狐火と妖刀

「三条。スマホを出せ」

「いいですけど、昨日の画像ならクラウドに保存してますよ」

「…………」

「痛い痛い痛い」


 お昼休み。私は誰もいない手芸部の部室に呼び出され、吉根先輩に頭部を鷲掴みされていた。

 おい誰だアイアンクローは見た目だけで別に痛くないとか言ったやつ。超痛いんだけどマジで割れる割れる頭蓋骨割れる。

 あ、でもちょっと脇チラのチャンスぐえええええ。


「お前な。マジで分かってんのか。命狙われてるかも知れないんだぞ」

「ええっと、あんまり分かってないんですけど、そもそも手伝いって何をすればいいんでしょうか」

「ちっ。地雷除去マインスイーパーだよ。とにかく校内の至る所にお前の刺繍をばら撒け。怪異が活動できる範囲が少なくなれば、どこかしらでボロが出る。それでなくても俺らの手が間に合わなかった被害を未然に防げるかもしんねえしな」

「なるほど。そんなことかと思って、取りあえずお守りっぽい感じのものをこさえてきたんですが」

「有能か」


 何となくイメージが湧いたので、蝶が飛んでる意匠とキツネが野原で戯れる意匠と、二種類用意してみた。それを手に取った吉根先輩が矯めつ眇めつし、恐らく効果が出ているかどうかを確かめているのだろう、どうやら合格点を貰えたようで、そのまま返され、お褒めの言葉を頂いた。

 いや、まあ。だってあくまで趣味の範疇だし。

 ただ、あんまり量産することを意識してご利益的なものが減るとまずいかと私なりに愚考し、普段通りに丁寧に作ったので、一晩で出来る量としては五個が限界だった。私の眠気も限界だったし。


「あの、ところで先輩。一つお願いがあるのですが」

「なんだ? ああ、一応言っておくが、一人でふらつくなよ。俺かコンかジンさんか、誰かと一緒に回るように――」

「昨日の分身の術使って、左右から耳元でドSゼリフ囁いてもらえませんかああああ痛い痛い痛い痛い」



『こいつはサン。化け狐だ』


 昨日、そう言って吉根先輩が紹介してくれたのは、ふわっふわの尻尾を揺らめかせるオレンジ色の綺麗な小動物だった。

『か、かわ――』

 がぶぅっ

『ぎゃああああ』

 いや。ひと撫でしようとした私の手を一瞬で穴だらけにした凶暴な獣だった。


 彼女(?)は気位が高いらしく、吉根先輩以外には全く懐かないそうだ。そもそもその姿が見えるものの方が珍しいということもあるが。

 その唯一の例外がジンさんだそうで、私が以前に目撃した、ジンさんが餌を上げていた子犬の正体こそ、なにを隠そう、この妖狐――サンだったというわけだ。


 その力は、幻炎。

 名前の通り、狐火を操る怪異である。


 吉根先輩もまた、自身のセリフの通り、自分の力を使って超常の奇跡を起こすようなことは一切できないそうだ。

 その代わり、吉根先輩の頼みはが聞いてくれる。

 人の目を惑わし、匂いを欺き、音をも狂わせる魔性の炎。


 吉根先輩は、放課後の校内を巡回し、異能が働いた痕跡をずっと探していたのだという。大概は空振りに終わったが、たまに今回のように黒い匣に憑りつかれた生徒を発見することができた。それに対処する際、狐火の幻術を使って、他の生徒や教職員たちが近づくことのないよう、結界を張ったりもしていた。

 その時に目撃されたのが、校内で噂となっていた人魂の正体、そして不可思議な叫び声の真相だったのだ。


 幻術師――吉根燈。

 それが、私の部活の先輩のもう一つの姿であった。



 そして――。


「あ、ジンさんだ」

 部室の窓から外を見下ろしてみれば(手芸部の部室は三階にある)、校舎裏の金網の修繕をしている黒つなぎの男性の姿が見えた。

 淀みのない手つきで黙々と仕事をこなすその姿はまさに職人の風情だったが、私はもう知ってしまった。

 彼が全身から黒い煙を噴き出し、禍々しい刀を振るう姿を。


 吉根先輩たちが怪異と呼ぶたちにもいくつか分類があるそうで、まあ呼び方は妖怪でも魔物でも呪霊でもなんでもいいのだけど、例えば無機物に妖しの力が宿って怪異と化したものを指す言葉に、妖器というものがあるのだという。


 例の『黒い匣』はまさにそれで、ジンさんが振るっていた刀もまた妖器にあたる。

 ただし、両者の怪異としての『格』の違いは天と地ほども隔たっているのだとか。



 昔昔の話だ。

 多分江戸時代とかそこらへんの話なのだろう。とある商人の旅団が盗賊に襲われた。

 商人たちはみな刀によって惨殺され、盗賊たちは彼らの積み荷――売り物をみなアジトに持ち帰った。

 そして、全員死んだ。

 全員が全員、相争ったように刀傷によって死んでいたのだ。

 その盗賊のアジトからは、商人たちの積み荷とその目録が見つかったのだが、その中にひとつだけ、墨で黒く塗り潰され、名前が読めなくなっていた項目があったのだという。


 盗難品を検め、目録と照合した結果、その塗り潰された品物は、どうやら一振りの刀であったことがわかった。

 無銘の刀だ。なかなかの業物であったが、銘が無ければ好事家たちの興味は引けない。品物としての価値は低いとみなされたのだろうと、それを発見したものは判じ、自分たちで持ち帰ることとした。


 そして、全員死んだ。

 当然、みな刀傷による死亡である。


 これと同じような事件が、歴史の中に散見されるのだという。

 その中には決まって、無銘の刀と、それの名前を記したであろう文字が黒く塗り潰されていたという記述がある。

 その名前を忌むように。

 所有権を放棄しようとするように。

 いつからか、いつの世にも名前を伏せられたという事実だけが、その異形の刀を表す呼び名として定着した。


 妖刀『伏字ふせじ』。

 それが、ジンさんに憑りついた怪異だ。

 本来ならば、伏字に憑りつかれた人間は例外なく発狂する。

 あの黒い煙によって理性を失い、ただ力のままに刀を振るうだけの人間となり、その魂の全てを妖刀に吸い取られてしまい、最後には自刃して果てるのだとか。


 ではジンさんが何故そうならないのかというと…………全く分からないらしい。


『この人のことだけは、現代の科学でも魔術でも説明ができねえんだ』

 

 何故か死なない。

 何故か生きている。

 何故か仕事を手伝ってくれる。

 そして、強い。桁外れに強い。

 彼らの組織の中にも多様な人材がいるが、では白兵戦の最強は誰だと聞かれれば、必ずジンさんの名前が候補に挙がるのだとか。


 妖刀憑き――村正仁。

 謎多きイケオジは、やはり謎に包まれた人物なのだった。

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