第115話 かつての記憶の断片


「勝った! 勝った! アルスが勝った!!」


 選手の控室でジェシカが嬉しそうにピョンピョン跳ねていた。


 人族の子が、魔王軍の幹部格にタイマンで勝ったなんて異例中の異例だ。


 この事が外部に漏れたら、人族側の政府が黙っていない。魔王軍に対抗するための兵隊にされる可能性もあるだろう。


「うるさい……頭に響くだろうが……」


 担架の上でアルスが気持ち悪そうな顔で言った。

 全身の骨がやられて、脳天に強烈なかかと落としを食らったのだ。

 気持ち悪い程度で済んでいるのが奇跡なぐらいだ。


 貴重な万能薬を持ってきた俺は、ゆっくりアルスに飲ませる。


「うへぇー、死ぬかと思った。ありがと師匠……ッ! 痛てててッ!!」


 アルスは侵食された方の腕を抑えながら痛がっていた。


「戦いの傷が完治したとしても制御ギリギリで使った黒魔力の代償は絶大だ。強引にその力を引き出そうとすれば、寿命も吸い取られかねない」


 てっきりそれでアルスが黒魔力の使用を止めてくれると期待したのだが、リスクを恐れるどころか「次はもっと上手く使いこなす……」と小声で呟いていた。


 アルスの体内に黒魔力が宿ってしまったのは俺の責任なんだ。


 彼が寿命を削ると同等の禁忌を犯したのも、俺が魔王軍に連れていかれないようにするためなのだ。


「よくやったアルス。流石は俺の弟子だ」


 担架の上で横になっているアルスの頭を撫でる。


「お、おう……」


 アルスは照れ臭そうに返事をした。





 控室の外で待機していたボロスと目が合う。

 なんか部屋から出ると、いつも待っているような気がする男だ。


「運が良かったです」


「ああ、まったくだ」


 先ほどの試合でアルスが勝てたのもホドが覚醒する一歩手前だったからだ。


 試合が始まる直前にボロスにアドバイスを貰っていたアルスはわざとホドに舐められるように攻撃を受け続けて油断をしたところで倒したのだ。


 魔王軍の幹部が最初から本気を出していたら勝機はなかっただろう。


「もしかしてお前、知っていたのか。アルスが黒魔力を使おうとしていたことを……」


 それがどれだけ危険なのかを黒魔術の魔導書に閉じ込められていたボロスが知らないはずがなかった。


「知っていたら阻止しましたよ。まさか打撃の威力を黒魔力で上乗せするとは普通は思いませんよ」


 それが嘘なら死滅槍の刑だが、生憎とボロスは嘘が下手な奴だ。


 部屋にある貴重な材料や資料を悪気もなく燃やしたとか抜かす大馬鹿者だ。


「そうか……なら、お前に新たな任務だ」


 ボロスは「はて?」と首を傾げる。


「次、またアルスが黒魔力を使うようなことがあれば止めてやってくれ。これ以上は、命を削るような真似はして欲しくない」


 英傑の騎士団エリオットの入れ替え能力のせいとは言え、侵食の原因は俺の方にもある。


 アルスが黒魔力を連続で使用してしまったら、あっという間に寿命が尽きてしまうだろう。

 考えただけでもゾッとする。


 ボロスはというと快く承諾してくれた。


「人一倍、好奇心謳歌な子なので我々の目を盗んで使おうとする可能性もありますし常々、目を光らせておきますね」


 そう言い、影に紛れ込むようにボロスが姿を消した。多分、観客席に戻ったのだろう。


 俺もさっさと戻るとしよう。

 観客席への階段を上がりながら、会場の外を眺める。


 そして偶然、外で一人佇んでいる少女と目が合ってしまう。

 いや、偶然ではなかった。


 泣く子も黙る、ロベリアの眼光に一瞬たりとも怖がるどころか、少女は恨みがましい視線をこちらに向けていたのだ。


 ふと、あることに気がつく。

 少女の両眼の色が異なっていたのだ。

 右側が赤、左側が金、いわゆるオッドアイである。


「……」


 徐々に身体の気分が悪くなっていることに気がつく。寒気を感じ、大量の汗をかいている。


(誰なんだ……いや……あの子は……)


 妖精王国での戦いで、記憶が吹き飛んだときに感じた違和感にも似ている。

 意識が乗っ取られそうになる感覚だ。


 すると————




『人に幸せを見せることで活力を与える、奇跡の種族。だが、貴様だけは異分子のようだな。人に悪夢を見せることしかできない………』


『うぅ……』


『まあいい。貴重な種族を確保したことが何よりの成果だ。ここに住まうことを許可しよう。その対価として貴様を調べさせろ』


『う、うん』



 ————脳裏に覚えのない記憶が一瞬だけ、鮮明と流れた。



 耐えきれず頭をかかえ、壁に叩きつける。

 すると壁の表面に亀裂が大きく走り、派手に崩れた。


 目元から、水滴が溢れていた。

 泣いていないのに、勝手に溢れている。



『リリー!』


 聞き覚えのない名前を口にしたような気がした。

 窓から身を乗り出し、ふたたび外へと視線を戻す。

 しかし、そこに少女の姿はもうなかった。


 何だったんだ、今のは一体————



 違和感を抱きつつ湧き上がる会場に気がつき、重い足取りのまま観客席を目指した。

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