ボタンよ弾けろ
「どうなってる。なんで
「分かんないよ。ていうか、アカリくんの後輩でしょ。俺に怒んないでってば」
「それを言うならお前のクラスメイトだろうが、コン」
「最後に会ったのはアカリくんですぅ~」
「てめぇ……!」
吉根先輩が紫村くんの胸倉を掴んでいた。
いいよ。すごくいいよ。いい身長差だ。絵になる。
あ、あとちょっと、あとちょっとで鎖骨が見えそう……。
いけ、そこだ。ボタンよ弾けろ。
コトン。
と、私の目の前に、湯呑が置かれた。
ところどころがほつれた黒つなぎの袖と、あかぎれだらけの武骨な手が離れていく。
ジンさんだ。
私のよく知る、用務員のオジサン。
私は今、なぜかタオルケットでぐるぐる巻きにされて、固いソファーに寝転がされていた。小さなテーブルに渋い色の湯呑が置かれ、水滴が垂れている。
ちょっと前に目を覚ました時は状況が分からず混乱したが、目の前でイケメンとイケメンが絡んでいたのでついつい薄目を開けて観察してしまったのである。
眼福だったのである。
「なんだ、起きてんじゃねえか、三条」
「大丈夫、三条さん? 気分悪くない?」
しかし、ジンさんが湯飲みを置いたときにびくりと体が跳ねてしまい、二人に気づかれてしまった。
ちっ。あと少しだったのに。
私は白々しく、庇護欲をそそりそう(に見えたらいいな……)な表情と声で、恐る恐る問いかけた。
「あの、ここは……」
「用務員室。ジンさんのシロだよ」
頼りない裸電球が一つだけ点る、六畳ほどの殺風景な部屋だった。
壁に打ち付けられた棚には、よく分からない大工道具。モップやらブラシやらの長柄が部屋の隅に雑に立てかけられている。
壁の一面に一つだけある砂埃に霞んだ窓からは、とっぷりと暗くなった夜空が覗いていた。小さな冷蔵庫と、給湯器も見当たらないただ水が出るだけの流し。私が寝転がるソファーと、飾り気のない真四角のテーブル。錆びたパイプ椅子が二つ。
そして、三人の男たち。
「平気? 起きれる?」
心配そうに覗き込んでくる爽やか顔のイケメン――紫村くんに促され起き上がった私は、急に喉の渇きを覚え、ジンさんが用意してくれた湯飲みに口をつけた。
乾いて粘つく口の中を、冷えた麦茶が潤していく。
その冷たさが、私の頭にかかった靄を徐々に晴らしていった。
そして、思い出す。
黒い煙。オレンジ色の炎。大量の虫。そして――。
「あ、あの! あ。えっと! 私、葉山さんが、あの、おかしくなって。それで!」
そして、思い出せば思い出すほど混乱していく。
私は確かクラスメイトの葉山さんに体育館裏へ連れ込まれたのだ。そこで話している内に、急に彼女の様子がおかしくなり、黒い煙を出しながら私の首を絞めてきた。
今更ながらに、恐怖がこみ上げてくる。
だけど、その後は?
目の前で炎が弾け、現れた吉根先輩は分身の術を繰り出し、次に現れた紫村くんは虫の大軍を操り、そして、そして……。
ぎらりと光る刃。
赤い血飛沫。
そうだ。
葉山さんは……!
「落ち着け、三条」
「よ、吉根先輩。あの。あの」
「落ち着けっての。取りあえず、お前のクラスメイトは無事だ。気を失って救急車で運ばれたけど、大した傷もない」
大した傷もない?
そんな馬鹿な。
私はこの眼ではっきりと見たのだ。
彼女の脇腹が、ばっさりと断ち切られ、大量の血が噴き出るところを。
血。
そうだ、赤い血が。濡れ光る日本刀が。それを握る、黒づくめの――。
私は、ガタガタと震えながら、部屋の端で腕を組んで立ち尽くすジンさんの姿を見た。今はもう、例の黒い煙は見えない。いつも通り。いつも通りに無表情で、何を考えているのかよく分からないジンさんだ。だけど、この人は、さっき……。
「いいか、三条。今から、お前とお前のクラスメイトの身に何が起きたのか説明する」
「ひゃ、ひゃい」
「よく聞け、と言いたいところだが、別に聞き流してもいい。信じてくれてもいいが、信じなくてもいい。だが、これからするのは、紛れもなく本当の話で、現実の話だ」
な、なるほど、説明回ですね? でも、そんな口上の仕方あります?
困惑する私を真っ直ぐ見つめて、吉根先輩は低く響くイケボで、奇妙な物語を始めたのだった。
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