない。私と歳が近そうな子が、毎日甲板の隅っこで絶望した顔で縮こまっていたから気になって……」


 声をかけてきたのは長い外套を羽織った、紫髪の幼い少女だった。


 帽子が風に飛ばされないよう左手の指で鍔を掴んでおり、もう片方の右手は杖を握りしめていた。

 かなり上級の杖だと分かるデザインをしている。

 貧乏人のルチナの杖なんかより、もっと立派だ。


「あ、アナタは……」

「私かい? ふふ、私は偉大なる魔術師の一番弟子ラケルという者だ。ワケあって人魔大陸を目指している」

「……」


 初対面相手に緊張してしまうルチナは、次にどのような言葉を返せばいいのか解らず、口をパクパクさせてしまう。


「一人の静かな時間を邪魔してしまったようで申し訳ない。病気でもなさそうだし、私はおいとまさせてもらうよ」


 風のように現れ風のように去っていく謎の女魔術師ラケルの背中を、ルチナはいまだに言葉を絞り出せない口を開閉を繰り返しながら見つめる。


(私と、そんなに歳離れてなさそうなのに、なんであんなに大人びているの? しかもこの船、人魔大陸に向かっているんだよ? 怖くないの……?)


 ラケルに興味を持ち始めたルチナは、勇気を出して呼び止めようとしたが、


「……うっ」


 突然、ラケルが倒れた。

 ちょうどいいタイミングで波によって船が少しだけ傾き、倒れたままゴロゴロと転がっていってしまった。


(何してんのーー!?)


 海に放り出されるかもしれない。

 ゴロゴロと甲板を転がる女魔術師をルチナは追いかけた。


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