第107話 ロベリア争奪戦 下


 ロベリア・クロウリーという人物に惹かれるようになったのは最近のことだ。

 誰からも畏怖された悪人が心を入れ替えて居場所を失い、絶望した人々達に手を差し伸べているのだ。


 アズベル大陸では、まだ公になっていない情報だ。

 それでも確かめる価値があった。


 ちょうどシャルロッテを雇っていた国がリグレル王国の機密情報を他国に売っていたことが判明して、衰退した。

 守ってくれる王国を失ったのでは滅びは免れない。


 働き口を失った暗殺組織は、自然に解散という形になった。

 つまりは首輪を繋げられることなく何処にでも行っていいのだ。


 世界は広い、好きに生きろ。

 仕事仲間はそう言って、彼女の前から去っていった。


 そして、シャルロッテが選んだ道。

 それはロベリアに会うことだった。


 この男なら消えぬ血の臭いを消してくれる。

 何故か、そう思った。

 その為にも彼の気を引かなければならない。


 理想郷までの旅路は『女』を磨くことに大半を費やした。

 町で女性たちの立ち振る舞いを参考したり、本を読んだり。

 シャルロッテは出来る限りのことをやった。


 幼少期から悩まされていた呪いから解放されるなら、喜んですべてを捧げる覚悟が彼女にあった。


 理想郷に到着した初めの日。

 ロベリアにはすでに婚約者がいることを知り、モヤモヤした。


 女がいる、それだけで胸の奥が締め付けられた。

 邪魔なら殺せばいい、という単調な考えではかえってロベリアの怒りに触れてしまう。


 それに暗殺は仕事だけと決めている。

 ならば自分の方が相応しいと証明すれば、婚約者も諦めてくれるはずだ――――





「――――分かっていますよ! そんなことはイチイチ! 言わなくたって私は足手まといですよ! はい、馬鹿です! 悪い子です!」


 エリーシャは諦めなかった。

 自虐するような発言をしても尚、その目は死んでいなかった。

 

「料理もロベリアのように上手に作れないからジェシカちゃんには駄々こねられるし、剣の稽古になると手加減ができなくなっちゃうからアルスに文句を言われるし、たまに夜更かしをするロベリアを叱っちゃうことがあるから、何を言われも確かに反論できないけど、うん! そう! 私じゃ満足させることはできませんよッ!」


 鍔迫り合いから、打ち合いになる。

 泣きそうな顔の女に押されそうになりながら持ちこたえるが、変則的な動きのせいで先読みができない。


 そして遂に、短剣の片方が叩き落とされる。


「っ!」


 それでもエリーシャの猛攻は止まらない。

 動きが鈍るどころか、段々と隙を的確に狙ってくるほど正確になってきていた。


「それでも私は、諦めません! 満足できないのなら、満足させるまで頑張りますので舐めないでくださいっ! これでも、まだ十代なのでロベリアをメロメロにさせる大人の女性に成長してみせますよ!」

「なにをッ……」

「今じゃなくても、いつか証明するからッ! 私のロベリアを返せぇええええええッ!!」


 エリーシャは慟哭を上げ、渾身の力を込めた剣技を放った。


神威かむい』。

 脳天にめがけて打ち込まれる。

 目で追えない速度ではなかったため、シャルロッテは難なく受け流そうと構えた。


 しかし次の瞬間、斬撃は上からではなく、下からやってきたのだ。


(この娘……一体何を!?)


 それを分析するより先に、もう片方の短剣が弾き飛ばされた。

 ガランガラン、と道場の端で短剣の転がる音。

 そして首筋に突き付けられた木剣、無意識に上げた両手が降伏の合図だった。


「……はぁ……はぁ……負けません」


 瞳には、消えぬ光が宿っていた。

 その視線に見つめられれば思わず背けたくなるほど眩い光が。


「たとえ重荷でも、迷惑でも構わない。この想いに嘘はつけませんから。私はロベリアが大好きだ。誰よりも愛しています……!」


 これからも、ずっと傍にいたい。

 誰かに言い渡された命令でも、造られた感情でもない。

 これは、彼女の願いなのだ。


 人を愛することが、こうも人を強くするのか。

 シャルロッテは理解の範疇を超えた光景を前に、打ちひしがれていた。


 自分の方が強いはず。

 自分の方が殺しているはず。

 なのに、負けた。


(あれ……私、なんで)


 胸がズキっと痛んだ。

 腕を当ててみるが傷はない。

 感情だ、シャルロッテはショックを受けていた。


 涙さえ出ていた。

 負けたことがそんなにも悔しかったのか。


(違う……これは)


「……あ、な、泣かせるつもりはなかったですよ!? ご、ごめんなさいッ!」

「謝ることはありませんよ。勝ったのはアナタ、負けたのは私です」


 悔しさも、憤りもない。

 まるで自分の敗北なんて無かったように、平然と喋るシャルロッテの変わりようにエリーシャは唇を震えさせた。


「今日のところは諦めます。でも、次はないので覚悟してくださいね」


 シャルロッテは叩き落された短剣を二本拾い上げると、どこか惜しそうな瞳でロベリアを見つめた。


「――――次こそ」


 意味深にそう言い残し、シャルロッテは道場から出て行った。

 取り残されたロベリアとエリーシャの間に若干、気まずい雰囲気が流れる。

 エリーシャは自分の先ほどの台詞を思い出し、両頬を赤らめた。


「わっ……………わた、わた」


 できるだけロベリアの前では女の子っぽくしていたエリーシャだったが、戦いで歩くなったせいか本性を曝けだしてしまったのだ。

 恥ずかしくもなるだろう。


「あ、あれはね………全部、本当のことだからね?」


 素直な彼女は、恋にも素直な女の子だ。

 ツンデレのツンもない、好きを真っ直ぐに言える娘だ。


「……そうか」


 戦いの行く末を見届けていたロベリアは、小さく微笑むだった。





 ―――――





 長い、長い回想が終わった。

 ずっと口をつけずに放置していたお茶は、すっかり冷めているだろう。


 熱く語っていたシャルロッテは、不機嫌そうに何かを言っていたが愚痴だったので無視することにする。


 思い返せば、あれからシャルロッテはよくエリーシャに何かを挑んでは完敗していた。


 ほとんどが女子力対決だった。

 まあシャルロッテが勝ったところで彼女の物になる気は微塵もないがな。


 俺の心は、エリーシャの物だ。

 それは何百、何千、数億年先でも変わらない。


「それで、やはり手伝わないのか?」

「ええ、手伝いませんよ。むしろ失敗すればいいとも思っていますので存分にやらかしてくださいね。きっとエリーシャさんも、あなたに失望するはずです」

「ふっ、それは無いな」


 嘲笑うように、否定した。


 確かに結婚式は女性にとって人生で最大のイベントだ。

 だけど、それが失敗した程度でエリーシャが失望するはずがない。


 それで失望するぐらいなら初めから好きになるような子ではないことを知っている。


 いつか正式に彼女エリーシャと結ばれる日を待ちわびながら、手作りの指輪を二つ、ぎゅっと握りしめるのだった。

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