7月4日
むしめづるひめ
翌日、私は陰鬱たる気持ちを引きずって朝の通学路を歩いていた。
空は曇天。梅雨明けにも関わらずじめっとした空気が髪の毛をボサボサと膨らませ、余計に気を重くする。
「お゛はよ゛ーリコ」
地の底から響くような声に振り返れば、私の二倍ほどは膨らんだ黒髪を垂れ流し、もはやホラー映画の様相を呈する友人の姿があった。
「おはようミーコ。今日も貞子みたいだね」
「う゛う。ねえ。あいつってテレビの中にいるんでしょ。二次元の世界に出入りできるのかな」
「そういうんじゃないと思うな」
ああ、落ち着くなぁ。手芸部の部室に居る時とは別の安心感がある。一生こいつと通学路を歩いていたい。いや、それこそホラーだろ。
「ねえミーコ。もしもさ。仮になんだけどさ」
「なによ」
「紫村くんがさ。高身長細マッチョ兄貴の鎖骨にうっとり顔でKISSしてる写真があったらさ。いくらまで出す?」
「…………二万くらい?」
「だよね」
そうだ。あんな写真一枚、たかだか二万くらいの価値だ(疑義は受け付けない)。
私という女は、一度死に目に会っておきながら、金額にして二万程度の報酬で自分から厄介ごとに首を突っ込んでしまったのだ。
だけど、あの時の私にはああするしかなかった。
写真のデータを貰うという行為以外の全ての選択肢が閉ざされていた。
それが腐女子という
「リコ。クラスメイトでナマモノはやめときなよ。バレたら洒落になんないよ」
「だよね」
あの後、割とマジな感じでキレてた吉村先輩に腹パンされて青い顔をした紫村くんと連絡先を交換したはいいが、あの意外に腹黒そうなイケメンとはあまり関わりたくない。
護ってもらうなら吉村先輩がいいなぁ。
そしてそれを見た紫村くんが「俺よりそんな女のほうがイイのかよ」とか言って誘い受けオーラ全開に――
「おはよう、三条さん。八島さん」
「ぴゃぃ」
突然後ろから肩を叩かれた私は五センチくらい跳ね上がった。
「ああ、ゴメンゴメン。そんなに驚かれるとは」
噂をすれば爽やかスマイルで登場したイケメンに私の背中をダラダラと冷や汗が伝い、横を歩くミーコが私の袖をぎゅっと掴んできた。
「あ、おぁざっす(おはようございます)」
「…………す」
二人して全く目を合わすことなく会釈し、朝から目に眩しいスマイルをやり過ごす。危ねーところだったぜ。それを見た紫村くんは苦笑し、じゃあまた教室で、と爽やかに言い残し、爽やかに私たちを追い抜き、爽やかに歩き去って行った。
「……リコ。あいつと何かあった?」
「あった。でも大丈夫。空気読める人みたいだから」
「あっそ」
あんまりミーコに嘘は吐きたくない。だけど、こっちが話したくないのはミーコも察してくれて、何も聞かないでくれる。この距離感、けっこう大事。
でも一つだけ、確認しておきたいことがあって……。
「ねえミーコ。あそこ。蝶が飛んでる」
「え?」
「ほら。紫村くんのそば」
「どこ?」
「あ。ごめん見えなくなっちゃった」
「なんだそれ」
ああ。やっぱり見えないんだ。
紫村くんにまとわりつくように、ひらり、ひらりと夢のように舞う瑠璃色の蝶。
あれはどうやら、あっち側の存在らしい。
そして――。
さらり。
さらり。
この湿気に塗れた初夏の空気の中で、まったく軽やかさを失わない綺麗な黒髪。
艶やかな着物。
あっちにふらふら、そっちにふらふら、夢遊病者のように頼りない足取りで、それでも一応は紫村くんの歩みに合わせるように通学路を進んでいく一人の女性。
一々確認するまでもなく、誰の目にも見えていないのは瞭然だった。
『俺たちは全員術師じゃない』
昨日、吉村先輩はそんなことを言った。
じゃあ先輩が操る炎や、紫村くんが動かした虫の大軍や、ジンさんが体中から噴き出していた黒い煙はなんだったのだ、そう問いかけた私に、彼らは一人一人自分の……いや、自分に憑りついた怪異の力を紹介してくれたのだ。
『この子は
それは、遥か昔、平安時代に生まれた女性の成れの果てなのだという。
彼女は高貴の身分に生まれながら、人ならざるものを愛した。
虫だ。
小さな命。多種多様な姿。変わりゆく形。
芋虫が蝶に変わることの神秘に見蕩れ、蝸牛の角の動きを眺めて愛でた。
彼女は化粧もせず、おしゃれもせず、およそ若い娘が嗜む芸事を疎んじた。
世間の目を気にせず、親の説教を論破し、自分の好きなものを好きと言い続けた。
そして、魔に魅入られた。
人ならざるものを愛した彼女は、やがて人ならざるものに愛された。
やがてその境界は融け、彼女自身が魔性となるまで。
永遠に、自分の大好きを愛で続けられるように。
紫村くんは、彼女に憑りつかれているのだ。
一体どんな経緯があってそうなったのかまでは教えてくれなかった。
ただ、紫村くんの頼みを彼女――露姫は聞き入れ、自分のお友達の力を貸し与えてくれる。
紫村くん自身に、そういうものを見る力まではあっても、自分の力を使って術を使うとか、業を為すというようなことは出来ないのだそうだ。
彼には才能がない。
その代わりに、たくさんのオトモダチがいる。
そのオトモダチの『眼』を使って、彼はこの学校で情報収集をしていたのだ。
それは、この地球上で最も繫栄する生物種。
地上において彼らの目の届かぬ場所など存在せず、どこにでも入り込み、どこにでも生まれ、どこででも生きていける、無量の軍勢。
虫使い――紫村昆。
それが、爽やかイケメン転校生の正体であった。
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