パスタは冷めないうちに食べましょう
「うえ~。場吉~。づかれだよ~。もう働きたくない~」
「お疲れさまでしたねぇ、お嬢。あああ皺になりますよ。落ち着く前に制服は脱ぎましょうや」
「う゛~。お腹空いた~。場吉、パスタ作って、パスタ」
「へいへい。ちょいとお待ちくだせえな」
「あ。リコ先輩の分もお願いね。先輩、場吉のパスタは絶品なんですよ~」
「あいよぅ。嬢ちゃん。食えねえもんとかあるかぃ?」
「……納豆とオクラ以外は大丈夫です」
私は今、古ぼけた木造家屋の二階の部屋で、年季の入ったローテーブルを挟んで矢杉さんと向かい合っていた。
学校指定のジャージ姿に着替えた矢杉さんは、ネズミ色の大きなクッションを私に寄こし、自分も同じものを抱えて座り込んでいる。
ここは、駅近くのアーケード街の裏手に位置する民家だ。
八畳ほどの広さのリビングには、箪笥や本棚、ベッドが置かれるばかりで、テレビなんかは見当たらない。黒いカーテンが片方剥ぎ取られた履きだし窓の外は、すっかり暗くなっていた。
「矢杉さんは、ここに住んでるの?」
「いえ~。ここは隠れ家の一つです。学校に届け出てる住所は別にありますよ~」
「私は、これからどうなるの?」
「え? あ、あ~。ええっと~。それなんですけど……」
私がなるべく平坦な声で問いかけた言葉に、矢杉さんは答えづらそうに俯き、もじもじと指を弄り始めた。
「あの~、ですね。その話の前に、なんていうか、その、言わなければならないことというか、なんというか、ですね」
「うん?」
「うう~」
要領を得ない彼女の態度に私が首を傾げていると、その狭い部屋にさらに人が増えた。
「お嬢。先延ばしにしたってつまんねぇですぜ。さっさと言っちまいましょうや」
湯気の立つトレーと共に現れたのは、室内にも関わらず黒の革ジャンを来たオールバックの中年男――
三十分ほど前――。
『ぐぇっほぁ! ぐぁああ。こいつはダメだ。憑いておけねえ』
吉根先輩と紫村くんを昏倒させたジンさんの口から、低くしゃがれた男の声が発され、更に、どろどろとした黒い煙が吐き出された。
その煙は凝り、固まり、やがて人型を成した。
『ちょっと場吉。大丈夫? やっぱりダメ?』
『ああ、すんません。お嬢。流石は「伏字」の器だぁ。瘴気への耐性が段違いでさぁ』
つまりは、そういうことなのだろう。
彼は、人ならざるものなのだ。
彼を吐き出したジンさんはそれっきり倒れ伏し、動かなくなってしまった。
その場に残ったのは、私だけ。
『リコ先輩っ。ちょ~っと付き合ってもらっていいですか?』
その言葉に、抵抗することはできなかった。
私は言われるがまま、死屍累々と人々が倒れるファミレスを裏口から抜け出し、この民家へと連れ込まれた。
予め用意してあったのか、黒いカーテンのような大きな布によってジンさんの刀はくるまれ、持ち去られた。その刀身には、依然私のペンケースが刺さったままだ。
ファミレス全体に、吉根先輩の幻術によって中から、そして、矢杉さんか場吉氏かは分からないが、何らかの術によって外側からも結界が貼られていたようで、あれだけの騒ぎにも関わらずまだ騒ぎにはなっていない。
ただ、それもいつまでもというわけにはいかないだろう。一体この後、あの状況にどういった収拾が付けられるのかは分からなかった。
そして、今――。
「すいませんでしたぁ!!」
私は、矢杉さんに深々と頭を下げられていた。
私たちが挟むテーブルには、空のお皿とマグカップが二つずつ。
クリームパスタ、美味しかったです。
「ええっと……。それは、どういうこと?」
困惑する私に、瞳を潤ませた矢杉さんが顔を上げる。
「リコ先輩を、危ない目に合わせてしまって」
「え? いや、まあ、それは……」
それは、その通りなんだけど、それを普通に謝られても挨拶に困るのだが……。
「あのパリピの二年生、ホントは匣なんて持たせるつもりなかったんです」
ん?
それって、葉山さんのこと?
「私、あのパリピ先輩がリコ先輩に襲い掛かったって聞いて、びっくりして。でも危ないところであの人たちに助けられたっていうから、よかった~、って。でも、私、あの人たちから逃げ隠れしてるから、どうしよ~、みたいな」
「え、待って。じゃあ私が襲われたのは偶然ってこと?」
「そうなんです~。でも~、ゴメンナサイ。私、あの虫使いが来るのが分かったとき、こりゃヤバいと思って持ってた匣捨てちゃったんです。放っておけば溶けてなくなるんですけど、それを何でかパリピ先輩が拾っちゃったみたいで~」
…………待って。
ねえ。それが本当なんだとしたら、私が危ない目にあったの、八割くらい紫村くんのせいなのでは?
「ねえ、矢杉さん」
「は、はいっ」
「あなた、一体何が目的なの? 私をここに連れてきたのは、それを謝るため?」
「あ、それはまた別の話で~」
矢杉さんは、それまでのしおらしい態度をコロリと入れ替え、テーブルを回り込んで私の前にずずいと進み出た。
「実は、先輩の力とお人柄を見込んで、折り入ってお願いしたいことがございまして」
「お、お願い?」
「リコ先輩。私と一緒に、イケメンハーレム、作りませんか?」
……。
…………。
………………詳しく聞かせてもらおうか。
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