第12話 クラウディアの過去 下
いつの間にか起きていたモニカ姉も、何かを考え込んでいた。最高に似合わないが、彼女も思うことがあったのだろう。
窓の外を見ると、日が沈みかけていた。
「おっと、もうこんな時間かい。親御さんに心配をかけさせる前に早く帰りな。森に魔物が出る可能性がある、そら急いだ急いだ」
モニカ姉は頬を膨らませながら、まだ居たそうにしている。
それでも両親に、また森に入ったことを知られたくないので帰路に着くことにした。
帰り道は、想像より薄暗いためトトが怯えていた。仕方ないのでモニカ姉と挟むようにして手を繋ぐことにした。
「にしし。なんか私達、本当の姉妹みたいだよね」
いつもの調子で言うモニカ姉の言葉に、若干恥ずかしさを覚えながら顔をそらす。
「ならば一番のお姉さんは私だな」
「ええ! なんでそうなるのさ!?」
「だってモニカお姉さん、子供っぽいから……」
「トトのくせに、なにをぉ!」
珍しく乗ってくれたトトの頭を両拳で「うりうり」と挟むモニカ姉を押さえつける。
「クラウディアも食らえ〜!」
腕をすり抜けられ、結局私もモニカ姉に「うりうり」されてしまう。
どうして帰るだけでも、こんなにはしゃぐのか理解できなかったが、別に悪い気分にはならなかった。
心地がいいぐらいだ。
平穏という感じがして、心が安らぐ。
森の薄暗さを忘れたかのようにトトも笑っていた。
騎士になるために村を出る……二人と別れてしまう日が近い将来、訪れるかもしれない。
夢だから割り切るしかない、のも難しい話だ。
破天荒なモニカ姉と気弱なトトと別れる。
想像もできない。
なら、いっそのことみんなで王都へと引っ越せば……。
いや、考えるのをやめよう。
人生は長い、すぐに決断することが必ずしも正しいことではない。
今だけは、この平穏を楽しむことにしよう。
村を、竜王に占領された。
悪夢の始まりだった。
家にある生活費をすべて奪われ、逆らう者は殺され、英雄グラハの城が竜王の拠点にされた。
それだけでは留まらず、今度は若い村娘を捧げるよう要求してきたのだ。
拒めば一家が皆殺しされる。
そして初めに選ばれたのは————モニカ姉だった。
生贄として捧げられたモニカと会うことは、もうなかった。
唐突すぎる別れを受け入れられるはずがなくトトと泣いた。
一晩中、赤ん坊のように延々と。
そして次の年。
今度は、私が生贄として選ばれた。
父と母は、絶望した。
もう両親とも会えないのかと、嗚咽を漏らしながら泣いていると父はある物を私に渡した。
当時、私の背丈の半分ぐらい大きい剣だった。
「父さんと母さんの二人で話あったのだが、ちょうどいい機会かもしれない。クラウディア、王都に行って騎士になるのが夢だったよな?」
父さんは笑顔を作りながら続けた。
「十六歳の誕生日なのに祝ってやれなくてごめんな。一人にさせるのは心苦しいが、父さんと母さんはクラウディアさえ生きていれば……それだけでいいんだ」
聞きたくない、なんで、そんなことを言うのか。
震える瞳で父と母を見上げる。
何かを言わなければならない、だけどうまく言葉が出てこない。
まるで最後かと言わんばかりに、力強く両親に抱きしめられる。
そして家に、オズワルさんがやって来た。
「時間はないよ」
「ええ、クラウディアを頼みます」
「ああ、無事に逃がすさ。だからお前さんらは心配しないで……安心していきな」
両親とオズワルさんが何かを話し合っていたが、私の耳に届くことはなかった。
オズワルさんに手を引かれ、森の茂みに隠れているときも、若気の至りか両親が殺される光景を前にしても、乾ききった心ではもう、何も感じることはできなかった。
オズワルさんの腕の中、聞こえるのは涙を流しながら謝罪する、彼女の声だけだった。
「クラウディア、クラディア!」
体を揺すられ、我を取り戻す。
顔を上げると、傷だらけになったオズワルさんが私を見つめていた。
「時間もないのでお前さんに言えることは限られている。けど、これだけは絶対に守れ。どんなことがあっても絶対に村に帰ってくるな。もうお前さんには家と呼べるような場所はない。両親も……」
「嫌だ! 言わないで! パパとママは殺されてない! これは夢! 目を覚ませば何もかもが元通りに戻る……長い悪夢」
「違う! これは現実だ! 受け入れろクラウディア! お前さんはこれから一人で生きていなきゃいけないんだよ!」
現実逃避することで気を楽にさせようとした私をオズワルさんは真実だけを突きつけた。
彼女も必死なのだ。
追っ手も、すぐそこまで来ている。
「聞きな。お前さんの父さんは、万が一のことを考え、一年かけて穴を掘り続けていた。朝から晩まで休むことなく、たった一人でだ。大切な娘を逃がすためにずっとだ」
「パパ……」
オズワルさんに連れてこられた場所には、洞穴があった。
「正確な距離までは解らんが、奴らの捜索範囲から逃れられる場所に通じていることは保証する。ただ、奴らに見つかるとよくない。お前さんが潜ったらすぐに埋める」
もう、私には帰れる場所はない。
この穴を抜けた先は、別の世界だ。
だけどオズワルさんの言うとおり、これは私だけの命ではない。
