第87話 絶望
勇者ラインハルにとって地獄のような日々だった。
何もかもが狂い始めたのは、エリーシャが行方不明になったあの日からだ。
決闘という名の制裁でロベリアの言い分も聞かず、あまつさえ聖剣で致命傷を与えるにまで至った。
もしもクラウディアやジークの仲裁が無ければラインハルはロベリアを殺していただろう。
それを観戦していた英傑の騎士団員の一部にはラインハルの行動を擁護する者もいたが、それ以上に異義を唱える者のほうが圧倒的に多かった。
確かに今までロベリアのやってきた悪行を考えれば疑われるのも無理もない。
しかし証拠不十分での制裁は正しいと言えるものではなかった。
たった一つのミス。
たった一度のミス。
擁護する仲間達、批難する仲間達の衝突で英傑の騎士団は崩壊した。
ギルドは解散となり、多くの仲間達がラインハルの目の前から去っていってしまった―――
聖剣を生んだ工房のある『都市オリジネ』には剣士のトップに君臨する最強の男がいる。
銀針の十二強将ー8刻 聖剣士グリフレット・ロウ・オーウェン。
かつて人類を脅かした古の幻想獣『天獄』を封印した一族の末裔であり、その寿命が尽きるまで土地を守り続ける使命を担っている男だ。
『儂に弟子入りをしてぇのは、倒したい男がいるからだってぇ?』
ラインハルは地べたに額を擦りつけていた。
自分が未熟なせいで仲間達に見限られたのだ。
目の前でエリーシャが消えたのも、ロベリアを瀕死にまで追いやれなかったからだ。
アズベル大陸全土探し回っても彼女を見つけることはできなかった。
だけど、必ずエリーシャは何処かで生きているはずだ。
ロベリアに囚われている可能性もある、だからこそ今よりも力を付けなくてはならない。
強くなるためなら勇者としての尊厳など捨ててもいい覚悟がラインハルにはあった。
聖剣士グリフレットは底知れぬ野望を持つような瞳をするラインハルを見ながらニヤケ、弟子入りを承諾するのだった。
直弟子として聖剣士の剣術を教え込み、最強の剣士として育て上げよう。
この男ならそれが出来るとグリフレットは予感していた。
グリフレットには百を超える弟子がいる。
そして、その半分が年内に亡くなることなど珍しいことではなかった。
世界一の剣士の名に相応しい過酷な修行を課せられるからだ。
朝から晩まで飲み食い、厠へ行くことも許されず素振りを続けさせられることもある。
実剣での打ち合いも、強力な魔物との戦いも、弟子になった以上は強いられる。
それを途中から投げ出すことなんて出来なかった。
死ぬような思いを何度も味わいながらもラインハルは弱音を一度だって吐くことはなかった。
地獄のような修行をこなしていくことで強くなっていく実感があったからだ。
一人前として認められれば、きっと勝てるはずだ。
全ての元凶たるロベリアを打ち倒し、エリーシャを取り戻すために。
さらに月日が流れた。
グリフレットに一人前として認められたラインハルは誰よりも傍らに居てくれたメイドのエルが待っている拠点へと一度だけ帰り、旅支度をした。
エリーシャを探し出すため、人助けをするため、英傑の騎士団復興のための旅へと出るのだ。
エルには行ってはならないと反対されたが、一度決めたことを曲げないのがラインハルトは逃げるように拠点から飛び出していった。
初めての一人旅。
今までは、常に周りには仲間達がいた。
だからこそなのか新鮮な気分だった。
やることは一切変わらない。
困っている人間がいれば手を差し伸べ、弱き者のために悪を成敗する。
しかし多くの人間に感謝されることもあれば、逆に批難を受けることもある。
目の前にある悪の芽を摘むだけで、恐れられることもあった。
必要犠牲というものを知らない人は多い。
仕方のないことだと割り切るしかなかった。
そんな旅を半年続けたラインハルの元に、ある一通の依頼書が届く。
アステール帝国皇帝直々の依頼の内容は『妖精狩り』だった。
(まさか、ここでお前と会えるだなんてラッキーだよ。ようやく俺の念願が叶うからな……!!)
世界の理すら捻じ曲げるほどの、膨大な力を内包した聖剣へとありったけの魔力を流し込む。
それが引き金となり、闇夜を照らす眩い光が解き放たれる。
勇者のみが秘める加護がなければたどり着くことのできない覚醒。
ラインハルは一撃でカタを付けるつもりでいた。
(もう誰も失わないために、エリーシャを取り戻すために、お前を倒すために!!!)
生命感の高揚、勝利への確信、体を駆け巡る凄まじい魔力量を全て、聖剣へと収束させる。
これが勇者の最終奥義である。
その場にいた兵士の誰もが勝てると思った。
あの男を、傲慢の魔術師を倒すことができると―――
地を蹴り、剣を振り絞る。
脳裏に過ぎるのは仲間達との記憶。
楽しくも、悲しい、悲劇と喜劇で詰まった思い出。
勇者ラインハルの瞳から一滴の涙が零れ落ちた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」
――――【
逃れることのできない、悪を断罪するために生まれた絶対命中の一撃必殺が放たれた。
事象を歪曲しようと、過去へと遡り結果を変えようと、その運命に抗おうと、この技を前にすればなにもかもが無意味である。
この戦いの勝者は――――
――――ロベリアだった。
「気の毒に。残念だったな」
振り下ろされたラインハルの聖剣がいとも容易く片手で、受け止められたのだ。
辺り一面に凄まじい衝撃が広がったが、目の前にいるロベリアは無傷。
何事もなかったようにラインハルを凍り付くような笑みで嘲笑っていた。
「あ……ああ……」
それを瞳孔に焼き付けたラインハルが抱いた感情が、絶望だった。
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