お久しぶりです師匠
店の入り口に立つその男は、サングラスをかけた中年だった。
「全く恐れ入るぜ。こっちが手間暇かけて丹精込めて手塩にかけて仕込んだ木偶どもが一瞬でおじゃんだぁ」
ところどころに鋲を打った黒革のライダースジャケットに身を包み、脂ぎった黒髪はオールバックに整えられている。薄い色のサングラスから覗く目がぎょろりと動く。
それが誰かは分からなかった。初めて見る顔だ。
ただ、そいつがなにものかは即座に分かった。
づるづると。
もくもくと。
ジンさんが斬り祓った人たちの体から噴き出た赤黒い液体が、まだ残留していた黒い煙が、その男の右手の元に集まって行ったのだ。
こいつが犯人。黒い匣の使用者。
だけど、問題はそこではなかった。
「おいおいおいおい動くなよぉ。動くな動くなぁ。見りゃ分かるだろぉ」
言われるまでもなく、吉根先輩も、紫村くんも、ジンさんも、その場から動けなかった。
動くわけにはいかなかった。
そいつの左手が、一人の小柄な女学生の首根っこを掴んでいたのだから。
右手に集約された瘴気の塊が、彼女の胸元に近づけられる。
「んん?? 分かるよなぁ。あ? 見て分かるよなぁ。このガキが誰だかよぉ」
瞳を閉じて立ち尽くし、男のなすがままにされている少女は、正に私たちが安否を確認しようとしていた生徒だった。
手芸部一年、矢杉栄さん。
「ロリコン」
「ロリコンかよ死ねよ」
「ロリコンじゃん。通報されたい?」
「黙れクソガキどもぉ! 俺はロリコンじゃねえ殺すぞ……待て待てスマホ構えるんじゃねえ写メ撮ろうとすんな動くなっつったろうが!!」
ちっ。
今の現場をスマホのカメラで撮ったら、瘴気は映らずに中年男が女子高生の胸元まさぐろうとしている映像だけが残っただろう。私の操作速度を持ってすればクラウドへの保存まで二秒もかからなかったのに。
「つうかよぉ! てめえらに言われたくねえんだよ! なんだ、この『幼稚園に乗り込んで片っ端から女児を肩車したい』とかいう欲望はよぉ! コレてめえらんとこの男子生徒だろうが!」
ああ。鬼畜眼鏡先輩(名前思い出せない)……。
「ねえ。俺も転校してきたばっかだから言うのもアレだけどさ。アカリくんの高校大丈夫なの?」
「言うな。あいつは自分の衝動を必死に抑えつけて日々を過ごしてたんだ。誰にも危害は加えちゃいねえ」
「知り合いなんだ……」
「つうか、何気に重要な情報漏らしやがったぞコイツ」
そうか。つまり、先ほどの肩車ウェイターは、鬼畜眼鏡先輩から抜き取られた感情だか欲望だかのエネルギーを植え付けられていたのだ。
「なるほど。憑りつかせた相手から抽出した力を他の人に植え付けて増幅させる。その繰り返しでどんどん力を増していくわけだね」
「問題はそれを使って何をするかだな。おいオッサン! あんたこの状況どう収拾つけるつもりだ? 俺らに手出しさせねぇのは結構だが、あんただってそれ以上何もできねえだろ」
「うるっっっっせえんだよ何したり顔で仕切ろうとしてんだクソガキ。今すぐこのガキにこいつぶちこんでやろうかぁ??」
「馬鹿野郎。いくらなんでもそんな量の瘴気一人の人間が耐えられるわけねえ。何が起きるか分かんねえぞ」
「そうだよなぁ。そうされたら困るよなぁ。だったらぁ! 俺にこれ以上舐めた口効けねえはずだよなぁ!」
「ちっ」
悔し気に顔を顰めた吉根先輩が口をつぐむ。
紫村くんもまた、その端整な顔立ちを不快そうに歪めていた。
ジンさんは……あれ? 普通に柱に寄り掛かったままだな。今はまだ自分の出番じゃないってことかな。
私は……。
私はといえば、もう完全にその場の成り行きを傍観する構えとなっていた。
だって、どうしようもないもの。私の手には護符の効果がついたハンドタオルが一枚あるだけ。そりゃ矢杉さんは助けてあげたいけど、どう考えても私の手に余る。タオルにも余る。
んん?
そこで私は、奇妙な引っかかりを覚えた。
あのオジサンがこの一連の事件の犯人だったとして、その方法は?
例の黒い匣を使って、人の感情を暴走させ、黒い煙として抽出、それを蒐集する。
どうやって?
だって、あんな人、校内に入れるわけがない。
一発退場でしょ、あんな不審者みたいなオジサン。
仮に入れたとしたって、どうやって吉根先輩たちの監視の目を逃れたのだ。
矢杉さんは、昨日の放課後、私から護符をもらった。
つまりそれ以前には彼女に匣は憑りついていなかったはずだし、彼女が帰宅し、護符から離れてから憑りつかせたとして、どうして彼女が私たちの知人だと分かる?
アニメドラマ漫画映画小説その他諸々のストーリーに触れてきた私のオタク脳が、一つの可能性を思いついた。
ねえちょっと。紫村くん、紫村くん。
「??」
ごにょごにょごにょ。
私の耳打ちした内容に、紫村くんがドン引きした顔で反応した。
「おいぃぃい!! そこぉ! そこそこそこぉ! なにやってんだぁ、ああん? イチャコラしてんじゃねえぞおい。おいそこの女ぁ、てめえちょっとこっち――」
男がヤカラっぽい声で私に何か言っている間に、紫村くんのオトモダチが一匹、二匹、三匹と、彼の足元に近づいていた。
古ぼけたブーツを素通りし、隣のローファーへ。膝下丈のソックスへ。そして、その上の膝小僧へと六本肢を進める。
我ながら、酷い提案をしたものだ。
うん。
まあ、そりゃいるよね。
飲食店だもんね。
扁平な体。
長い触覚。
テラテラと光る外翅。
その名も、ゴ「みぎゃぁあああああああ!!!!!!」
耳をつんざくような悲鳴が、矢杉さんの口から迸った。
「取って取って取って無理無理無理無理ぃぃいい!!!」
「あ、ちょ。なにやってんすか、もぉ!」
隣の中年男がバタバタと矢杉さんの足をはたいて刺客を追い払う。
ほら、やっぱり。
被害者が真犯人のパターン。
まあ、よくあるよね。
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