第88話 勇者の敗北と、魔の手



 絶望的な目、震える肩、青白くなっていく顔。

 ラインハルは俺を見上げながら、怯えていた。


 掠れた声で「あ……ああ」としか言わないので戦意は完全に消失したのだろう。


 同情するよ、まさか最終奥義を簡単に受け止められるとは思わないもんな。


 アレを受けて倒れない奴はまずいなかった。

 ゲームをやり込んでいたのだから知っている。


 無理ゲー、クソゲーって喚き散らかしながらスマホを投げ出していたところだろう。


「ふむ。確かに、あの頃と比べれば急激に成長しているようだな。無駄がない洗練された太刀筋だ。だが―――」


 右腕に力を込め、聖剣を握る手を強める。

 微かだがパキッと聖剣の刃に亀裂が生じた。


 勇者の加護と共鳴することで力を発揮するのが聖剣だ。


 だが勇者の加護が衰えば聖剣の力も同様に弱まる。


 先程のラインハルの奥義は消費が激しい。

なのでもう聖剣には、さほど力は残っていない。


 少し強めに握れば、そこらの鉄塊と変わらないナマクラだ。


「それが通じるのは、対象が条件に当てはまった時だけだ」


聖黄昏グラントワイライト】は聖剣が世界の『脅威』と見なした者だけしか断罪することができない。


 つまりは聖剣は俺を『脅威』だと見なさなかったというわけだ。


「……条件通りのはずだ……だってお前は……」


「聖剣が判断したことだ、そこに例外規定はない。認めるしかないんだよラインハル」


 もうラインハルには勝つという決定打はない。

 それを理解したのか吐きそうな顔になっていた。


 先程までの威勢をは何処へ行ったのやら。

 まあいい、そろそろトドメを刺すとしよう。


 黒魔術の魔導書を開き、詠唱する。

 エリーシャに会わせるわけにはいかないし、コイツを殺したという証拠を残さない為にはこの魔術が打ってつけだろう。



「―――跋扈せし虚構の獣どもよ。血肉に飢えし汝らに貢物をやろう」


 ラインハルの後ろに、門を出現させる。


 必要分の黒魔力を注ぎ、それに反応して門は耳障りな音を立てながらゆっくりと開いていく。


「ぐっ、あああああああああ!!!」


 門の中から伸びた鎖がラインハルの手足を縛り付け、強い力で引きずり込もうとしていた。


 ラインハルこれで終わりだ。

 彼を救える者は、もう誰一人としていない。





 ―――【神炎、却火天衝】


 ラインハルを縛り付けていた鎖が、誰かによって焼き斬られた。


(虚構獄門の鎖が切断された……?)


 最終形態のボロスさえ身動きできなかった鎖だぞ!

 とにかく魔力の消費を抑えるため魔術を中断する。


 横槍のおかげで命拾いしたラインハルのすぐ前に、立ち塞がるようにして炎に包まれた刀を構える女性がいた。

 黒いマントが揺れており、かなりキマッている。


「一騎討ちの最中に申し訳ないが、まだコイツを失うわけにはいかないのでな、邪魔をさせてもらったよ」


 なんだ、この女。

 凄まじい迫力だ。

 妖精王アレンと対面した時の感覚と一緒だ、もしやコイツも……


「退け、殺すぞ」


「はっ、断る。そんなに勇者を殺したいのなら、まずは私に勝ってからにしろ傲慢の―――」


 ラインハルのいる背後へと瞬時に回り込み致命傷の腹、胸、喉を貫く。

 断末魔も漏らせず、苦しみもがくラインハルを蹴り飛ばす。


 修行をした割には雑魚すぎる、興醒めだな。


「チッ……人の話は最後まで聞けっての。まあ、敵前でお話とか筋違いなのは私の方なんだけど」


 てっきりラインハルを守るかと思ったが、女はめんどくさそうに頭の後ろを掻いているだけだった。

 手を出さないのなら、こちらとしては好都合だが。


「はい、そこでストップ」


 涙、鼻水、涎、しょんべん、血、穴という穴から体液を流しているラインハルにトドメを刺そうとした瞬間、何もない空間から人の手が出現した。


 皮膚が爛れており、異様な臭いを放っていた。

 まるでゾンビのような手と、形容するのが妥当だろう。


 今にでも崩れそうな細々しい腕で、何倍も大きい斧を持っていたのだ。


「ははっ、驚くのも無理もない。悪魔種デーモンの世界に通ずるあな穿け、そこからコイツらを呼び出したからな。こいつらの名は【魔の手】。シンプルだが、ピッタリだろ?」


 振り下ろされた斧の刃に深く、腕を斬り裂かれてしまう。


 バックステップで距離を取りながら自作の回復薬を飲む。


 ヤエの装備の防御効果を上回る攻撃力とは、大した奴だ。

 やっぱり見覚えしかないぞ、この女。


 帝国の鬼人と呼ばれた女軍人カルミラ・フェリーチェ。


 銀針の十二強将の最下位に座しているが、四刻から十二刻まで差があまりないため油断の出来ない強敵だ。


 この広い世界で、まさか妖精王だけではなくもう一人と遭遇してしまうとは運が良いのか悪いのか分からなくなってきた。


 だけど、今度こそは手抜きナシの命のやり取り。


 最強の一人との殺し合いだ。



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