入店
「てえぶるに!! のるなぁああああ!!」
飛んだ。
黒い煙――瘴気を撒き散らしながら、天井近くまで男の体が跳ね上がる。
一息に私と紫村くんを飛び越し、テーブルの上で幻の結界を維持し続ける吉根先輩に襲い掛かった。
幻炎が効いてない!?
「先輩!」
「ちっ」
間一髪でそれを避けた先輩が床に飛び降り、受け身を取って転がった。
それを見た、クワガタムシに四肢を拘束されたイケメンハンターのOLがびくりと体を震わせる。
「ぐ。ぅお。おお。おおおお!!!」
強大な敵に打ちのめされ、それでも自分の信じる大切なもののために力を振り絞って立ち向かおうとする戦士のような声を上げて、OLのお姉さんが立ち上がった。
両手両足にクワガタムシをぶら下げたまま、吉根先輩に襲い掛かる。
「エグザイル系のぉぉおイケメェェエエエン!!!」
「うわぁ……」
「ちょ、っと。紫村くん。ドン引きしてないで助けてよ!」
「無理無理。あれは無理。それより、さっさと逃げよう」
「そんな!」
紫村くんが私の手を取り、再び走り出そうとするが、その通路を数人の客が塞いでいた。
みな一様に瘴気を纏い、歯を剥き出しにしてグルグルと唸り声をあげている。
見れば、店内を埋め尽くしていたオレンジ色の炎の花が数を減らしていた。吉根先輩、目の前の相手に精一杯で結界を維持できてないんだ。
「ちょ~っとマズいかなぁ」
紫村くんの笑みが引き攣った、その時だった。
からん。ころん。
それは、
入店のドアベル。
誰か入ってきた?
それってまずいのでは??
私の頭がそんなことを考え、しかし、それに対して何のリアクションをも取る前に――。
ぞくり。
それまでとは、桁外れの悪寒が私を襲った。
目の前の誰とも、背後で吉根先輩を襲うウェイターの男とも、比べ物にならない瘴気。
黒い煙。
それを纏う、刃。
「ジンさん!?」
ざ。
音はそれだけだった。
瞬き一つの間に、さきほどまで入口にいたはずのジンさんが目の前に現れ、その軌跡にいた人間が二人、赤黒い液体を吹き散らして倒れた。
「お?」「は」「え?」
その突然の事態に、流石に周囲の人たちも一瞬動きが止まる。
その一瞬が、どうしようもないほどに致命的だった。
私たちの前にいた、瘴気に憑りつかれた人間は四人。
つまり、四振り。
正確無比な妖刀の斬撃が閃く度、天井まで届く血飛沫が舞った。
異次元の速度だった。
私の目には、ジンさんがどう動いて刀を振るったのか、まるで分からない。ただ、斬撃から斬撃の合間のほんの一瞬動きが緩んだタイミングで、それが為されたことが分かるばかりだ。
いつの間にか、店中の人間が、ジンさん目掛けて殺到していた。
コックが。ウェイトレスが。OLが。学生が。サラリーマンが。老爺が。次から次へと瘴気を撒き散らしながら襲い掛かる。
それを、斬る。斬る。斬る。
走って、跳ねて、飛んで、縦横無尽にジンさんの体が店の中を動き回り、妖刀が振るわれるたび、確実に一つ叫び声が消え、血飛沫が上がった。
ほどなくしてそれも絶え、悠々とした足取りでジンさんが戻ってくる。
それは、備品の破損を修繕し終わったような、校内の草刈りを終えたあとのような、あまりにも普段どおりのジンさんの立ち振る舞いだった。
今更ながらに彼が私服であることに気づいたが、シャツもジーンズも当たり前のように真っ黒だ。三分の一ほど赤く染まっていたが。
昨日までの私がそれを見ていたら、あまりの惨状に気を失っていたかもしれない。
だが、彼が斬っているのはあくまでも瘴気の発生源なのだ。
憑りつかれた人間自体にはかすり傷一つ負わせていない…………はずだ。
え? そうだよね? そういうことでいいんだよね?
まさかと思うけど、誰か一人くらいホントに斬っちゃってないよね?
「ふぃ~。流石にヤバかったな。助かったぜ、ジンさん」
「大丈夫、アカリくん?」
疲労した様子で座り込んだ吉根先輩を、全く心配していなさそうな声で紫村くんが労う。
その声音に、どうやら修羅場は脱したようだと、私の肩からも力が抜けた。
ジンさんは無言で掌を振り、柱に寄りかかった。
なんだろう。今のは、『気にするな。俺の仕事だ。お前たちのキレイな肌に傷がつかなくてよかった』、ってところかな?
「三条さん。今なにか変なこと考えたでしょ?」
「いいえ全く」
そんなことより、私には聞かなければならないことがあった。
「ねえ。こういうことって、よくあるの?」
こんな、ファミレス一つを丸々巻き込んで騒ぎを起こすような事件。
こんなものが、彼らにとっての日常だというのだろうか。
「まさか。これは流石に異常だよ」
「まあ、なくはねえ。ただ、数年に一度、日本のどっかで一件起きるかどうかだな」
「俺は初体験。ねえ、これ、どうやって収拾つけるの?」
「ヒズミさんに出張ってもらうしかねえだろ。ったく、めんどくせえ……」
淡々と事後処理について話し合う二人をよそに、頭の回転が遅い私はようやくことの異常さに気づきはじめていた。
だって、おかしい。
このファミレスに来ることを決めたのはついさっきだ。部室で矢杉さんの話を聞いて、下校時刻になって紫村くんに声をかけ、学校の最寄から少し離れた駅で待ち合わせをしたのだ。
それなのに、まるで私たちを待ち伏せしていたかのように――それも、客も従業員も問わず、店内の人間全員に黒い匣を憑りつかせる時間なんて、一体どこにあったというのか。
その方法は分からない。
術だの怪異だのの仕組みも手段も私なんかに分かるはずがない。
けど、一つだけ分かることがあるとするなら――。
からん。ころん。
再び、ドアベルの音。
「あーあぁ。さっすがぁ妖刀・伏字。この程度じゃ足止めにもならんわな」
――犯人は、直ぐ近くにいる。
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