用務員のオジサン

「いや、それジンさんでしょ。なにを怪談風に語ってんのよ」

「てへ」


 その日の夜。私はトークアプリでミーコと通話していた。


 私が昇降口で出くわした中年男性は、村正むらまさじんさんという。

 この春から我が校に赴任してきた、ただの用務員のオジサンだ。切れかかった蛍光灯を交換するところだったのだ。

 推定四十台前半くらいの見た目なのだが、これがまた中々のイケオジで、校内では男女を問わず密かに人気がある。


 どこか校舎内で壊れたところがあると次の日には彼の手によって修繕されているし、敷地内の芝は見事に狩り揃えられ、校庭の均しも完璧。仕事の出来るオジサマなのだ(私が見た刃物も、ただの草刈り鎌である)。

 ただし、恐ろしいほどに不愛想で、誰も彼とまともに会話をしたことがない。

 ある日ふざけた女子生徒がなかば強引に彼の掌を見たところ、感情線が一ミリも見当たらなかったという噂まである。


 なので、一部の生徒の間で密かに人気はあるものの、半分くらいの生徒は不気味がって近づこうとしない。ちなみにミーコは後者である。

 実は私もそうだったのだが、私はある日、彼のとんでもない秘密を見つけてしまったのである。


 あれは、五連勤のバイト明けで六時限後に保健室で爆睡してしまい、保健医に追い立てられるようにして慌てて下校したときのことだ。それこそ校舎内にはほとんど人もおらず、私は駆け足で昇降口を飛び出した。

 その時、校舎裏に向かって一人歩くジンさんの姿を見かけたのである。

 正直、魔が差したとしか思えないが、私は彼の背を追って校舎の裏手を覗き込んだ。


 そこで、私は見たのだ。

 用務員室と思われる掘立小屋で、小さな犬に餌をあげているジンさんの姿を。


 出、出~~~~~!!!


 動物に優しい独り身のオジサンだぁ~~~~~!!!


 萌ゆる~~~~~!!!


「いやそれ学校に内緒で犬飼ってたらダメでしょ。普通に」


 まあ、それはそのとおりなんだけど、不思議なことにその子犬をその後見かけないのだ。他に目撃した人の話も聞かない。ひょっとしたらあの日だけどこかから預かっていたのかもしれない。

 とにかく私は、その日以来ジンさんを見かけると、子犬と戯れる彼の姿を想像し密かにほっこりするようになったのだ。


「オジサンが犬に餌あげたくらいで好感度上がるの、浅くない?」

「は? 無粋にもほどがあるんですけど。この尊さが分かんないわけ? 頭沸いてんじゃないの?」

「あ゛? 推しキャラに見境なくケモミミつける節操なしに言われたくないっつうの」

「ワンコキャラにワンコ耳つけて何がわりぃんだよ言ってみろ!」

「それがそもそも解釈違いだっつってんだろうがボケナス!」

「×××の愛撫は◇◇◇尾てい骨の――」

「▼▲▼の雄っぱいに●●――」

「◆◆受けの――」

「〇〇が――」

「…………」

「……」


 その後、二時間半に渡る熱い議論の結果、『痩せた首筋にかかる首輪を人差し指で引っ張るときのスパ攻め感はあごクイに勝る』という結論に達した私たちは、ほどよい疲労と満足感を得て通話を終了した。明日のミーコのお絵描きアカウント見るのが楽しみだぜ。


 ぽすん、とベッドに寝っ転がって、次の刺繍の図案をだらだらと考えていると、夕方ジンさんとすれ違った後で見た、奇妙な光景をふと思い出した。

 あれは、一体何だったのだろう。


 緩やかに吹く初夏の夕風が、その柔らかそうな髪の毛をサラサラと揺らしていた。

 紫村昆。

 爽やかイケメン転校生。


 校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下で、彼は植え込みの木に手を付いていた。

 そこそこ距離があったためよく分からなかったが、その指先にもぞもぞと小さい何かが蠢いているように見えた。

 あれは、芋虫?

 それも、一匹二匹じゃない。近くでそれを見たなら悲鳴を上げそうな数の芋虫が、びっしりと彼の手の甲に這い廻っていたのだ。


 そして。


 さらり。

 さらり。


 長い長い黒髪が、風に揺れた。

 彼の背後から、しなだれかかるようにして、豪奢な着物を身に纏った女が彼の手元の芋虫を覗き込んでいた。


 目を疑った。

 あんな人、さっきまでいたか?

 ていうか、なんであんなカッコ?


 びょう。

 ひと際強く風が吹き、私は目を瞑った。

 そして、私が目を開けた時には、着物姿の黒髪の女は忽然と姿を消し、ただ後姿にも爽やかさを感じさせる転校生だけが、すたすたと廊下を歩み去って行くばかりだった。


 自分が見たものが一体なんだったのか、さっぱり分からなかった。

 見慣れたミーコの黒髪よりもさらに長く、つややかなロングヘアー。

 ひな人形でしか見たことがないような着物。

 一瞬で消え去った幻。

 見間違い?

 何と?

 流石に、とりとめがなさすぎて、ミーコにも相談できなかった。

 しなくてよかった。


 そう。

 私がで唯一自分を誉めてやりたいと思ったのが、この時この話をミーコにしなかったことだ。

 彼女のことを、巻き込まずに済んだ。

 こんな、荒唐無稽で、意味不明で、無軌道な物語に。


 さて。いよいよ話が冒頭のシーンに近づいてきた。

 本格的にお話が動き出す前に、あとほんの少しだけそこに至るまでの経緯を説明させてほしい。

 それにはまず、時間を一週間後にまで進める必要があるだろう。

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