「穴を抜けたら、死ぬ気で走れ。運がよければ誰かに拾ってもらえる。だから……振り返らず、走り続けろ」
泣きたい、叫びたい。
だが、竜王に見つかるわけにはいかないため、声を押し殺す。
友達、家、両親、故郷。
何もかもを置き去りにして、私は走り続けた。
あれから一体どれだけ時間が経過したのだろうか。
薪の燃えるような音が聞こえ、目を覚ます。
ベッドに眠っていた。
傍らには椅子に座り、本を呼んでいるオズワルさんがいた。
「……あれは、やはり全部、悪夢だったのか?」
「残念だが、現実だよ」
「……そうか」
相変わらず、老いとは無縁のような見た目をしているオズワルさんに懐かしさを覚える。
涙を流しそうになったが堪える。
私は一人前の騎士だ。
竜王の支配を終わらせるために故郷に戻って、配下に———
「そうだ……配下は! 配下はどうなったのだ!?」
「ふふふ、安心しな。お前さんと一緒にいた男が片付けてくれたよ」
一緒にいた男といえば、一人しかいない。
「ロベリア……が?」
「ほう、それがあの男の名前かい。するとなんだい、あれが今や世界を騒がせている傲慢の魔術師というわけかい? 私には、とてもそういう男には見えなかったが」
「っ……どういうことだ?」
黒魔術という、最大の禁忌に触れた男だぞ。
オズワルさんは、あの男を知らないから、そんなことを言えるのだ。
「あの男は、配下にトドメを刺されそうになっていたお前さんを庇ったんだよ」
何を世迷言を、と笑いかけたが。
こういうときはオズワルさんは、嘘をついたりしない。
「……」
「それに、お前さんの身に降りかかった悲劇を何もかも包み隠さずに語ってやったよ。ふふふ」
「勝手なことを……笑いものにされてしまうではないか」
それを聞いたオズワルさんの表情が、真剣なものへと変わった。
「あれは笑ったりしないよ。長いこと人を見続けていたからわかる。あの男は怒っていた……心の底から、お前さんに同情していたよ」
あの男が?
傲慢の魔術師ロベリア・クロウリーが、誰かに同情するだって?
信じられない。
たとえ、それがオズワルさんの言葉であろうと。
直接、この目でそれを確認までは、信じられるはずもない。
「……ロベリアは何処にいる? 何かを仕出かすかもしれない」
「もう手遅れさ。お前さんが目を覚ます、とっくの前に行っちまったよ」
「だから何処に!」
「何処って、決まっているだろ。竜王のいる古城にだよ」
「っ!?」
「この村で起きた惨劇を、お前さんの過去を聞いて……黙ったまま出て行っちまった。世にも恐ろしい形相だったよ」
「怒っていたというのか?」
「ああ、そうさ。誰かのためにあそこまで怒れる人間なんて中々、居ないよ」
理解できない。
何度か顔を合わせたことはあったが、それは奴と戦うときだけだった。
まともに会話をしたのも昨日が初めてなのだ。
なのに、他人をゴミのように踏みつける、あの男が私のために怒った?
ベッドから起き上がり、そばに置いてあった剣を手に取る。
竜王を倒すのは私の役目だ。
「ぐっ……ああ!」
だが数歩、進んだだけで、激痛が全身を駆け巡った。
堪えきれず、床に膝をつける。
「無理をするもんじゃないよ。生身の人間が、竜族の血を引いた奴の攻撃を受ければそうなるさ。今のお前じゃ無駄死になるだけだよ」
「だったら、ここで黙って待っていろというのか!? 私は騎士だ!」
「勇敢と無謀を履き違えるのも程々にしな!」
思わず、体が跳ね上がった。
オズワルさんに怒鳴られたことが無かったからだ。
まるで、あの頃の子供だった自分に戻ったような気さえするほど、オズワルさんは本気だった。
「クラウディア! お前を無駄死にするために、お前の両親は命を張ったと思うのかい!? 違う! お前の幸せな未来を願って死んでいったんだよ! 私もそうだ! これ以上、命を無駄にするような真似をしてみろ! 私がお前の両手両足を叩き割ってやるよ!」
肩を掴まれ、優しく抱きしめられる。
「私はお前の父でも母でもない。けどね、死なせたくないと思う権利ぐらい、あったっていいだろ……!」
何年ぶりだろうか。
こんなにも温かく、切ない気持ちになったのは。
無意識に腕が動く。
オズワルさんの抱擁に答えるように、私も彼女を抱きしめた。
「……ごめん、ごめんね。迷惑ばかりかけさせて……助けてくれたのに。私は……私は!」
五年も我慢していた想いが、ついに爆発した。
大切な人の胸の中で、何もかもを曝け出す。
常に冷静沈着で合理的な、あの女騎士のようになりたいと、ずっと夢見ていたというのに。
なんて格好悪いのだろうか。
だけど、どうか今宵だけは、許してほしい。
「一つだけ、頼みたいことがある」
「なんだい……?」
「戦いがどうなるかを、この目で見届けたい。だから、私を城へと連れてってくれはしないか……頼む」
断られる前提で、オズワルに頭を下げる。
「奇遇だね。私もちょうど、そうしたいと思っていたところだよ」
だけど予想とは裏腹に、すんなりと受け入れてくれた。
完全にロベリアを信じたわけではない。
だけど、もしもオズワルの話が全部本当なら。
戦いが終わったあとに————
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