第134話 剣と氷と炎にご注意


 ループス山脈にある、名もなき山。

 山の中腹にさえ到達するのが困難なほどの険しい道程。

 道は遥かに狭く、少しでも足を踏み外せば崖の底へと真っ逆さまだ。


 A級魔物『デーモン・クロウ』という鋭い牙を生やした凶暴な巨鳥が岩肌に沿って飛んでおり、迂闊に近づけば群れが一斉に襲いかかってくるため、道のりだけではなく生息する生物にも用心しなければならない。


 だが、山の三分の二の高さに到達すると、そこに在るべきではないはずの建造物、陽光が反射して黄金のように輝く壮麗な『神殿』を目の当たりにする。

 険しい道のりを踏破した者だけが、見ることだけを許される。


 そう―――『見ることだけ』を許されるのだ。

 噂を耳にした腕に自信のある冒険者や旅人の多くが『神殿』に辿り着いて、一人残らず死んでいる。

『神殿』のあまりの美しさに見惚れていると、体が膨張して破裂するからだ。


 時計塔に選ばれた十二の最強を除いては。

 鍔に瑠璃色の宝石を埋め込んだ剣を担ぎ、鼻歌を歌いながら優雅に歩いている青年の姿があった。

 鎧の類など一切纏っておらず、下町に出掛ける感覚の服装である。


『神殿』の前にまで辿り着くと剣を腰の鞘におさめ、両腕を組んで笑った。

「久方ぶりの招待で都市オリジネから直々に馳せ参じたのだが、まるで昨晩出来たばかりのように隅々まで手入れが行き届いているのぉ」


「―――そう、まるで時が止まっているみたい」


 神殿の入り口の柱で、白と水色二色を混ぜ合わせたような髪色を風に靡かせる、物越しの柔らかそうな青白い肌の女性が佇んでいた。


「おお! 久しぶりじゃねかブランカちゃん! 相変わらず可愛いのぉ!」

「黙れ、招集の時間はとっくに過ぎている。だというのに、自分の立場すら自覚できていないそのふざけた態度、いっぺん死に恥をさらすか? ああん?」


 青年のフレンドリーな言葉にブランカと呼ばれた女性は、顔に青筋を立てた。

 静かで落ち着いた口調が一変し、青年に殺意を向ける。


「―――あ」


 次の瞬間、青年の全身が瞬く間に、氷漬けになってしまう。

 外部だけではなく内部に存在する血液を含めたすべての水分まで凍らせてしまう、敵を殺すためだけの氷属性魔術である。


 ブランカは少年を死に至らせたことに悪気を一切見せることなく、手のひらを広げ、剣の形をした氷の結晶を作り出す。

 その瞳には、まだ青年が映っていた。


「その程度、死ぬわけない」


 ブランカの言う通り、氷漬けにされた青年は死んでいなかった。

 まるで、こうなることを理解していたかのように平然とした顔のまま、眼球を動かしブランカを見ている。


「東西南北、斬り隔てるは、一刀の業物」


 青年が何かを口ずさんだ、次の瞬間。

 針に糸を引っ掛けるとなく、たった一度で通すほど、精錬された繊細な斬撃がブランカにめがけて放たれる。


 斬撃を氷の剣で受け流すブランカだったが、不覚にも頬に切り傷を負ってしまう。

 だが、傷口からは一滴の血が流れることはなかった。


「あーあ、せっかく一発で首を落としてやろうってのに。俺にゃ女子おなごの綺麗な顔に傷をつける趣味はねぇっての」


 ブランカによって受け流された斬撃が威力を弱めることなく、遠くに聳えていた山を二つに切断する。

 目を疑うような光景を前にしても、ブランカはこれっぽちも驚愕することなく舌打ちをした。


 この青年が只者ではない事は、放った斬撃の威力が証明している。

 青年が肩に担いでいる剣に宿る、魔力の量も尋常ではなかった。


 それもそうだ、この青年、いや男こそ史上最強の剣士。

 世界に現在するあらゆる剣術をすべて使いこなし、勇者の聖剣を生み出した一族の末裔。

 銀針の十二強将『八刻 聖剣士グリフレット・ロウ・オーウェン』だからだ。


「なぁ、ブランカちゃん。俺の顔に免じて、不毛な争いはやめにしようや。お前さんと違って、俺はただの人の子。やっと到着したんだから、休ませてくれないかの?」

「だったら謝罪の一言を聞きたい」

「アッタマの堅い、女子おなごだなぁ……」

「ああん? 本気マジに、死にてぇようだなぁ?」


 グリフレットの頭を掻く仕草に激情したブランカは、内包している強大な力を『限制解除―――」という言葉と共に解放しようとする。


「氷結の魔女という通り名に似合わず、すーぐカッとなりおる」


 グリフレットは、隙を一切見せない構えに移行した。

 攻撃ではなく、防御の態勢に移ったのだ。

 すべての剣術を扱えるこの男なら、攻撃手段はいくらでもあるはずだ。


