第105話 ロベリア争奪戦 上



 結婚式のことは、まだエリーシャには話していない。

 プロポーズはもう済ませているが肝心の開催日はまだ決まっていない。

 裏で動いてくれているボロスが竜式の結婚式を提案してきたが、新郎新婦を危険な迷宮へと置き去りにして無事一週間生き残って帰ってくれれば結婚成立らしい。

 そんな血の気が多い儀式で夫婦になりたくないので却下してやった。


 ならば『戦場の女神』シャルロッテに相談してみることにしよう。

 こういうロマンチックなイベントを主催するなら、同じ人族の女性に聞くのが一番だ。

 脳筋ばかりの理想郷の中でも、彼女は誰よりも女性らしいので相談役には打ってつけだろう。


「は? お断りしますけど」


 昼休憩。

 町で紅茶を飲み、優雅に過ごしていたシャルロッテに放たれたのは実に冷たい返答だった。


「何故だ」


「まさか、私にした事をお忘れなのですか?」


 キッと、鋭い眼光を向けられる。

 シャルロッテが怒るようなことをしたっけ。


「嘘………本当に忘れたのですか? 恋する乙女の想いを踏みにじっただけではなく、記憶からも抹消しただなんて! 薄情者! いっぺん死んでくださいッ!」


 テーブルが叩かれ、お茶がこぼれる。

 まるで飢えた狼のように唸るシャルロッテから離れようとしたが、逃がす気はないのか襟を掴まれてしまう。


「あれは一年前です! 苦汁を味わったあの日を私は決して忘れたりはしません!!」


 一年前……。

 そういえば理想郷にシャルロッテが住み始めた頃だったような。

 思いだせ俺、何があったのかを思い出すのだ。


「あっ」


 ロベリア争奪戦。






 ―――1年前―――







「―――単刀直入にお伝えします。ロベリアさんと別れてください」


 よく透き通る声で、銀髪美女のシャルロッテが告げた。

 その相手はロベリアの婚約者エリーシャである。


 まさかの修羅場に弟子のアルスとジェシカが息を飲んだ。

 理想郷に移住したばかりの女性が、なにを訳の分からないことを言っているのか。

 烏滸がましいぞ、と誰がどう見ても思うだろう。


 それでもシャルロッテは本気だ。

 首を少し傾け、薄く笑うその姿には勝てるという自信が満ち溢れていた。


「い、嫌です……」


 それでもエリーシャは引かなかった。

 心から愛した男を、簡単に手放せるほど彼女の想いは浅はかではないからだ。


 緊迫とした空気の中、まるで他人事のようにその光景を眺める一人の男がいた。

 眠そうにしているロベリアだ。


 徹夜で怪しげな研究をしていたからである。

 そのせいか頭がボーっとしており、イマイチ目の前で起きている状況を飲み込めていないようだった。


 恋する乙女の間に電流が迸るほどの睨み合い。

 朝の珈琲を嗜みながら、無心に観戦するのだった。


「ねぇアルス、あの美人なお姉さん誰なの?」


「ああ、俺もよくは知らねぇが、俺達と同じ境遇の人だよ。名前はシャルロッテさん。魔王軍と人族軍の衝突に巻き込まれたグラスコーっていう国から来たらしいんだ」


「あっ! 私たちの国のお隣さんじゃん!」


 その隣で「ほう」と声を漏らすロベリア。

 魔の大陸からやってくる魔王軍の侵攻を抑えるリグレル王国には幾千もの組織の内部情報が保管されている。


 その内部情報を同盟を結んでいたグラスコーは資金を得るために他国へ売っていた最低の国だ。


 因果応報か、それを知ったリグレル王国はグラスコー国を見放し、魔王軍から多大な被害を受けても一切支援をしなかったという。


「ああ、だからあんなに図々しいのね」


「せやな」


 たぶん民は関係ないと思うけど。

 図々しいのは事実なので誰も否定はしない。


「失礼な方ですね。急に別れろとか……そんなことは絶対にしませんから」


「付き合い始めて半年にもなる。なのに、まだ処女なのですね?」


「なっ!」


 顔が真っ赤になるエリーシャ。

 どうして、そのことを知っているのか。


 恥ずかしがり屋なエリーシャにとって難易度があまりにも高いため、結婚した時にと予定していたが、付き合い始めてからかなり時間が経つのにまだバージンであることを他人に知られているのはかなり恥ずかしい。


「あなたのような稚拙な子ではロベリアさんが満足するとは思えませんね。強い男性の御傍には気を遣う必要のない、好き勝手のできる女性が必要なのです」


「……そんなことは」


「ロベリアさんの求めることなら、私は何でも受け止めましょう。この唇も、頬も、身体もすべて。あなたには、それが出来るのでしょうか?」


 冗談では決してないシャルロッテの言葉が、棘のようにエリーシャの胸に突き刺さっていく。


 確かに、自分の不甲斐なさがロベリアを不満にさせているかもしれない。


 直接、口では言わないけどロベリアは私のことを―――



「それでも……それでも私はロベリアさんと一緒に居たいんです。たとえ、それが迷惑でもワガママでも構いません。この身が焦げようと、ずっと側で支えるつもりでいます」


「……口なら何度でも」


「絶対に、渡しませんから」


 一瞬の沈黙が訪れる。

 まるで、相手の出方を伺うように二人は慎重に待っていた。

 話の内容を理解していないロベリアは家の裏に組んである水場に行こうと歩きだした、その時だった。


「―――そんなに奪われたくないのであれば。いいでしょう、取り戻してみてくださいっ!」


 小さく呟きながらシャルロッテは足元に、何かを落とした。

 その拍子に周りを煙が充満する。

 煙玉だ。


 エリーシャは朝の鍛錬で持っていた木剣を振るい、煙をはらった。

 視界が次第に晴れていくと、エリーシャが目にしたのはロベリアをお姫様抱っこするシャルロッテの姿だった。


「ごほっ……ごへっ。ああ! ごほっ……師匠が誘拐された! ごへっ」


 アルスが咳き込みながら叫んだ。

 見ての通り、絵面的にそんな感じになっていた。


 どこの馬の骨とも分からない女に婚約者を攫われたエリーシャが心穏やかになんてなれるはずもなかった。




 こうして、理想郷でのロベリア争奪戦は幕を開けたのだ。








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