第132話 最初のページ




「勝てないな」


 無の空間で、椅子に座っているロベリアが呟いた。

 瀬戸有馬精神のロベリアと、厄災『天獄』の力を半分奪われたエリーシャの二人で合わせた攻撃ではトドメを刺すことができない。

 ベルソルの回復力は、その上を行く。


 瀬戸有馬が黒魔術の覚醒『黒燈アーテル・フィギュラティブ』を自力で引き出し、心象世界にベルソルを連れ込み、一騎打ちに持ち込むまでの段取りは良かったが、その時に仕留めきれず元の世界に戻ってしまった時点で負けが確定しているのだ。


「ここで、ゲームセットか」

「まだ」


 同様に観戦していた少女クロが、むくれて言う。


「彼は負けていない」

「誰かの為に生きることを望んだヤツが勝てると、本気で思っているのか?」

「ああ」


 即答するクロに、ロベリアはため息を吐いた。


「黒魔力は純粋さでは真の力を引き出すことができないと、かつて俺に言ったのは貴様だ。別世界から連れてきたセトアリマに惚れ込むのは貴様の勝手だが、今回ばかりは諦めることだな」


 意味深な発言をするロベリアの言葉など無視して、クロは観戦に専念した。


「引き際をわきまえろ。俺だってまだ死ぬことを納得していない。だが、あの馬鹿が頑なに俺らを否定するのならば、もう他に勝算は残されていない」

「ある」

「根拠もなく、よく言える」


 椅子から立ち上がり去ろうとするロベリアの服の裾を、クロは掴んで引き止めた。


「見てな」








 突き刺したエリーシャの剣『王虎』から閃光が幾度も迸っていた。

 青、緑、赤、黄、目を細めたくなるほどの輝きだが、この男を逃してはならない。

 確実に仕留めなければ、俺たちの後ろにいる仲間たちが皆殺しにされてしまう。


 右腕が悲鳴を上げている。

 握りしめた剣から溢れ出る魔力量が、手の皮膚に火傷痕を残していた。

 俺だけではない、隣に並んでいるエリーシャも同様だ。


 だけど剣から手を離したら、押し返されてしまう。

 最後の抵抗か、胸を貫かれたベルソルが俺たちを、魔力よりも格段上の『神気』で弾き返そうとしている。


 衝撃が爆風が、容赦なく体を煽る。

 踏ん張るのもやっとだ。

 ベルソルの方は、剣から放たれる力で何度も何度も傷を負っては回復して、傷を負っては回復を繰り返していた。


 魔王よりも、竜王よりも、妖精王よりも古来から生きている最強の災害だけあって、しつこさもチートレベルだ。


 いい加減に、お願いだからさっさと倒されてくれと祈るしかなかった。

 だが、次の瞬間———



 エリーシャの『王虎』がパキンと上下真っ二つに折れてしまった。


「えっ」


 動揺の声を発したのは、持ち主のエリーシャだった。

 それもそうだ、何度も体を削られたはずのベルソルが、胸に突き刺さった剣身を両手で掴んで折ってしまったからだ。


 あとほんの少しだったのに、俺とエリーシャが全身全霊を込めて注ぎ込んだ魔力が、折れた剣の断面から溢れ、四散してしまった。

 なにもかもがスローモーションに見える。


「———!」


 驚愕で固まるエリーシャめがけて、拳を振り下ろすベルソルが見え、反射的に彼女を庇うようにして体を広げた。

 太陽の熱量を纏った拳が腹に叩き込まれる。


 あ———死んだ。






 この世界でも思い出が、知らない記憶が、走馬灯のように目の前をよぎる。

 そして、たった一瞬だけの間、体が黒い炎に包まれ、地形を変えるほどの威力を持ったベルソルの攻撃を防いでみせた。


(この気配は……なぜ野郎にも俺と同じ『神気』を……どういうことだ)


 役目を終えた黒い炎が体から消滅すると、今度は体内から黒魔力の躍動を感じた。

 ようやく戻ってきた黒魔力、この絶好の機会を無駄にはしない。


 懐にしまっていた黒魔術の魔導書を取り出し、最初のページを開く。

漆黒槍ヘル・ファウスト

 この世界に転生して、初めて使った黒魔術。

 禍々しい形状の槍を生成し、放出する。

 しかし、当然のようにベルソルに槍を弾き落とされてしまう。


「こんな豆鉄砲、いくらでも防げるつってんだろ。傷もこの通り——」


 ベルソルは黒魔術を弾いた右手が治っていく様子を見せつけてきたが、即座に二発目を顔面に叩き込む。

 吐血しながら後退りするベルソルに、さらに三発目を穿つ。


「がはっ!」


 倒れない、倒れないのなら繰り返すだけだ、何度も何度も!


(コイツ……あの戦いでとうに魔力も黒魔力も使い切ったはずだ! あり得ねぇ!?)


 反撃をしようと斧を握りしめるベルソルの右腕に一斉に三発連射する。

 腕に風穴が空き、斧を落とす。


(人間のはず、神でも魔力器は一つまで決まっているんだぞ? なのに攻撃が止まらない……一撃受けるたびに気を失っちまいそうだ……!)


 五十発を超えたところで力み過ぎたことで体のあらゆる傷口が開いて流血してしまうが、それでも治癒をし続けるベルソルが倒れない限り【漆黒槍ヘルファウスト】の連射を止めたりしない。


 百発、二百発、魔力器が許す限り、漆黒の槍を何本も生成しては穿ち、生成しては穿つ。

 一心不乱に、無造作に。


(圧倒的すぎる……この短時間……戦いの中で俺を遥かに超えて―――)


 千発目、眼前にあったはずの岩山が消え、地形が変わっていた。


 三千発目、眼前の岩盤が溶岩のように真っ赤に染まっていた。


 五千発目、粉塵が視界を埋め尽くすが、鉄の装甲よりも強靭なベルソルの身体に休む間もなく致命傷を与え続けているという手応えがあった。

 上位種の魔物をたった一撃で屠る、黒魔術が雨のように降り注いでいる。


 もうすでにベルソルは治癒する力を使い果たし、意識を手放しているだろう。

 だが、とうに限界に達していた俺に、攻撃を止めるという発想はなかった。


「ハァアアアアア!!」


 喉がはち切れるほどの、雄叫びを上げる。

 白目を剥き、全身の骨を粉砕され、魂を失った抜け殻ように崩れ落ちようとするベルソルに最後の、渾身の一撃を叩き込んだ。


 一万発―――—【冥王プルトーネ大千万漆黒槍ヘルファウスト






 ―――一人も犠牲にならねぇ、そんな英雄に俺はなりたかったんだよ、ラーフ




 現実なのか夢なのか、そんな曖昧な世界で孤独にすすり泣く子供の姿があった。

 助けを求めているかのようにこちらを見つめている。


 だけど、あまりにも遠く暗く、手を必死に伸ばそうと届かない。

 力を使い果たした俺じゃ、いま救うことができない。

 眠るように倒れるしかなかった。








「セトアリマの魔力器は、私の黒魔術を最大限に発揮する」


 どや顔を浮かべる少女クロの言葉に、ロベリアは諦めたように椅子に座り直した。

 そして長い沈黙の末、ロベリアは言った。


「どうやら、俺の負けのようだな」




 瀬戸有馬は、古の巨人ベルソルに勝利したのだ。


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