その名は場吉
「ちょっと
「え、うぇ!? 俺のせいですかぃ!? そりゃないぜお嬢。俺はちゃんと言われた通りにしたじゃねえか」
「あんたがモタクサしてたからでしょ!」
さっきまで虚ろな表情で突っ立てただけの少女――矢杉栄さんが、元気一杯に喚き始め、さっきまで居丈高な態度でこちらを威圧しようとしていた中年男――バキチという名前らしい――が、急にヘコヘコと頭を下げ始めた。
「……おい。こりゃどういうことだ」
「よく分かったね、三条さん」
困惑した表情で吉根先輩と紫村くんが私を見てくるが、別に分かったわけじゃない。証拠とか推論とかがあったわけじゃ全然なくて、まあそういうパターンもあるかな、っていう、なんだろう、経験則? そんな感じのアレだ。
一応後追いで考えるとしたら、この事件が起きたのが今年の春からで、校内の生徒にのみ被害が出ているのであれば、この春から学校に来た人物の可能性が高く、つまり一年生の誰かであったとしても不自然じゃない。
あとは……そうだな。紫村くんが来るまで、この学校で事件の捜査をしていたのは吉根先輩一人だった。もし、犯人がそのことを先に掴んでいたのだとしたら、彼の動向を観察しやすいよう、同じ部活に所属することも合理的だ。
「……くっ。リコ先輩のオタク脳を侮ってました」
「お嬢。どうすんだぁ? あんたを人質にとってあの嬢ちゃん連れ去るんじゃなかったのかよぅ」
「バキチ! 余計なこと言うな!」
ん?
私?
「おい、矢杉。いろいろと納得いかねえところはあるが、お前がこの事件の犯人ってことでいいんだな?」
「うぇ!? あ、ええっと……。そ、そうで~す。うぷぷ~。キツネ先輩。今どんな気持ちですか~。同じ部活にいた後輩の女の子にいいように遊ばれてたって分かって~。今どんな気持ち~?」
「あ~、まあ、なんだ……」
バキチ氏の発言に私が気を取られているうちに、矢杉さんがメスガキムーブで吉根先輩を煽り始めた。
それを受けた先輩は、怒りを示すことなく、それどころか気まずそうに頭をかいて、一言。
「お気の毒」
黒い風が走った。
そうだ。人質は人質じゃなかった。犯人の自供も取れた。ならばもう、この人が動かない理由がない。
「うひゃ」
「お嬢!」
一瞬の間に彼我の距離を詰めたジンさんを前に、バキチ氏が矢杉さんを庇うように立ち塞がる。その右手には、いまだに握られたままの瘴気の塊。
彼がそれをもってどうするつもりだったのかは分からない。だって、あまりにも速度が違い過ぎた。
どごごごっ。
私にはそんな音が鳴ったことしか知覚できなかった。
「ぶぎゅばっ」
その一瞬でバキチ氏の体から力が抜け、正面に崩れ落ちた。
残心の形を見るに、どうやら刀を握った拳で殴りつけたようだ。倒れ伏したその体は、ぴくりとも動く様子がない。
ジンさん、ステゴロもいける模様。
「は。はわわわわ……」
それを見て床にへたり込んだ矢杉さんの首筋に、妖刀の刃が添えられる。
それはもう、誰がどう見ても明らかな、決着の形だった。
「ちょ、ちょっと待って。ちょっと待って。違う違う。違うんですよ~」
「……」
「えっと。えっと。あの、ほら。そう! 私違うんです。その男に脅されてただけなんです!」
「……」
「演技演技。演技ですよ~。脅されて仕方なくやってただけなんですってば~。ほら、見てくださいよ、こんなか弱いJKがあんな恐そうなオジサンに逆らえるわけないじゃないですか~。あ。イタっ。イタタタ。あのオジサンにずっと捕まえられてたとこが痣になっちゃって~。あ~。これは後に残るな~。JKの肌に痕が残っちゃうな~」
「……」
「なんか言えよテメエコラァ!! あ。ゴメンナサイゴメンナサイ嘘です嘘です。やめて刀押し付けないで痛い痛い痛いチクっとしたチクっとしたから~!」
私の前に立つ吉根先輩と紫村くんの肩から、力が抜けたのが分かる。
往生際悪く喚きたててはいるが、相手が悪すぎる。あの程度でジンさんからリアクションを引き出せるわけがない。
ともかく、一体何がどうしてこうなったのか全く分からないが、これから矢杉さんの事情聴取が行われるのだろう。
気になることは気になるが、正直、私はあんまり聞きたくなかった。同じ部活の仲間だと思っていた少女が、私の刺繍を好きだと言ってくれた後輩が、一体どんな気持ちであの部室にいたのか。私を同級生に襲わせてどうするつもりだったのか。
少なくとも、彼女の口からは聞きたくなかった。
私は矢杉さんから目を逸らし、時が過ぎるのを待とうとした。
そして、目に着いた。
矢杉さんに刃を突き立てるジンさんの足元で、倒れ伏したバキチ氏の体が、ぐずぐずと溶けていくのを。
「え?」
その光景の意味を確かめようと、前の二人に声をかける間もなく、いくつかのことが立て続けに起こった。
バキチ氏の溶けかかった体から、粘度をもったような濃い煙が吹きあがる。
その気配を察して振り返ったジンさんの握る刀の先端に、矢杉さんがどこからか取り出したなにかを刺す。
妖刀から立ち上る黒い煙が、水をかけたように消え去り、再びジンさんが視線を戻す。
その隙に、先ほどまでパンクロッカーのような姿をしていた煙が、彼が右手に握っていた瘴気の塊と混ざり合い、ジンさんの体に吸い込まれた。
がしゃん、と。
その手から離れた刀が、床に落ちた。
「「ジンさん!?」」
そして、そこから先は一瞬だった。
驚愕する吉根先輩と紫村くんが、それでも咄嗟の判断でオレンジ色の炎を灯し、足元の影をざわめかせたところに、ジンさんの体が滑り込むように肉薄した。
一体何をしたのか、背中越しで見えなかったが、鈍い打撃音が二つ聞こえ、二人の体が崩れ落ちた。
視線の向こうで、矢杉さんが立ち上がり、高々と拳を振り上げて、飛び跳ねている。
「ぃぃいやっっふぅ~~~。大☆逆☆転っ! ぶいっ」
彼女の足元には、ジンさんの刀。
その先に刺さっていたのは、私が彼女に貸した、刺繍入りのペンケースだった。
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