 だが、そうしなかったのはブランカの次の行動に、警戒したからである。

 格下相手ならば、絶対にそのような事はしない。

 それはブランカが格下ではないからだ。


 彼女も時計塔に認められた銀針の十二強将『九刻 氷結の魔女ブランカ・フロネージュ』である。


「ちょっとちょっと! 二人ともストップ! そこまでだよ!」


 衝突しようとする二人の間に、炎の渦巻きが出現する。

 規格外の熱量に、やむを得ずグリフレットとブランカは動きを止めた。

 誰の仕業なのか、二人はすぐに理解する。


「邪魔してんじゃあねぇぞ、スカーレット」

「だって仲裁しなきゃ、本気でり合っていたじゃん。二人の命なんかどうでもいいけど、神殿を壊されたら困っちゃうのは私達全員だからね。そう、二人が死のうと私には関係ないから……勘違いしないでよね!」


 炎の渦巻きが消えると、そこには腕を組んでプイッと顔をそむける赤毛の少女が立っていた。

 切り揃えられた前髪が特徴的で一見、無害な少女だが、二人の間に割って入る時点で彼女も只者ではないことは明らかである。


 銀針の十二強将『十一刻 炎帝スカーレット・ノヴァ』こそ、彼女のことである。


「喧嘩はここで終わり。グリフレット、アンタはちゃんと謝れる練習をしなさい。ブランカは、すぐに怒らない。この人が昔から、こういう馬鹿だって知っているでしょ?」

「相変わらず手厳しいなぁ、スカーレット嬢は」

「はあ? 私はまだ優しい方よ。アナタ覚悟しなさいよね、『あの人』に殺されても文句を言えないぐらいのことをしたんだから」

「老い先短い俺を殺しても、『あの人』には何の利益にもならねぇと思うんだが、スカーレット嬢の言う通り、土下座の一つでもするかのぉ」


 御年七十二、初めて剣を握りしめた五歳の頃から才能を開花させ、一度も敗北をしたことがないグリフレットを戦慄させるほどの存在がいた。

 その存在こそ、この場にいる三人を『神殿』に招集した張本人である。


 銀針の十二強将の接触は、長年に渡ってタブーとされている。

 何かしらがキッカケで衝突すると、甚大な被害を避けられないからだ。

 世界連盟の『抑止力』によって接触を許されていない彼らが唯一顔を合わせられる隠れ家こそが、この『神殿』である。


『神殿』の中に入り階段を上がると、ある広間に通じる扉の前に辿り着く。

 一番前を歩いていたスカーレットが扉を三度ノックしてから、ドアノブを回した。

 広間の中には大きな円卓が設置されており、豪勢な食事が隙間なく並べられていた。


「――長旅ご苦労だったな、聖剣士さん」


 そこには背中を向けて、椅子に座っている男がいた。

 男の声とともにスカーレットとブランカは、床に片方の膝をつけて頭を下げた。

 グリフレットだけ丁寧な土下座である。


「遅れてしまったことを深くお詫び申し上げます。足りぬなら、どうぞ煮るなり焼くなり……」

「我の手を煩わせるつもりか?」

「いえ、決してそのような……」

「じゃあ、さっさと席についてくれよ。ぼっ……じゃなく我の時間を無駄にした代償は大きいけど、罰するのは面倒だから、貴様の処遇は後にする」


 威厳を強引に引き出そうとする男の雰囲気を前にすれば拍子抜けもいいところだが、この場にいる誰もが男の言葉を真剣に受け取っていた。

 それほどの力が、この男にあるのだ。


「しかし、初めに貴様らに報告せねばならないことが一つある」


 三人は興味津々に顔を上げ、耳を傾けた。


「古の巨人ベルソルが、七日ほど前に倒された」


 右側の目を、手で覆いながら男が告げた。

 五百年前、第一次人魔大戦を終結させた伝説を生きるあの最強の巨人が負けた。


 耳を疑うような言葉に思わずブランカが「そんな、あり得ない!」と声を張り上げる。

 グリフレットは面白可笑しそうに笑い、スカーレットは口を半開きにさせて驚いていた。


「渦巻く強大な力を感じ取り、千里眼で戦いの一部を覗き見た。嘘でない」

「それでは、一体誰がベルソルを倒したというですか……!」


 スカーレットが恐る恐る聞いた。

 背中を向けているせいで男がどんな表情をしているのか見えないが、高揚を抑えようとするような声で言った。


「―――妖精王国と同盟を結び、帝国の鬼人を打ち破った男、傲慢の魔術師ロベリア・クロウリーだ」






 喜劇かあるいは悲劇の歯車が止まらない限り、物語の秒針はそれでも進み続ける。

 いずれ訪れる結末ハッピー・バッドエンドに、辿り着くまでは。


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