第91話 黒魔術の本質

       


 妖精王国精霊樹にて。


 宝石のような青い石を大事そうに握りしめているオルクスの背後を恐る恐る近づく、怪しい人物がいた。

 シャレムである。


 悪巧みを考えている時のような顔で、自分の存在に気付かぬ馬鹿を嘲笑いながら、洗練された手つきで石を奪い取った。



「ほーん、こりゃ良い形をしておりますねぇ旦那。売っぱらったら相当な値になるはずだ」



 シャレムは奪った石を、持ち主のオルクスに見せびらかしながら一目散に逃げた。



「あの人族と一緒にいた魔族ッ! 返せ! さもないと打ち首にするぞ!」


「へへ、やだねーんだ、べろべろばぁ!」


「っ……魔族風情が八つ裂きにしてやるッ!」



 大事な物を奪われたことで激情したオルクスは、舌をつきだして小馬鹿にしながら逃げるシャレムを追う。


 まるで昆虫のような気持ちの悪い動きをするシャレムと、それに翻弄されるオルクス。


 二人の奇妙な逃走劇が幕を開けた。

 





 ――――


 




 ―――【黒鍵クレイス・シュヴァルツ



 蓋を閉じていたはずの醜い記憶を強制的に、見せる精神攻撃の黒魔術。

 思い出したくもない光景をまるで永遠と見せられているかのような感覚に、耐えきれずカルミラは嘔吐した。


「がへッ……おぇッ……」


 涙と鼻水、口から吐き出した液体を滴しながら、カルミラは何とか呼吸をしようと大きく息を吸った。


 まさか、あんなものを見せられるとは。

 精神に直接的なダメージを与える魔術など聞いたことがない、これが黒魔術の本領なのか。

 カルミラは畏怖した。



「おお、これは珍しい。まさか、あの術を受けて嘔吐程度で済むとは粘り強いな。通常なら廃人になってもおかしくはないんだぞ?」



 ロベリアはそう言って、拍手した。

 黒魔術とは悪い意味で、そこらの魔術師が使う普通の魔術の上位互換とも呼べる。

 精神に干渉するなど造作もないのだ。

 


「そう睨むな。なにも思い出したくない記憶ばかりではないだろう? 中にはきっと、将来のために役立つ思い出もあるはずさ」



 黒魔術の魔導書をわざわざ、自分の手でめくりながらロベリアはあるページに辿り着いた。

 破かれたページ、黒魔術において最も重要視された情報の記されていたページだ。



(黒魔術の力を最大まで引き出せなかったのはセトアリマ、貴様がなによりの原因だ。他人のために戦おうとするその意志が、黒魔術の本質を邪魔している)



「精々、足掻くといい子鬼」



 先程の黒魔術を受けてなおカルミラの戦意は健在だった。

 立場が逆転したことに苛立っているのだ。

 自分の方が上でありたいという底知れない野望が、刀にさらなる力を与える。

 一段階と強力になった炎に包まれた刀を構え直し、ロベリアと相対する。



「ミアの遺体は、私のモノだッ!!」



 そう叫び、視界から一瞬にして消えた。

 相変わらずの素早さにロベリアは感心しながらも、その眼はカルミラの動きを確かに追いかけていた。



【神炎、焔光】


 炎の範囲を広げた三連撃を、ロベリアは余裕で回避するのだった。



【神炎、竜息吹】


 遠距離から放つ炎の斬撃。

 避けるのを手間に思ったのかロベリアは正面から迎え撃つことにした。



幽冥剣ニガレオス・スパーダ


 禍々しく装飾された短剣が魔導書から出現する。

 それを手に取ったロベリアは、軽々と一振りをした。


 カルミラの斬撃など軽く断ち切られる。

 続いて地上、先にある山の頂をも切断してしまう。



「もっとだ、もっと俺を楽しませろッ!」



 十年も研磨した技が通用しないことに絶望したカルミラは身体を震わせる。

 刹那、刺々しい鎖に拘束される。



茨鎖スピーナチェーン


 くまなく全身を刺されながら身動きを取れなくなったカルミラを自分の鼻先まで引きずり込んだロベリアは、硬質化した拳を振り下ろした。

 

 だが、直前のところで間に割って入ってきた【魔の手】により威力が軽減してしまう。


 それでもカルミラを戦闘不能にするには十分な威力だった。

 黒魔力で肉体を強化したロベリアの打撃は、先程の【魂喰ソウルイーター】と同等の威力を持つ。



「―――ッ!」



 これほどまで流したことのない鮮血、死ぬかもしれない負傷。

 屈辱的な敗北に吼えることができず、カルミラはもう動けなくなっていた。



「……誰なんだ……お前は」



 雲に隠れてしまった月を探しだそうとしながら這いつくばるカルミラが、ゆっくりと近づいてくるロベリアに問いかけた。

 


「ほう、分かるのか?」


「私ではなくても気づくわバカ……どこから、どう見ても先程まで戦っていた奴とは、まったくの別人だ。一種の黒魔術なのか……?」


 あの時、カルミラが圧倒していたのは甘い瞳を持つ方だった。

 殺すなどと口走る、ただの未熟者だ。


 比べて、いま目の前にいる男はどうだ。

 正真正銘のロベリア・クロウリーと呼ばずして、何と呼ぶのか。



「さあな、この俺でも理解することのできない現象だ」


「なんだよ……それ」



 力を失い、今にでも死にそうな声だった。

 戦闘の続行によって黒魔力の侵食を促進させてしまったのだ。

 これに適応しなければ、彼女はもう長くはないだろう。



「って、もうどうしようもないことだな……潔く認めてやる、この戦いは私の負けだ」


「ふん、当然だ。貴様のような雑魚に負けては傲慢の魔術師の名が廃るからな」



 別に、瀬戸有馬の人格を助けるために身体に戻ってきたわけではない。

 自力で戻ることは、まず無理なのだ。

 しかし、魔導書の意思によって身体に戻ってくることができたのだ。

 命令は瀬戸有馬を死なせないこと。


 忌々しいが、この命令に従わなければ何をされるかは分かったものではない。



「最後に聞きたいが、お前の目的は精霊樹に保管されているミアの遺体なのか……?」


「いや、違うらしいな」


「そう……か」



 あの精霊樹にミアの遺体が保管されていることは知らない。

 有馬たちの目的はあくまでも妖精との国交であり、力を手にすることではない。



(セトアリマ、貴様が死のうと生きようと、俺にはどうでもいい事だ)



 カルミラの瞼が閉じ切ったのを見送り終えたロベリアは、改めて戦場を見渡した。

 まだ生きている兵士が数千人、戦いを見届けていた。

 まさかカルミラが敗北するとは思わず、誰もが恐怖で怯えていた。


 敵前逃亡する者もいた。

 それを愉快に思いながら、ロベリアは指を鳴らした。






 数秒後。

 その場にいた兵士がすべて、ある黒魔術によって皆殺しにされていた。


 散らばる肉片を踏みつけながらロベリアは活き活きとした表情で、妖精王国の方を目指した。

 これは絶好の機会なのだ。


 魔導書の命令は瀬戸有馬を死なせないことだけで、それ以外のことは口出しされていない。


 よって元の人格に戻るまで、好き放題に暴れることが出来るということだ。


 まず手始めに―――




 手始めに、瀬戸有馬の帰りを待ち望み、妖精王国を死に物狂いで守ろうとしている大切な仲間達を、エリーシャ、ゴエディア、シャレムの三人を殺そう。


 有馬に直接的な危害を加えられなくても、間接的にこの男を苦しめられる手段を見つけることができたロベリアは、堪えきれず嗤った。

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