第106話 ロベリア争奪戦 中


 奪われたロベリアを取り戻すため、シャルロッテの逃走した方向へと疾走するエリーシャの右手には鍛錬に使う木剣が握られていた。


 あの女の端麗な見た目に惑わされてはならない。

 死地を経験したことのあるエリーシャだからこそ、シャルロッテに秘められた狂気を感じとることが出来たのだ。


 血の臭いがした。

 あの女は、数千人もの命を刈り取ってきた死神だ。


 あの底のない真っ暗な瞳を前にして、一歩も動くことができなかった。

 ロベリアの伴侶として生涯を捧げたいと誓ったエリーシャには情けのない醜態だった。


 彼に相応しい女性でありたいのに、シャルロッテはまるで全てを見透かしたような口ぶりで否定してきたのだ。


 違う、そうではないと言いたいのに、どこか認めてしまっていることにエリーシャは下唇を噛んだ。


 精霊教団と、エリオットのあの事件で何もできなかった。

 目の前で人々が惨殺されていっているのに、全員を助けることができなかった。


 ロベリアが救おうとした人々が殺されていくのを、ただ見ることしか出来なかったのだ。

 あまつさえ囚われの身になる始末。


 才能が、何だというのだ。

 実戦で役に立たなければ、これっぽちの価値もない。


 宝の持ち腐れどころの話ではなかった。

 自分は、ラインハルや英傑の騎士団に守られていたあの頃から、一歩も前進できていない。


 戦争や様ざまな理由で故郷を失った難民たちの在り処を作ることが、ロベリアの掲げる目標だ。

 実現させるためには、力を持った者達が彼を支えなければならない。


 私も誰かのために、なによりロベリアの為に役に立ちたいと心の底から思った。

 彼を、愛してしまったからだ。


 本当の自分を教えてくれた、不器用なあの魔術師の側にずっと居たい。

 生まれて初めて芽生えた真実の『愛』をようやく見つけることができたのだ。


 それはラインハルに抱いた、信頼よりも遥かに大きな想いだった。


『好きにしろ』


 満身創痍になったロベリアの口から告げられた言葉が、どれだけ私に自信を与えたのか。

 向かう先が茨の道でも、我が身を削ってでも傍にいたい。


 期待に応えたい。

 愛したい。

 愛されたい。


 だけど本当に、彼の隣にいるべきなのか?

 不安になった。


 だって、他にも大勢、相応しい人がいるから。

 自分以上に、役に立っている人がいるから。


 足が竦んだ。

 シャルロッテの言う通りだ。


 如何に剣の才能が優秀であろうと、何千人もの命を背負った、偉大な魔術師を満足させることが、私にはできない。

 ただの小娘なのだ。


 これからも、強大な敵が現れるだろう。

 英傑の騎士団や、精霊教団よりも大きな力を持った存在がいずれ。


 私を狙っている、あの組織だって絶好の機会を伺って、何処かに潜んでいるかもしれない。


 ———十二強将ともぶつかるかもしれない。


 私たちの物差しでは、到底測ることのできない世界最強の十二人のいずれと対峙することがあれば、足手まといになるのは確実。


 だけどロベリアなら、そんな強敵を前にしても互角に戦えるだろう。

 彼もその十二人の一人なのだから、当然だ。


 その強さに、甘えている自分がいた。

 ラインハルや英傑の騎士団の仲間たちの後ろに隠れていた頃と変わらない。


 ちっぽけな小娘のままだ。




「あら、もう到着したのですね。もう少しかかるかと思っていたので、ウォーミングアップをしていました」


 朝起きたら、必ず足を運ぶ道場に辿り着いたエリーシャの目の前に、短剣を二つ握りしめたシャルロッテが待ち受けていた。


 そのすぐ傍で、ロベリアが正座している。

 何を考えているのかも分からない顔で、ただ無言でエリーシャを見守っていた。


「ロベリアを……返してください」


 木剣の柄を握りしめる。

 できるなら彼女と剣を交えたくないとエリーシャは思っていたが、本気でロベリアを自分の物にすると言うのなら手加減はできない。


 それを見たシャルロッテは不敵な笑みを浮かべた。


「小動物のくせに、強者に対して威嚇ですか。躾のなっていない子ですね」


 エリーシャは身震いした。

 闘争がシャルロッテの放った殺意によって相殺されたのだ。


 それを全身で浴びたエリーシャの脳裏に、残酷に殺されるビジョンが百通りも流れた。


 実際に、殺されたわけではないのに、あまりの生々しさで涙を流してしまう。

 それでも何とか嘔吐を堪えたエリーシャは、木剣を握りしめる力を緩めなかった。


「………理解できません。自分が殺されるかもしれない状況を前にしているのに何故、アナタは逃げようとはしないんですか?」


 突然の質問に、エリーシャはきょとんとした。

 舐め切った態度で、口ぶりの彼女を恨ましく思いながら、エリーシャは考える。


 それは、だって……。


 簡単に、答えを導きだすことができなかった。


「さっきも言ったじゃないですか。アナタではロベリアさんを満足させることは――――」


 カン! と乾いた音が道場に響く。

 エリーシャは目にも留まらぬ速さで、シャルロッテとの間合いを詰めていたのだ。


 そして木剣を打ち込むが、惜しくも短剣で受け止められてしまう。

 鍔迫り合いが始まった。


 だが、やはり剣一本では押し返されてしまう。


「不意打ちで、話を遮って……そんなに現実を受け止められないのですか? 私の言っていることが正しいから、それを認めたくないから、汚い手を使ってでも黙らせようとしているのですか!?」


 話している最中に攻撃をしかけてきたことに対しての怒りは勿論だが、なによりもシャルロッテは現実を受け止めようとはせず無様に足掻こうとするエリーシャに怒りを覚えずにはいられなかった。


 幼いころから、国の利益になるため『暗殺者』として働いていたシャルロッテは、どんなターゲットであろうと私情を持ち込んではならないという教育を受けていた。


 女子供を殺すなど日常茶飯事だ。

 上層部は殺した分の報酬を必ず払うため生活は安泰していた。


 それでも、返り血を浴びた身体から放たれる鉄の臭いが消えることはなかった。

 皮膚が剥けるほどまで洗おうと、色が落ちようと、血の臭いは残ったまま。


 周りにいる人間は、そのような臭いなど全然しないと言ってくれていたが、信じられなかった。


 ある日、シャルロッテは仕事仲間に同じ質問した。


『無意識に芽生えた罪悪感だ。どんな屑野郎が相手ターゲットだろうと、生きていた人間を殺すのは居心地の良いものじゃねぇよ』


 私情は捨てろ、殺せ。

 そう教えられ育ってきたシャルロッテには理解のしがたい返答だった。


 殺してきた人間に同情なんかしてきたことがない、したことがないはずなのに―――――

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