そんな世界もあるという話
葉山さんがおかしくなったのは、おかしなものに憑りつかれていたからなのだという。
黒い煙。
それを魔力と呼んでもいいし、別に呪力でも邪気でも妖気でもなんでもいいのだけど、とにかく、よくないものだ。
それは人の感情に結び付き、反応する。喜びは喜悦に、怒りは憤怒に、哀しみは哀切に、楽しみは快楽に、思慕は愛憎に、悲嘆は絶望に。増幅し、増殖し、増大し、やがては体から漏れ出でる。
葉山さんは、それに呑まれた。
呑まれて、染まって、狂わされた。
けど、嫉妬も恋情も、女子校生なら誰だって当たり前に持ってる。そんなことで一々黒い煙を噴き出して暴れ出していたら、高校はあっという間に災害指定区だ。
つまり、葉山さんに憑りつき、狂わせたものは、明らかに人為的な加害なのだ。
「つまり、こいつだ」
そう言ってテーブルの上に置かれたそれは、ひしゃげたちっぽけな匣だった。
五センチ四方くらいの大きさのその匣が、葉山さんの制服のポケットに入っていたのだという。
「ジンさんはこれを斬ったんだよ」
「え。でも、あんなに血が……」
「あれはこいつから出た血……でもないんだが、まあそんなようなもんだ。で、あの時はお前にもこれが手ぇ伸ばしてたからな。ついでに斬ってもらった」
「ついでて」
私が恐る恐るジンさんの方を見ると、お腹の前で組んでいた腕を解き、右手の指を二本立てて斜めに宙を切った。無言で。
え??
困惑する私に、紫村くんが爽やかな笑みを向けて言った。
「『その通りだ。驚かせて悪かったな』だってさ」
「ホントに今そう言った!?」
それきりまた元のポーズに戻ったジンさんは、もう動く気配がなかった。
話を戻すぞ、と一言置いて、吉根先輩がパイプ椅子に座り込んだ。
「俺たちはその匣の出どころを追ってるんだ」
「はあ」
「三条。お前、この春からウチの高校で意識不明の昏睡状態になった生徒が何人いるか知ってるか?」
「え? こんす――」
「七人だ」
「――ぃ」
七人? 昏睡状態の生徒が七人? ウチの学校で?
なんだそれは。なんでそんなことになってるのに私はそれを知らないんだ?
「いや、普通に噂になってるけどな」
「うん。俺もクラスの子に聞いたよ。まあ最初から知ってたけど」
「…………そこは情報統制とかされてることにしてよ!」
そういうのよくあるじゃん!
やめて! 呆れた目で私を見ないで!
私の知り合いは誰もそんな風になってないもん!
「そんな権限がどこにあるんだよ。ていうか、俺のいる学校でこんな事件が起きて、俺が上にどんだけ嫌味言われたと思う? 頓珍漢な奴らがジンさん派遣してきやがって。この人に索敵なんかできるわけねえってのに」
「だからとうとう俺が来たってわけ」
そう言って優雅な仕草で指を立てた紫村くんの爪の先に、ひらひらと舞う瑠璃色の蝶がとまった。
あ、あれは昼休みに食堂で見た――。
かつん、と。ジンさんが指で壁を叩いた。その指を宙でくるりと一回回し、また元のポーズに戻る。
んん??
「『敵を見つけるのはお前たちの仕事。その代わり、見つけ次第俺が全部斬り祓ってやるから安心しろ』ってさ」
「ホントに!? ねえホントに今そう言ったの!?」
流石に盛ってない?
ていうか、三人は元から知り合いなの?
そういう秘密組織的なアレのエージェントみたいな感じなの?
「名前は聞くなよ。教えらんねえ。まあバイト先ってことにしといてくれ」
「なるほど。『お前、組織の人間か』って奴ですね」
「違う」
いや、違わないのでは?
急にオタク心をくすぐりだした男たちは、しかし、次の一瞬で私を現実に引き戻した。いや、非日常に突き返した。
「お前、俺たちが来るのあと一分遅かったら死んでたからな」
「三条さん。ホントに危ないところだったんだからね?」
「え」
え、じゃねえよ。と溜息を漏らす吉根先輩と、珍しく眉根を寄せて困ったように微笑む紫村くんの表情を見て、俄かに恐怖心が蘇ってきた。
心なしか、首筋がひりひりと痛む。
「葉山さんも危なかったんだ。あのままだったら、明日には被害者のリストに葉山さんも載ってたと思う」
「今、何らかの悪意がこの学校を巣と餌場にしてる。この匣は憑りついた相手の感情を暴走させるが、同時に感情のエネルギーを取り込む装置でもある。要はそういう道具なんだ。そして、道具ならその使用者がいる」
つまり、その使用者とやらが、葉山さんにこれを持たせて、私を襲わせた? うん? いや、私を襲ったのは葉山さんの意思なのか? 感情を暴走させるってことは、相手を無理やり操ってるわけじゃない。葉山さん、私の首を絞めたい気持ちが少なからずあったんだ……。
「その辺は半々だろうね。もちろん葉山さんが三条さんにムカついてたのは確かだろうけど、それを見越して犯人は葉山さんに匣を持たせたのかもしれない」
うん。それはそうなのかもだけど。
ねえ、紫村くん。そこまで分析するならその手前のことも考えようよ。あなたが私をランチに誘ったりしたのが原因だよね。ねえ。
あ、目を逸らしやがった。
「で、だ。三条。俺たちがその匣を回収したのは今回で四件目だが、そいつはどう考えても自然発生した怪異じゃない。そんな代物を作って、使役して、自分の尻尾は掴ませない。敵は相当な術者だ」
「あ、うん。そうなんですね」
それを私に言われても困りますけど……。
ていうか、三人だって、その術者なんだよね?
「いや、俺たちは全員術者じゃない」
「え?」
「三条。お前と違ってな」
「え?」
え?
…………え???
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