第94話 運命との決別、そして凶刃



「ここに残るって……急に何を言い出すのかと思ったら、変な冗談はよせよ……。俺は真剣なんだぞ、お前は此処にいるべきじゃない!」



 昔の自分だったら、何も考えずにラインハルの元へと駆け寄っていただろう。


 何も考えずに、感情を全部さらけだして、恥ずかしげもなく泣き喚いて、一緒に帰っていたのかもしれない。



「もう戦わなくても良いんだッ! その物騒な剣だってエリーシャには相応しくない! 戦って良いような子じゃない事は、誰よりも俺が知っているッ!」


「………っ」



 誰よりも知っている。

 違う、彼は何も知らないのだ。



「だから―――」


「もう……喋らないで」



 それは、明らかな嫌悪だった。

 低く発せられた声にラインハルはビクリと震えた。


 怒っていたのだ。

 あのエリーシャが。

 花のように純粋で可憐なあの少女が、ようやく再会を果たしたはずの青年に対してだ。



「おい……どうしちまったんだよ。何なんだよ、その目。こんなのエリーシャじゃない……一体何をされたんだよ!?」



 ラインハルの怒りの矛先は、ロベリアへと向けられた。


 悪いことが起きれば、いつだってあの男が絡んでいる。

 彼女が、戦場のド真ん中で剣を握りしめて戦っているのも、きっとあの男のせいだ。



「………何もされていない」



 ラインハルが心配しているようなことは、何も起きていない。

 初めは、エリーシャも不安に思っていた。


 あのロベリアと、この大陸で二人っきりになってしまった。

 守ってくれる人が側に居なくて、酷いことをされるのではないかと思っていた。


 だけど、そうはならなかった。

 彼は、まるで別人のように、優しくしてくれたのだ。



「ロベリアは、あなたが思っているような悪い人じゃないの。私がこうして生きているのは彼が居たから、じゃなきゃ、もうとっくに死んでいたのよ!」


「でも、それは……お前を利用するためで」


「危険な目に遭っても、必ず駆けつけてくれた! お腹が空いて、寒かった時も温かいスープを作ってくれた! ずっとそばに居てくれたのもロベリアだけだった!」


「………っ、そんなはずが……アイツが人を助けるはずがあってたまるかッ!」

 


 ラインハルの口から出たのは、またしても否定だ。



「ねぇ、ラインハル。私にね、英傑の騎士団以外にもたくさんの仲間ができたんだ。ヤエ、ジェシカちゃん、アルスくん、ユーマさん、シャルロッテさん、ゴエディア、シャレム。みんなと出会うことができたのは、紛れもなくロベリアのおかげなんだよ。だからお願いラインハル―――」



 ここで、もう終わりにしよう。

 あの祠から連れ出したことにも、広い世界を見せてくれたことにも感謝している。


 だけど、見つけることができたのだ。

 居場所と呼べる場所を、心から愛せる人を。



「私のことは忘れて。私には、もう帰るべき場所があるの……」



 その言葉に迷いはない、真っ直ぐなものだった。


 信じ難い現実を目の当たりにしているかのように、ラインハルは大量の汗をかいていた。

 前髪が額にべっとりと付着するほど、ぽたぽたと零していた。


 そしてエリーシャは、トドメと言わんばかりに告げた。



「私は、エリーシャ・クロウリーとして生きます。それを邪魔するのが例え、かつての旧友だとしても容赦はしませんからッ!」


「っ……そんな……そんな、そんな、そんなそんなそんなそんな……」



 あの、エリーシャが、ロベリアと?

 何年も何年も、ずっといた、あのエリーシャが?


 いつも自分にくっ付いて離れなかった、あの健気な女の子が誰かと―――



 ショックのあまりに、ラインハルは膝をついた。

 過呼吸かと思わせるほどの荒々しい息に、蒼白になった顔面。

 極寒の地にいるかのように、小刻みに震える身体。


 すぐにでも立ち上がろうとするが、足に力が上手くはいらないのか、ふたたび地面に膝をついてしまう。


 誰がどう見ても、滑稽な場面。

 聖剣を杖かわりにして、ようやく立つことが出来たのだが、表情は歪んだままだった。



「………うそだ、うそだ、はははッ、だよな! そうに決まっている! 俺のエリーシャが、あの男を…………あるわけがッ……ははははは!!」



 すぐ後ろで、空気を読んで大人しく傍観していたオレンべリアでさえも、ラインハルの壊れっぷりに引いていた。


 もう、この勇者の運命に縛られることはない。

 自分が正しいと思った道を選択することができたエリーシャは、とても清々しい表情をしていた。



「さようならです――――ラインハル」



 まるで他人に対する口調で別れを告げ、背を向けるエリーシャ。

 此処にやってきた理由を忘れてはならない。


 目的は理想郷と妖精王国の国交、協力関係にすること。

 ラインハルが目も向けなかった理想郷を、豊かな土地にするためだ。


 だから、これからも戦い続けるつもりだ。

 この男が否定した、親友の作ったこの剣で。





「――――行かせるかぁあああああああああッ!!!!」



 戦場に響く、魂の叫び。

 叫び声がだんだんと近づいているのに気が付き、とっさにエリーシャは振り返った。


 その目に映ったのは、もはや理性を失った怪物のように走ってくるラインハル。


 エリーシャは剣を構えた。

 斬り捨てるべきか、峰打ちで気絶させるか迷っていると、



「!」



 エリーシャの脇腹を何かがえぐった。

 オレンべリアの攻撃魔術だ。

 壁になったラインハルのせいで見えなかったのだ。


 右によろけ剣を落としてしまう。

 それに気付いていないのかラインハルの勢いは止まらない。


 痛みで、体が動かない。

 このままでは捕まってしまう。

 それだけは避けたいのに、体が言うことを聞かない。

 もう終わりだ、そう思った瞬間―――




「うぉぉおおおおおおッ!!」



 目の前に、巨漢が飛び出してきた。

 ラインハルの顔面に、魔力の込められた拳が叩きつけられた。

 鈍い音とともに、目も瞑りたくなる程の衝撃が発生する。



「………えりーしゃに、ふれるなあああ!!!」



 鬼の形相でゴエディアは雄たけびを上げた。

 あの温厚なゴエディアが、あんなに激情するとは。


 さらに、衝撃波が発生する。

 地面に横たわるラインハルを殴ったのだ。

 何度も、両拳で、全力で、殴りまくっていた。


 耐えきれず、大地にヒビが入った。



「………邪魔だ、このデカブツが!」



 眩い光がゴエディアを包み込み、吹き飛ばした。

 近くの塔に叩きつけられた。

 それでもゴエディアの猛進は止まらない。


 迎え撃つように、満身創痍の体でラインハルは構えた。

 ゴエディアの振り下ろされた拳が、聖剣によって受け止められる。

 そのままカウンターが放たれる。


 肩に深い傷を負ってしまうが、自慢の防御力のおかげでゴエディアは倒れずにすんでいた。



「があああああああッ!」



 地面を抉るほどの突進に、またもや吹き飛ばされるラインハル。

 だが、大したダメージはなかった。

 剣の握り方を変え、勇ましき加護を解放。


 巨大な黄金の刃が、ゴエディアに襲い掛かった。



「はぁ……はぁ……」



 土煙の中から、まだ倒れないゴエディアの姿があった。

 それでも、戦いの続行が不可能なほどの傷を負ってしまった。


 力を使い果たしたのか、近づいてくるラインハルをただ睨みつけるしかなかった。



「……死ね、怪物が」



 突き出された聖剣の切っ先が、胸を貫いた。

 これでようやく邪魔者はいなくなった。

 致命傷である心臓部を貫けば、それで終わりだ。

 終わりなのだ。


 だというのに。

 それをやった張本人の顔には、安堵なんてものはなかった。



「がはっ……」



 勝った。

 のではなく、やってしまったのだ。



「ごほっ……がはっ」


「…………ああ」



 ラインハルの目から、次第に涙がこぼれ始める。


 だけど、もう遅かった。

 聖剣が致命傷を貫いてしまっては、もう手遅れなのだ。



「ああっ……ああああ」



 引き抜かれた聖剣には、ベットリと血が付いていた。

 震える手が、その重量にさえ耐えることが出来ず、聖剣を落としてしまう。


 乾いた音。

 咳き込む声。

 ラインハルの視界が、真っ赤に染まっていく。



 貫いてしまったのだ。

 最愛の人の心臓を。



 

 ―――――エリーシャの心臓を。











(なんだ、もう必要ないじゃないか。まあいい、あの娘の命はコイツにとってはなによりも大きい。十分、醜い声を上げてくれるはずだ)


 魔力障壁の前までたどり着いたロベリアは、強制的に自身の人格を断ち切った。

 よって彼ではない、有馬の人格がふたたび肉体に戻ってくる仕組みだ。

 けたたましい笑い声を最後に、有馬は目を覚ました。



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